第103話
それ以上は訊かなかった。聡子さんが仮に潤ちゃんと肉体関係があるのだとしたら、ここに来た時点で私はきっと外に追いやられていたはず。それをせず帰ったのは友達という境界線を保っているからだろう。
でもそれは今の私だって似たようなものだし、もしもこれから深い関係になったとしても、聡子さんに帰れとは言えないような気がする。
もう一杯飲むと訊かれたので淹れてもらったけど、聡子さんの効果はてき面なのか、会話は萎んだボールのように弾まなくなった。
それから私は潤ちゃんに家の近くまで送ってもらった。ムードは台無しになっちゃったけど、階段を一つ上ったので良しとしよう。
翌日、仕事から帰った私は潤ちゃんにもらったテープをラジカセにセットした。再生ボタンを押すと軽快な音楽が流れ始める。潤ちゃんの車で聴いたのと同じだと、当たり前のことを思いながら何をするわけでもなく、ずっと耳を傾けた。
動物園に向かう景色を思い浮かべながら自然と身体が動きそうになる曲が二つ終わると、それまでと違った落ち着いたピアノのイントロが始まる。歌もゆったりとしていて聴いていて心地いい。カセットケースの中に手書きで曲名が書かれている。
『ワッツ・ザ・リーズン』という歌だった。
いつか自分の車を手にしたら、これを聴きながらドライブしてみたいと判らない英語の歌詞に思いを馳せた。
電話をもらったのは日曜日。だから火曜の今日は潤ちゃんが、と思ったら、月曜にも電話があったことを思い出した。ということは私が掛けた方が良いのかな。もうすぐ九時。どうしようと迷った挙句、最後はどっちでもいいと掛けてみることにした。
何度も掛けているから名刺はもう見なくても大丈夫。引き込んでいた電話のダイヤルをスイスイと回す。昨日の一件があったからなんて考えながら受話器を耳に当てると話し中を知らせる音が。
なんだか嫌な予感がする。五分後に電話をしてみたけど、やっぱり話し中だった。相手は聡子さんだろうかと、諦めかけた時、電話のベルが鳴ってビクッとした。
「もしもし」
《あ、川…由佳理?》
「まだ、慣れない?」
《ま~なんて言うか。それよりどこか電話してた?》
「ううん。っていうか潤ちゃんの家に掛けたんだけど、誰かと電話してた?」
《いや、いつも通り九時ちょうどに掛けたんだけど》
お互いここで理解したのか、二人してげらげら笑ってしまった。同じタイミングで掛けてたなんて偶然にしても出来過ぎ。ホントおかしい。
《じゃ、またそのうち掛けるよ》
「じゃ、私もそのうち」
二十分くらい話をして受話器を置く。考えたら電話をしない日だってある。二人とも聡子さんのことが引っかかっていたのかもしれない。最後に交わした、そのうちって響きが焦らずに行こうと言ってるようで心が温かくなった。今度はいつにしようかと考えながら眠りに就いた。
金曜に休みを入れていたので、本日茜さんはお休み。頼れるお姉さんが居ない分、私一人で頑張らなくちゃ、とお昼を食べた午後もお店の中を忙しく動き回っていた。
突然、背後から「すみません」と声を掛けられ私は営業スマイルを浮かべて振り返る。店員にとってこれは日常茶飯事。
しかし、その直後、ドキューンとピストルに撃たれたような衝撃が身体に走った。
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