第1話 転生と歴史
変わらないと信じている幸福な日常は、突如として惨憺たる結果となる。不幸は、夕立のように私達を襲う。
私は行き付けの喫茶店で抹茶を飲みながら読者をしていた。好きな飲み物を片手に、土曜の午後は喫茶店で落ち着こうと決めているのだ。もしくは、快適な我が家で肉とポテチ片手に携帯をいじりながらパソコンを動かしてもいい。この一見つまらなそうで平和的な行為こそが日々の苦しい労働の癒しだ。だが、抹茶ではなく紅茶を飲めば良かったかと、少し後悔している。
誰でも好きな事は継続できる。私の場合、思春期を越えたあたりから始まったこの癒しは十年以上続いている。その十年間で戦史、恋愛、内政、心理学、哲学、推理等の様々な本を読んだ。だが、読んだ本の中で覚えている事のほとんどが、平和な日常生活だと役に立たなそうな知識や技術だけだ。どうでもいい事ばかり覚えてしまう割に、大切な事はよく忘れてしまう。そのせいで日々何かしらの不安を抱えている。だが、その不安も、癒しの最中には忘れてしまう。
最近、少し変わった本を読んでいる。私が産まれる前に流行っていたジャンルの小説だ。それは異世界に転生、あるいは転移するというものだ。主人公には特別な能力が与えられるか、もしくは隠している才能を使ってより良い人生を目指し、力を誇示するという内容が大抵を占める。私もそんな人生を送ってみたいものだ。身体的にも、精神的にも苦痛を感じない環境で、特別な人間として人生を謳歌したい。
そんな妄想をしながら、読み終えた小説を机の上に置いた。しばらく本の拍子を見つめながら、ぬるい抹茶を楽しんでいた。そうしていると黒いスーツの男が店に入ってきた。その男は誰かを探しているようだった。そして、私を見ると少し安心したような顔をしながら近づいてきた。
「お久しぶりです、草薙さん。」
その男は落ち着いた声で私にそう言った。まるで知人のように振る舞う彼を、私は知らない。大事な事をよく忘れる私ではあるが、知人を忘れるほど馬鹿者ではない。だから、彼は知人ではない。しかし、私が本当に馬鹿者になってしまった可能性もある。
「すいません。貴方と会った事がありましたか?」
「ああ、申し訳ありません。ええ、会った事はありませんよ。手短に済ませましょう。私が来た理由はこれです。」
そう言って彼は封筒を取り出して渡してきた。私はその封筒の送り主を確認する。企業連盟軍事部門、日本支部と、髑髏に銃の企業ロゴ付きで封筒に書いてあった。この企業ロゴを見る度に、これを作ったやつは中二病患者だと思ってしまう。中身を取り出すと、赤紙と複数の書類が出てきた。
「前線への人事異動です。それと、12時間以内に指定勤務地内の軍務経験者は支部へ集まるようにとの事です。企業は後方勤務の者も作戦に動員すると決定したようです。」
「ついにか.....」
「醤油を大量に飲むなんて事はしないようにしてください。それでは、ご武運を、草薙一等.....」
彼は敬礼をして店を出ていった。日本支部も即時召集に赤紙を使うなど、遊び過ぎだと思う。お遊びをする余裕があるだけ、うちの企業はマシだと前向きに考え、召集の不安をなんとか消そうとする。
世界は変わらなかった。
いや、中国とアメリカが戦争してから多少変わった事もあったが、今となっては誤差なのだ。開戦からいくつもの激しい戦いを経て、講和を実現した中国はアメリカの力を具体的に知った。一方で、アメリカは中国の潜在的な力を知った。そして、大規模な戦争を経た両国は戦争を消費としてではなく、生産的な経済行為として自分達の損害を埋めようとした。だが、それを政府が主導する事はなかった。
政府の代わりに登場したのが企業だ。世界の武器商人たるアメリカは、中国との戦争に深入りするあまり、その地位を企業に掠め取られた。世界中の企業が結託し、再建と勢力拡大に注力した。だが、平和は訪れなかった。アフリカや中東、南米や東ヨーロッパ等の紛争はさらに激化し、世界規模での国家間紛争は再開された。そんな中、常任理事国は武器を輸出した。それがまずかった。常任理事国は平和を求める市民から糾弾された。五大国は内部から崩壊していき、それを先導したのが企業だった。企業と市民による革命、第二の革命ラッシュによって世界は変わった。そして、世界は企業を中心に、さらにクソみたいな世界になった。
そのクソみたいな世界で誕生したのが、企業軍と呼ばれる存在だ。民間軍事会社を前進とした企業軍は、紛争地帯の増加によって、その規模を拡大させた。世界に死人と戦いが溢れるほど、企業軍の名声は増えていった。様々な企業が独自の分野で戦争に参加した。中小企業で作られたナットやバネが、大企業の兵器に使われた。革新的な兵器を開発したベンチャー企業が市民からの投資で勢力を伸ばした。変わったようで変わらなかった世界がここにある。
だが、確実に変わらないものが一つある。天を貫く起動エレベーターが建設されても、民間人が宇宙へ遊びにいける時代になっても、創造上でしかなかった技術が開発されても、人間は大して変わらないという事だ。
抹茶を飲みながらもう一度妄想の世界に入った。自分も異世界に転生、あるいは転移し、もっと良い人生を送る。そのためには、誰にも興味を持たれず、誰かに迷惑をかけて酷い人生を歩まなければならない。そして、自分の悪い状況は他人のせいだと思いながら絶望する。最終的には、誰かの代わりか、自殺のためにトラックに轢かれる。異世界で、自分の力に酔いしれながら、傲慢に振る舞い、他人を傷つけ、悪役のように生きていく。
なんと下らない妄想だろうか。そんな考えを思いついた自分に嫌悪しながら、残った抹茶を飲み干した。成長限界に達した人間に生き方を変えるなんて事はできないだろう。違う世界でもそれは同じだ。
次の本を手に取り、赤い夕焼けの時まで読者をしようと決めた。企業も十二時間以内に死ぬ覚悟をするぐらいは許してくれるだろう。
読者を楽しんでいた時、突如として耳鳴りがした。その音は徐々に大きくなっていき、読者に集中できないほどになった。私は読者に集中したかったため、その音を煩わしく思った。少し苛立ちながら、本から目を離した。その瞬間、外から光が差し込んだ。青く眩い光は、非常に幻想的で美しかったが、どこか気味が悪かった。そして、その光が最大になったと同時に私は意識を失った。
私は空を見ている。薄暗い雲に覆われた空から、月光が私を照らした。意識を失う前に見た、あの美しい光程ではないが、綺麗だ。だが、その光は天使の光ではない。自分の置かれている深刻な状況を理解させる光だった。
なぜか動かしにくい首を必死に動かし、辺りを見回す。そこには荒地が広がっている。何もなく、人の気配もない。非常に理解し難い状況だ。そして、荒れ地にいる事よりも理解できない事がある。私は赤子になっている。小さな私の身体は小汚ない布に包まれ、仰向けのまま、何もない見捨てられた土地の中心にあった。だが孤独ではなかった。周囲には私と同じような赤子が大勢いた。
状況を飲み込むのに時間がかかった。なぜこんな事になっているのだろうか。大勢の赤子と共に、布一枚に包まれ、私も赤子となっている。本当に理解できない。とてつもない程の寒さと飢えに襲われ、私の内には恐怖と絶望が生まれた。そして、不幸は続き、小雨が降り始めた。この雨は少しづつ、確実に私を含めた赤子達の体力を奪っていくだろう。
赤子達を見ていると、一人の赤子と目があった。その無垢で可愛らしい赤子の瞳は緑色だった。エメラルドのような輝きを持ち、非常に透き通っていて綺麗だ。緑色の目なんて見たことも聞いたこともなかった。その瞳を見て少し気持ちが落ち着いた。
ある程度時間が経った。赤子の群れは、雨という遅効毒を受けながら、その数を大幅に減らし、私はただ救いを求めて祈っているだけだった。私の右隣の赤子は寒さに耐えきれず死んだらしい。上から聞こえていた赤子の声は、狼の声を境に、何も聞こえなくなった。そして左隣の赤子は、今まさに鳥葬された。最後まで、その短い手を伸ばして抵抗していた。いや、もしかしたら誰かに救いを求めていたのかもしれない。大きい鳥は暴れる赤子をつつきながら、肉を貪り、食事をした。私は何も出来なかった。やがて、鳥は去り、狼の気配もなくなり、全ての赤子の泣き声が聞こえなくなった。
私は祈るのをやめた。祈るだけ無駄だと理解した。理解できたのはそれだけであった。他の赤子は皆死んだのだろう。生きている気配はなかった。私も、もう少しで死ぬだろう。我々の国では死は救済と言われているが、その通りだ。私は今から救済される。早くこの苦痛から解放してほしい。
どうやら、私は死ななかったようだ。悪運の強さか、あるいは、まだ苦しめとのお告げなのだろうか。多くの赤子が死んでいく中で、私は偶然通りかかった人に救われた。その人は赤子達の惨状を嘆きながらも、無事だった私を見て、安堵の表情をしながら泣いてくれた。なんと優しい人だろうか。その優しい人は孤児院を経営していたため、私はそこで育てられる事となった。
人間は食事なしに生きられない。孤児院での生活は貧しいものだった。だから子供でも仕事をしなければならない。成人男性の半分ほどまで成長した私は、日々の食事にありつくために木こりや塩鉱夫の手伝いをしていた。だが、キツい労働をしたとしても、必ず報酬が貰えるわけではない。貰えたとしてもパン一切れ、もしくは食用虫だ。
私がそんな労働の日々に耐えられたのは、恩人に報いたかったからだ。私の住みかである孤児院のラーサ院長は非常に優しく聡明な人物だ。赤子の時に彼女に助けられて以来、ずっと恩返しを目標にしてきた。彼女は本当に優しい。そして意外に若く綺麗な人だ。なにより、自分も苦しいのにも関わらず、子供達ために奮闘している聖人だ。その姿はまるでナイチンゲールのようだ。
ナイチンゲール、ここではその人物名を聞いても誰も何も反応しない。理由は異世界だから。日本や中国、アメリカやイギリス等の国はなく、地球の概念や固有名詞は通じない。聞いたことのない地名、名前、物語が私に正しい認識を促した。そして、ここは地球でいうところの中世並みの文明だ。だから、こうも貧困なのかと納得した。だが、疑問もあった。言葉が通じるという事だ。文字は複数あるが、喋る際は何故か言葉が通じる。つまり、この大地に住む全員が翻訳を必要としない。ある学者は、神が自分達を一つにするために力を使っていると言っていたが、私はそれを信じなかった。というより、神の存在を信じていない。
ラーサ院長への恩返しのため働いていた私だが、それだけでは身がもたなかった。そんな私を支えたのが本だ。院長に無理を言って彼女の蔵書から本を借りた。この世界で本は貴重だ。一番安い本でも1ヶ月分の食費に相当する。院長は売る予定の本から順に貸してくれた。読み書きに関しては、労働のない暇な時に、院長が子供達を集めて教育していたため、問題はなかった。院長いわく、幼少期において、教育こそ大事なものはないとの事だそうだ。本を読むという事は知識を蓄積させるという事だ。私はこの世界の様々な知識を吸収しようとした。
本を読んでいくうちに興味をそそられる事が二つあった。一つはこの大陸の歴史、もう一つは魔法だ。
その昔、この大陸には強大な帝国が存在した。帝国は洗練された軍事制度と高度な土木技術を用いて、次々に他国を征服し、植民地にした。やがて大陸を統一すると、今度は別の大陸へ進出した。別の大陸からもたらされた品々によって、多様な文化が花開いた。強大な軍事力の下に、大陸の生活は安定し、経済や文化は大きな躍進を遂げた。そして、帝国は数百年以上、大陸を平和で豊かな土地として治め続けた。
だが、その平和は帝国の内紛により、徐々に崩れていった。帝国国内には、様々な問題があった。帝国軍部の増長と政治への介入、皇帝の権威の低下、腐敗した官僚による政治体制、国民の楽観的思考等により、帝国は分裂していった。そこにトドメを刺したのが異民族の侵入と怪物の出現、魔法技術の崩壊だった。
北方から国内に侵入した異民族達は殺人や略奪を繰り返しながらあらゆる都市や軍事拠点を占拠して、そこで生活し始めた。日夜問わず、帝国の軍団兵と異民族の剣が衝突した。双方の血が豊かであった大地を赤く染めた。
泣きっ面に蜂というべきか、その争いによる流血に惹かれ、怪物達がこの地に出現した。怪物がどこで生まれ、どこから来たのか誰にも分からなかった。分かっている事は、怪物は欲望のままに人間を襲い、見境いなく殺すという事だけだ。
多くの人間が死に、都市が焼かれ、負の感情が渦巻いていた。だが、大陸に住まう人々にも魔法という希望があった。魔法は人間が誕生する前から存在し、原始の時代から犬と同様に人間を支え続けた。そんな偉大で歴史ある不思議な力に、人々は最後の望みを託して戦った。
だか、その望みも潰えた。魔法の消失だ。ある日突然、人間は魔法を使う事が出来なくなった。その代わりに、人間は言葉の壁がなくなった。魔法と言葉の壁が無くなり、平和が訪れたところと更に地獄へと変わったところで二極化した。首都周辺の都市が前者、辺境の都市と農村部が後者だった。
そして、帝国は混乱を極めたまま、滅んだ。その後も社会秩序は乱れ、人々の暮らしは貧しいままだったが、一時期は一つの王国によって再び完全な平和が訪れようとしていた。だが、カリスマ性を持つ王の死後は、大抵悲惨なものになる。王国も例に漏れず、三国に分裂し、争いは続いた。そして、現在に至る。
そんな希望も無い土地で転生し生きていかねばならないなんて、地獄でしかない。もしかすると、天国と地獄というのは本当にあって、私は地獄に落とされただけなのでは無いかと思いたくなる。安全と報酬が保証されない労働、硬く酸っぱいパンと雑多な煮込みスープの食事、衛生的ではない生活環境、争い事が多く、戦争が多発するほどの社会情勢の中で生きていく。
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