第102話
潤ちゃんが玄関に向かう。数秒後に扉が開く音が聞こえ、聡子さんの声が耳に届く。
「誰か来てるの?」
私のパンプスを見たのだろう。もしかしたらそれで帰るのかと思ったら、スタスタと上がり込んで来た。私と目が合う。刺すような視線だ。
「もう部屋に連れ込んだの?」
「黙って上がり込んで、連れ込んだはないだろ」
「お邪魔しますなんて言ったことがある?もしかしたらお楽しみの真っ最中だったかしら?」
吐き捨てるように言った後で、聡子さんはゴミ箱の中を覗き込み鼻で一つ笑った。
「急用でもあるのか?」
「別に用がなくても来たっていいでしょ?友達なんだから」
最近この台詞は嫌味にしか聞こえない。でも今はなんとなく響きが違って聞こえる。友達以上になれた感覚がそう思わせたのかも。
一通り部屋を見回した後で、「じゃ、私は帰るから――」と聡子さんは背中を向ける。それから思い出したように手提げの中から紙袋を取り出した。
「そうそう、今日患者さんにお菓子もらったから、良かったら二人で食べて」
スッと紙袋をテーブルに置いてから、再び手提げに手を入れる。
「あ、あとこれも必要かしら?」
指先には小さな袋が挟まれている。コンドームだった。
「おい!そんなの要らないよ」
「あら?着けないの?もっともちゃんと川島さんが持って来てるでしょうから要らないか」と吐き出すように言うと聡子さんは階段の音を響かせた。しばらく背中を見せていた潤ちゃんは腰を下ろすなり、ごめんと言って煙草に火を点ける。私は黙って首を振るだけだった。
「女の勘‥‥かな?」
ポツリ呟くと、潤ちゃんは私に顔を向けた。
「私がここに来てるんじゃないかって――」
「考え過ぎ‥‥って言いたいところだけど、案外有り得るかもな。あいつは昔から勘だけは特に鋭いからな」
差しに来たのは水なのか、釘なのか。いずれにしても自分の存在を見せに来たのは確かだ。
「潤って呼び捨てなんだ‥‥聡子さん」
嫉妬を抑えて何気ない調子で言うと潤ちゃんは「昔からな」とひと言。
「だからドアの音だけでわかっちゃうって?」
「聡子の車は古いミニでドアのヒンジが悪くて一度ぶつかるように閉まるんだよ。ガガンって感じで、それでわかるんだけどさ。あ~あ、聡子に借りなんか作らなきゃ良かった。と言っても、それが無かったら川‥‥由佳理と出会えなかったかもしれないしな」
「出会えなかった?」
「前に話したことがあるだろ。聡子が間に入ってくれなかったらって。当時、あの連中はやり出したら歯止めが効かない時があってさ。ちょうどあの頃だったかな。一人死んでる奴もいるんだよ。それで何人か逮捕されてさ」
それを聞いて私はしばらく声が出せなかった。その話が本当ならば聡子さんは命の恩人って可能性もある。潤ちゃんが頭が上がらないのも仕方がない。
「あんなの‥‥持ち歩いてるんだね。聡子さん」
ゴムともコンドームとも言えず、黙っていようとも思ったけど、気になったのか口に出てしまった。
「いきなり出された時にはビックリしたけどな。何でも看護婦連中の間でやり取りがあるんだって聞いたことがあるよ」
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