後編

 アイナは次の朝、サイラスと出会わないようにいつもと違う道を通って出勤した。ゆるく括られた、一つ縛りの髪のままで。

 仕事を終えると、速攻で髪を切りに向かった。短く切ってしまえば、サイラスと会っても話をする必要もなくなるだろう。

 最近はショートカットの女性も増えてきているし、短くしてもおかしくはないはずだ。

 アイナは肩まであった髪を、思い切って短く切ってもらった。首が外気に触れてスースーする。頂点から手櫛を下ろすと、あったはずの髪がそこでプツンと途切れていて、どこか虚しい。

 でも、スッキリはした。これで髪を洗う手間も半減するし、サイラスと付き合わずにすむ理由ができる。

 そう思いながら家に帰ると、玄関の扉の前にサイラスの姿があった。彼はアイナの姿を見つけてホッとしたように息を吐きだし、そして驚いている。


「アイナさん! 髪切っちゃったの!?」

「うん、もう鬱陶しくてね。ちょっと避けて」


 アイナはサイラスを押すように避けさせると、鍵を差し込んで扉を開けた。そのまま中に入ると、サイラスも当然のように上がりこんでくる。


「せっかく綺麗な髪だったのに、切らなくても……髪を洗うのが大変なら、僕が洗ってあげたのに」

「遠慮しておくよ。面倒を見させるつもりはない」

「そういう意味で言ったんじゃないよ……でも、傷付けたならごめん」


 素直に謝ってくるサイラスに腹立たしさを感じる。優しくなんて、しないで欲しい。胸が悲鳴をあげるだけだ。


「ねえ、騎士服を着てるってことは、今日は仕事だったんだよね? 今朝はいつもの時間じゃなかったの?」

「いいや、いつもと同じ時間に出勤だったよ」

「……すれ違わなかったけど?」

「そうだろうね。違う道を通って行ったから」


 そう答えると、サイラスは眉を寄せて不可解そうな顔になっていた。


「どうして?」

「サイラスに会いたくなかったから」

「……どうして?」


 同じ質問をサイラスは繰り返してきた。そんな彼に、アイナは自嘲気味に笑う。


「おばさんをからかって、楽しかった?」

「……なんの話?」


 サイラスは益々強く眉を寄せている。にも関わらず、あまり眉間に皺が寄らないのは若い証拠だなぁなどと考えてしまう。


「いいよ、おあいこなんだから。私だって誰でもよかったんだ。シェスと別れて、普通に幸せになりたいって思ってた。幸せにしてくれる人なら誰だってよかったんだよ。たまたまサイラスが近くにいたから、狙いを定めただけで」

「……シェスカル、隊長?」


 サイラスに復唱されて、アイナはハッとした。が、今さらだ。別にもう彼になにを思われようと、どうだっていい。


「そうだよ。私の処女は、シェスに捧げてるんだ。悪かったね、サイラスは処女がお好みだったんだろ? 私に経験がないと思ってたんだったら残念だったね」

「アイナさんに経験があることくらい分かってたよ。この家の食器は全部二人分揃ってるし、いつ来ても減ってないお酒が置きっぱなしだったから、男がいたんだろうなとは思ってた。まさか隊長が相手だとは思ってなかったけど」


 複雑な心境を吐露したサイラスは、暗い顔のまま重い息を吐いている。


「じゃあ、出て行ってくれる?」

「ちょっと待ってよ、どうしてそうなるの。隊長とは終わったんだよね? 僕とアイナさんが付き合っても、なんの問題もないんだよね?」

「サイラス、経験のない子の方が好きなんじゃなかったの?」

「そ、それは否定しないけどっ」


 サイラスはそう言いながらも、言い訳するように続ける。


「でもアイナさんを放って置けなかったんだ。傍にいてあげたいって本当に思ってる」


 彼のその言葉に、アイナはやはりと気持ちを沈ませた。サイラスもまた、シェスカルと同じだったと。ただの優しさだけで傍にいてくれていたのだと。

 アイナは泣きそうになりながらもグッと堪えて、サイラスを諭すように説明をする。


「そんな風にサイラスが私を気にしてくれているのは、私のことを好きだからじゃない。私が隻腕で苦労している姿を見て、自分と重ね合わせてたんだよ。聖女国で苦労をする自分とね。だから私を放っておけなかったんだろう? でもそれはただの同情だよ。愛とか恋とかじゃない。私はもう、同情で傍にいられるのは嫌なんだ」

「それは違うよ。僕は本当にアイナさんが好きだから……っ」

「私が好きな癖に、他の女を引っ掛けてたって? しかも処女ばかり狙って?」


 侮蔑の目を向けると、サイラスは言い返せずにグッと言葉を詰まらせている。アイナはさらに畳み掛けるように続ける。


「私、サイラスはもっと一途な人だと思ってた。なのに私に付き合ってほしいって言っておきながら、色んな子と遊んでたんだ?」


 とどめを刺すようにそう言うと、つらそうだったサイラスの顔が一転した。彼は握り拳を作り、怒気を発し始める。


「あのさ、僕だって男だよ!? 可愛い子がいたら口説きたくもなるし、普通にしたくなる時だってあるよ。だってアイナさん、ちっとも僕に興味なかったじゃないか!」


 そう言われると、今度はアイナが口を噤む番だった。

 目の前にいる美しく長い髪を持つ男は、悔しそうに悲しそうに、顔を歪めている。


「僕みたいなガキが、アイナさんみたいな大人の女性に好かれるだなんて思ってなかったよ! だから努力した! 最年少で班長にもなった! 少しでもアイナさんに釣り合う男になりたかったから……っ」

「……サイラス」

「アイナさんが隻腕だから、同情で傍にいたいと思ったんじゃない。力になりたいとは思ってるけど、同情なんかじゃないよ。僕、ずっと昔からアイナさんに惚れてるんだ。本当だよ」


 真っ直ぐに見つめられながらそう言われ、アイナは顔が爆発するかのようにボンッと赤くなった。

 しかし嬉しい反面、まだ疑心暗鬼な自分がいる。


「そんなこと言って……か、からかってるんだろ?」

「どう言えば真剣だってわかってくれるの? 僕はアイナさんをからかったことなんてないし、誰よりも好きでいる自信があるよ」

「他の子には手を出しておいて、私にはキスすらしなかったじゃないか」

「キスしたくないわけないでしょー。したいに決まってるよ」

「じゃあ、どうしてしてくれなかった?」


 縋るように聞くと、サイラスはキョトンと目をこちらに向けている。その意味がわからず、アイナは首を傾げた。


「僕とキス、したかったんだ?」


 その問いに、またもアイナは顔を赤らめた。少女じゃあるまいし、恥ずかしいと思いながらも顔は勝手に熱く燃え上がってしまっている。

 そんなアイナに、サイラスは子どもを相手にするような優しさで話し掛けてくれる。


「僕がアイナさんにキスしなかったのは、性急なのはアイナさんの好みじゃないと思ったから……だよ?」

「……そうか」

「アイナさんに嫌われるのだけは、絶対に嫌だったから」

「……そう」

「ねえ、今僕がキスしたら、本気だって信じてくれる?」

「そ、そんなことで信じられないよ」


 アイナはパッとサイラスから目を逸らす。嘘だ。嘘をついてしまった。

 もう既に、彼の真剣な気持ちを感じ取ってしまっている。なのに態度は素直に認められない。

 そんなアイナに、サイラスは真っ直ぐな目を向けてくれた。


「じゃあ今すぐ結婚しようよ。結婚すれば、僕の気持ちが本気だってこと、信じてくれるよね?」

「え……ええ?!」


 いきなり出された結婚という二文字に、アイナの心臓は爆発するかのようにドカンドカンと撃ち鳴らし始める。彼の瞳は変わらず真剣なままだ。


「こうすることでしか、僕の気持ちを証明できない。結婚してよ、アイナさん。僕のお嫁さんになって」

「ななな、何を冗談……」

「冗談でプロポーズなんて出来ないよ……僕にはアイナさんだけだ。他の誰にも言ったことない。信じて」


 アイナの左手は、サイラスの両手に包まれた。そのサイラスの温かさを感じ取って、アイナの胸は少し痛んだ。本当にいいのだろうかという思いがちらつく。

 彼はまだ若く、将来有望な騎士なのだ。自分が幸せになりたいばかりで彼の立場を考えていなかった。こんな我儘な女と一緒になってしまって、果たして彼は幸せになれるのだろうか。


「今、私がここで『うん』と言えば、サイラスはもう逃げられないんだよ」

「逃げる必要なんか、どこにもないでしょー」

「私は、私だけを愛してくれる人がいいんだ」

「もちろん、アイナさんだけを愛してるよ」

「余所見されたくない」

「わかった。もうアイナさん以外見ない」

「……嘘つきだな、サイラスは」

「ごめん、努力はするから許して?」


 サイラスは困ったように笑っていた。

 聖女国出身の彼は、これからも女性に声を掛けては褒め称えるのだろう。それはきっともう、身に付いてしまった習性なのだ。


「私は嫉妬するよ、きっと。醜いくらいに」

「嫉妬してもらえるなんて嬉しいよ。僕のことが好きだって証拠でしょ」

「……」

「違うの?」


 アイナは恥ずかしくて目を逸らすも、それを追いかけるようにサイラスが覗き込んでくる。


「『幸せにしてくれる人なら誰でもいい』なんて言わないでよ……僕じゃなきゃ駄目だって言ってほしい」


 苦しそうに言葉を紡ぎ出すサイラスを見て、アイナはハッとした。『誰でも良かった』なんて言われて、彼はどう思っただろうか。そんなこと、思ってもいなかったというのに。


「ごめんね、サイラス……」

「……アイナ、さん……?」

「傷付けてごめん。私、サイラスがいいよ。サイラスじゃなきゃ……嫌だ」


 もう他の誰かなど、考えられなかった。サイラス以外の誰かが自分を気に掛けてくれるとは思えなかったし、アイナもサイラス以上に気になる相手ができるとは思えなかった。

 彼は嬉しそうに色気たっぷりの目をこちらに向けてくる。


「僕のこと、好きだって言って」

「嫌だ、恥ずかしい」

「言ってよ、お願いだから」


 懇願されて、アイナは彼を見上げた。そして生まれて初めてその言葉を人に伝える。今まで誰にも伝えたことのなかった、その言葉を。


「サイラス……好きだ」


 耳のそばで心臓が鳴っているようだ。ドクドクと流される血流を、耳で感じることができる。

 サイラスの目は細く微笑み、頬は少し嬉しそうに色づいていた。


「ありがとう、すごく嬉しいよ」

「うう、恥ずかしくて死にそうだ……」

「結婚してくれるよね?」

「そ、それは……っ、待って」


 ストップを掛けると、サイラスはオーケーをもらう気満々だったのか、アイナの言葉を聞いて明らかに凹んでいる。


「え、なんで……やっぱり僕より隊長の方が……?」

「ち、違うよ! シェスは関係ない!」

「じゃあ、どうして……」


 アイナは横を向き、己の髪を触った。やはり、パツンと途中で虚しく途切れている。


「髪、短いから……もう少しだけ、長くしてからがいいんだ」

「……どういうこと?」

「結婚式、したいんだ。サイラスに髪を編み込んで貰って……」


 いい年をした女が、少女のような発言をしてしまい、大いに照れた。でも、憧れだったのだ。真っ白なウエディングドレスに包まれて祝福されるのが。

 アイナが恥ずかしくて頬を染めていると、サイラスは嬉しそうに微笑んで頷いてくれる。


「うん、わかった。アイナさんの髪が伸びるまで、待つよ。結婚式、ちゃんと挙げよう」

「いい……のか?」

「いいよ。待ちきれなくなったら、僕の髪を切ってカツラを作ってもらうから」


 そう言ってサイラスは抱きしめてくれた。

 彼の長い髪が頬に触れ、アイナはくすぐったくて身を捩る。


「逃がさないよ。ようやく僕の想いが届いたんだから」


 そんなサイラスの言葉にアイナは笑みを見せる。もう逃げる気など、起きるわけがなかった。

 アイナは強く抱きしめてくる彼の体を、負けじと抱きしめ返していた。


ーーーーーーーーー


フォロー、★レビュー、♡応援、とても力になります。

最後までお読みくださりありがとうございました。


→次の作品を読む

『隻腕騎士は長髪騎士に惚れられる』

https://kakuyomu.jp/works/16817330648724346548



→前の作品を読む

『『主役は貴女です!』』

https://kakuyomu.jp/works/16817330648723376225



シリーズでまとめた作品一覧はこちらからどうぞ!

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/rk5Gail1hzaxSis63deP90imcruwuoIv

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隻腕騎士は長髪騎士に惚れられる 長岡更紗 @tukimisounohana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ