第105話
―――「君、かわいいね」
家に帰ってからも、ほとんど言われたことのない言葉が何度となく頭の中にこだまする。鏡をじっくりと眺めた。ニコって笑ってみる。本当にかわいいのだろうか。感じ方はひとそれぞれ。
もしかしたらあの男性にはそう映ったのかも。でも、と私は首を振る。いくらなんでも有り得ない。一人あれこれ考えて寝る時間まで過ごすのかと、ちょっと憂鬱な気分になりかけた時、ガラス戸の外で声がした。
「梨絵ちゃん!」
こんな時はホントに頼りになる妹分だ。私はガラス戸を開けて梨絵を招き入れた。
「玄関じゃなくていいんですか?」
「いいの、いいの、上がって!」
梨絵はいつもの場所に腰を下ろすと、私の顔をまじまじと見つめる。
「先輩、何かあったんですか?」
普段と何か違うと梨絵も感じ取ったのだろう。やはりそこは女だ。実はと言って午後に来た男性のことを話した。
「えっ?そんなにカッコ良かったんですか?」
「もう、ハンサムなんてもんじゃないのよ。一瞬クラッと来ちゃったもん」
「も~、先輩は八神さんって人が居るっていうのに―――」
梨絵にはいつだったか夜に電話が来た時に、付き合ってる人がいることを話していた。さすがに下の名前を聞いた時は梨絵も驚いたようだ。話ついでにうるおうという字を書くのだと話すと、案外すんなりと理解したらしく、私はちょっとだけ焦ったりもする。付き合いだした経緯も伝えたが、聡子さんのことは伏せておいた。
「なんだかんだ言っても、あくまでお客さんだから」
「でも女性ってそういうところありますよね。カッコいい人とか見ると、ついって」
「男だって同じかもしれないけどね。奇麗な奥さんとか居るのに浮気したり」
「で、先輩も浮気したくなっちゃったってオチですか?」
「ち…違うわよ」
慌てて否定してみたものの、正直なところ絶対ないとは言えないような曖昧な気分だった。まだまだキスをしたばかり。潤ちゃんのことは好きだけど、その思いは聡子さんにも負けてるような気もする。
「それで今日はどうしたの?」
「う~ん‥‥」
複雑なトーンからも涼ちゃんのことだと思って訊ねた。どうやら図星だったみたい。
「実は‥‥‥‥別れちゃったんです」
いきなり言われて正直驚いた。私の予想ではこのところうまくいってない程度だと思っていたからだ。
「別れたっていつ?」
「‥‥ちょっと前」と言って梨絵はポツリポツリと話し出した。
「涼ちゃん、会うたびにしたがるんですよ。私も最初は愛されてるんだって嬉しかったんだけど、たまには二人だけでゆっくり過ごしたい時だってあるじゃないですか。それで涼ちゃんに言ったら、そんなんじゃわざわざ来る意味がないって――。その時思ったんです。身体が目的だったんだって」
「そう‥‥」
仲の良さそうだった二人の姿が頭に浮かんだ。
「それで?」
「するために来るような人にはもう会わないって」
それで今に至るということなのだろう。それ以上は訊かなかった。
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