第134話

 さっきの車だろうか、と街灯のあるところを右に曲がる。この細い道の先を曲がれば薄緑色の建物が見える。

 

 私は表情を緩ませる。


 相変わらずこの道は真っ暗だが今日はあの時のような怖さは感じない。到着間近。そんな安心で漕ぐ足を止めた時、前方に何か光るものが見えた。


 物というよりも人で恐らく光っているのは懐中電灯だろう。ほぼ道の真ん中をよろよろと歩いている。ちょっと危ないからと私はスピードを落とした。


 近くまで行って避けようとした時、



「すみぃ~ましぇん」と声を掛けられた。

 声の調子からしてお年寄りかもしれないと私は自転車を止めた。


「あのぉ~です…ねぇ――」


 腰を大きく曲げたおじいさんと思われる人の声は小さい上にモゾモゾと喋るので離れていると聞き取れない。


「なん‥でしょう?」


 私が息を切らしながら近付こうとすると背後から車が来るのが見えた。このままでは危ないから道の端に避けるよう言いかけた時だ。突然止まった車に何事かと振り向いた瞬間、口元を布のようなもので強く抑え込まれた。


 私は驚きのあまり激しく抵抗した。しかし、それが出来たのも数秒だけだった。





―――「もぉ~っ!潤ちゃん。ちょっとやりすぎ。ホントに驚いて心臓が止まりそうだったんだから」


「いや、ごめん!ホントに悪いと思ってる。でも敵を騙すにはまず味方からっていうだろ?」


「敵って聡子さん?」


「あ~、出張から今日帰るって話しちゃったからさ。家にいるとなんだか嫌な予感というのか――」



 私は車の後部の空間とも言える場所で潤ちゃんと話していた。潤ちゃんが顔を寄せて来る。そして唇と舌が絡み合う。私は無意識に潤ちゃんの下半身まで手を伸ばす。ついクスッと笑ってしまった。


「潤ちゃん‥‥凄い」


 そう一言呟いて私は徐々に顔を近付ける。上の方で潤ちゃんの声にもならない声が聞こえる。もう誰にも遠慮はいらないと私は待ちわびたものを手にしたように、頭を前後に揺らし続ける。それから一度口を拭って潤ちゃんを引き寄せた。


「普通の車と違って広いから楽だろ?」


 寝転がっても左右にゆとりがある。潤ちゃんのブルーバードだったらこうはいかない。


「借りて来たの?」


「あ~、今日は特別な夜だからな」



 言いながら潤ちゃんは私を上から見下ろした。


 次の瞬間、私の足は痙攣した。今日で二度目だからと思っても、瞬時に一つになったことには驚いた。もっとも私の方が準備万端過ぎることもあったかもしれない。


 車が振動と共にギシギシと音を立てる。自転車で走り続けた時のように私は小刻みに吐息を漏らした。幸せしかない。

 


 勝ったんだ。私は聡子さんに。


 急いで来た甲斐があった。疲れが嘘のように消えていく。

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