或る女の話 二日目

「あら貴方、少し髭が伸びたんじゃない?」


 うふふ……と口の中で含み笑いをひとつ。死体の髭が伸びるなんて事がないのは分かりきってる事だもの。だって死んでるんですもの、代謝活動も起こるはずが無いわ。起きる現象はそうね。まさに今、目の前で彼に起きている皮膚の乾燥。あとは……顔色が悪くなったかしら?貴方は普段から顔が白いから、血流が無くなって起こる顔面の蒼白は分かりづらいのよ。けどほら、腕や寝巻きから出たお腹……静脈が浮き出し始めてる。お腹の皮膚なんて少し腫れ出して、緑色に変色し始めてるじゃない。床に接した貴方の左頬には死斑が出ているわ。ちゃんと死んでるって証拠よね。

 貴方とよく見たサスペンス映画じゃ、死後硬直がどうだの死亡推定時刻がこうのって、死体の情報は全部セリフに任せっぱなしで肝心の死体は発見時に一瞬映れば良い方だったわね。実際にもっと死体を細かく見せてくれなきゃ、捜査に参加した気にはなれないわ。


「死体が見たいならコレなんかオススメだよ」


 なんて言って紹介されたのは案の定スプラッタ映画だったわ。あんなの人間の身体を散らかして遊んでるだけじゃない。冗談じゃない。私が望んでたのは淡々と美しい遺体と対峙する描写だったのよ。その点『ジェーンドゥの解剖』あれは良かったわね。オカルトテーマだから死体は綺麗過ぎたけど、司法解剖の描写としてはかなり美しく、しっかりと色んな作業を映してくれてたと思う。

 貴方は「ここで死んだはずの俳優の手の位置、前後のシーンで入れ替わってるぞ!」なんて騒いでたけど、きっとあれは作品の根本に関わるような大層な描写じゃなくて、ただの演出のミスだと思うわ。

 けどそんな時に重箱の隅を突く様な取り上げ方をせずに「まぁミスかも知れないけど、コレを描写と受け取るとこのシーンの意味が変わってくるよ」って嬉々として語ってた貴方は素敵な人だなと思ったわ。こんなに一つの作品の細かいところまで拾い上げて、製作者を立てる形で考察する人は絶対に優しい人だもの。

 思えば貴方は学生の頃からそうだった。私にもとても優しくしてくれたわね。私は貴方がみんなに優しくするのを知ってた、だからどうしても、私一人に優しくして欲しかったのよ。

 その望みは叶ったかどうか分からないけど、独り占めっていう点では今、間違いなく私の夢は叶っているわね。貴方が死んだ事を知っているのはこの世でまだ私だけ。私は貴方が貴方でなくなってしまうまで、きっと眺め続けるわよ。けれど死体が消えてしまったら、貴方の魂は一体どこに行ってしまうんでしょうね?私は貴方の死体を見て、少なからず貴方を感じているけれど、どうなのかしら……もう既に貴方はここには居ないの?

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