第4話 兄弟と兄妹
神谷家に関わる人が全員参加した食事会は何か大きな祝い事でもあったのかと思うくらいに人であふれていた。会場には多くの人が集まっているのだが、あまりにも人が多いため椅子などは用意されずに立食スタイルでどれもこれも美味しそうであり、実際に口に入れたものはどれも美味しくもう少し食べたいと思うようなモノばかりであった。
「ねえ、お父さんが作ったやつじゃないのが食べたいんだけど、お兄ちゃんならどれがお父さんの作ったやつじゃないかわかる?」
「いや、全然わからないけど」
「そうか。やっぱりお兄ちゃんは使えないね。お母さんは知らない人と話してるし、誰か知ってる人はいないのかな」
「お前と仲が良いメイドさんに聞いてみたらいいんじゃないか。知ってるとは思えないけどさ」
「あの人はちょっと苦手だからやめとく」
用意されている食事はどれも父さんのレシピで作られたものだと思うのだけど、野菜の切り方や火の入れ方なんかはいつも食べなれている父さんの料理とは微妙に違うように思えた。
おそらく、父さんのレシピを他の人が再現した料理ばかりなのだと思うのだが、璃々が言いたいのは父さんのレシピではないものを見付けろという事なのだろう。そんなものはここには無いと思うのだが、並んでいる料理の中にいくつか店で買ってきてそのまま出されているものがあるのだ。それを食べれば璃々の願いはかなうと思うのだが、璃々は頑としてそれを食べようとはしなかったのだ。
「邦宏さんの料理はどれもこれも美味しいよね。こんなおいしい料理が毎日食べられるなんて僕は改めて幸せだって気付かされたよ。それに、将浩君の才能にも感心したよ。君はあんなに絵が上手だなんて思いもしなかったよ。良かったら、僕にも一枚何か素敵な絵を描いて欲しいな。なんて思ったりもしたくらいだよ」
「時間があれば絵くらいなら描きますよ。描いて欲しいものがあれば言ってくれればそれを見て参考にしますし」
「そうか。そう言ってくれるとは思わなかったよ。将浩君は本当にいいやつだな。綾乃よりも先に描いてくれると嬉しいな」
「ちょっとお兄様、抜け駆けは良くないですよ。将浩さんにお願いしたのは私の方が先なんですからね」
「早い者勝ちって事でもないんじゃないかな。こればっかりは将浩君が描きたいって思ったものを優先させた方がいいだろうしね。僕はそれでいいと思うんだけど、綾乃はやっぱり自分が先じゃないと嫌なのかな?」
「そんなことは無いですよ。将浩さんの意思を尊重して気長に待つことも出来ますし。ですが、そうやって牽制するという事はお兄様は将浩さんの絵を一刻も早く描いて欲しいという思いの表れではないでしょうか」
「確かにそうかもしれないね。僕は将浩君の絵を一目見た時から素晴らしいと思ったからね。あまりの喜びに胸がはちきれそうになったくらいだよ」
二人は会話の合間合間で料理を口に運んでいた。喋る時には口の中の物を全て飲み込んでいるようなのだが、俺はとてもではないがそんな二人の真似をすることが出来なかった。口の中に物を残したまま喋ることなんて出来るような状況ではないし、かといって持っている物を食べないで放置するなんて事は俺には出来なかった。
結局、俺は持っている料理を全て食べ終えるまでは二人の会話に割り込むことも出来なかったのだ。
「あの、どんな絵でも良いって言うんだったら今から二人を描いてもいいですか?」
「僕と綾乃を描いてくれるということかい?」
「はい、上手に描けるかはわかりませんが、楽しそうにしている二人を見ていたら描いてみたいなって思っちゃいました」
「私とお兄様の絵なんて素敵です。そうだ、璃々さんも一緒に描いてもらう事って出来ますか?」
「それはかまわないですけど。どうして璃々も一緒なんですか?」
「それはですね。私、実は妹というものに憧れておりまして、璃々さんみたいに可愛らしい妹が欲しいなと常々思っていたんです。それで、私とお兄様を描いて抱けるのでしたら璃々さんも一緒に描いていただきたいなと思ったのです」
「それは良い考えだね。僕も綾乃もまだ璃々さんとちゃんと話をしたことが無いのでこの機会にお話が出来ると嬉しいんだが。将浩君は璃々さんも一緒に描いてくれるかな?」
「別にいいですよ。描くものが無いのでちょっととってきますね」
俺は自分の部屋にクレヨンを取りに戻ろうと思ったのだが、そんな俺の行動を読んでいたかのようにメイドのフランソワーズさんが俺に真新しいスケッチブックと何色あるんだろうと思うくらい大量のクレヨンを渡してくれたのだ。
「こんなこともあるかと思って用意しておいて正解でした。では、私は用事も済みましたので食事の続きに戻らせていただきますね」
フランソワーズさんは俺と二人に向かってそれぞれ一礼して他のメイドさんたちのもとへと戻っていったのだが、どうしてこんなことになると予想してスケッチブックとクレヨンを用意していたのだろうという疑問は聞くことが出来なかった。有能なメイドというのは漫画やドラマで見たこともあるのだが、ここまで有能なメイドはなかなかいないだろうと思いながらも関心よりも恐怖の方が強いように思えてしまったのだ。
「さすがフランソワーズだね。こうなる事を読んでいたなんてすばらしい。じゃあ、璃々さんを呼んできて一緒に描いてもらう事にしようか」
「あ、それなら大丈夫ですよ。璃々なら毎日のように見てるからいなくてもかけますし。お二人も好きなように料理を楽しんでくれてて大丈夫ですよ。俺はその辺で描いてますので」
「いや、絵を描くんだったらモデルになろうかと思ったんだけど、そういうのって無くても大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。伸一さんは昼間にあった時の印象もあるし、綾乃さんはスケッチブックを渡した時の印象もありますからね。気になるところがあれば呼びますんで、それまでは自由にしててくれていいですからね」
俺はどうしても食べたかったフライドチキンとアップルパイをもって壁側に移動してスケッチブックにクレヨンを走らせた。
いつも見ている璃々を中心に置くのは妹バカと思われるかもしれないので避けることにするのだが、そうなるとどの位置に配置するのがベストなのだろうかと考えてしまう。
構図には少し苦労したのだが、俺なりに納得の一枚が出来上がった。そんなに時間が経ったという感覚は無かったのだが、そろそろこの食事会もお開きになってしまうようだ。あらかじめ確保しておいたアップルパイを食べながら自分で描いた絵を見ていたのだが、最初に想像した完成図よりも良いものに仕上がったような自信はあった。
「絵はもう出来たのかな。ちょっと見せてもらっても良いかな?」
「お兄様ズルいですよ。私も見てみたいですって」
俺は二人にスケッチブックを手渡すと、二人は俺が想像していたよりも喜んでくれているようだ。二人は疑う事を何も知らないような子供のような真っすぐな目で俺の書いた絵を見ているのだが、その表情はとても幸福そうに見えたのだ。
「ねえ、お兄ちゃんはまた絵を描いてたの。そんな事してないで美味しいモノ食べれば良かったのに。あっちにあったおでん美味しかったよ」
「おでんがあったのは気付かなかったな。次におでんがあった時は教えてくれよ」
「別にいいけど。ところで、どんな絵を描いたの?」
璃々は伸一さんと綾乃さんの後ろから僕の描いた絵を覗き込んでいた。璃々はその絵を見てなぜか首をかしげて怪訝な表情を浮かべていたのだが、何か変なところでもあったのだろうか。
「ねえ、なんでこの絵にはお兄ちゃんがいないの?」
「なんでって、俺は自分の絵なんて描けないから」
「それはそれでいいんだけど、なんで私とお父さんとお母さんがいてお兄ちゃんがいないのよ。神谷さんの家族はみんないるのに、これだとお兄ちゃんだけ仲間外れみたいじゃない」
「そう言われてもね、俺は自分の事を描いた事なんて今まで一度も無いからさ。自分の事なんてかけないんだよ」
「いやいや、お兄ちゃんは今まで一度も描いた事のない伸一さんと綾乃さんとおじさまとおばさまの事も描いてるじゃない。一度も描いた事ないからかけないなんて言い訳は良くないよ」
俺は自分の姿をちゃんと見たことが無いので自分の事なんてかけないのだ。鏡を見ることはあっても全身をちゃんと見られることなんてほとんどないわけだし、あったとしても自分の事を描きたいなんて思ったりはしないのだ。
「それにしても、僕も綾乃も一目見てちゃんとわかるってのは凄いな。それだけじゃない、この絵に描かれている僕達と君達の両親の姿も完璧じゃないか。こんなボーズをとってるとこなんて今まで見たことも無いけど、妙にリアリティがあるもんだね」
「そうですね。やっぱり将浩さんは天才だと思いますわ。私達にはない素敵な才能ですね」
「やめてください。俺は天才なんかじゃないですよ。天才って言うのは妹の璃々みたいなやつの事を言うと思いますよ」
「まあ、璃々さんも天才だとは思いますが、将浩さんは芸術家としての才能もあると思うんですよ。モデルもいない状況でここまで立派な絵を描いてくれるなて才能以外の何物でもないですよ」
褒められるのは素直に嬉しいのだが、俺の事を天才だと思っているのはただの誤解だと思っていた。俺くらいの絵を描ける人なんて世の中にごろごろいると思う。そんな普通の事で俺を褒めるのはやめていただきたいと思っていた。
でも、褒められるという事はあまり褒められることのない俺にとってはとても嬉しいことではあったのだ。
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