第101話
その声に私は八神さんの目をじっと見つめる。不意に茜さんの言葉が脳裏に浮かんだ。いよいよ白状する気になったのかと目を逸らしかけた時、
「仕事で疲れたからベッド貸してなんて言って、いきなりそこで横になって――。スカートなのに脚広げたりしてさ」
呆れたように言った後で、八神さんは顔を左右に振った。
コンコンコン♪と背後から階段の音が響く。誰かが上って来たようだ。部屋のすぐ脇にあるせいか意外とよく聞こえる。急に嫌な予感がした。
まさか―――。
「良く聞こえるんでビックリしただろ?あの音は一番奥の部屋の人だな」
「そんなことまでわかるの?」
「最初はわかんなかったけど、何度も聞いてるとだんだんわかるようになって来たってところかな」
得意そうに言ってから八神さんは腰をあげて私の隣に座った。心地いい緊張が身体を包み込む。その時が来たと思った。八神さんの方を向いて目を半分ほど閉じかけたら、「川島さん」という声で再び目は元に戻った。
八神さんの顔がすぐ近くまで来ている。私は掌でそれを遮った。
「苗字で呼ばれたらムードが台無しになっちゃう」
「それも‥‥そうだな。じゃ、由‥‥佳理さん」
「やっぱり友達以下なのね。友達の聡子さんは聡子って呼んでるのに」
この一言は八神さんに決心を与えたようだ。
「由佳理!」
耳元に届く優しい響きは私に魔法をかけてくれたみたい。私は静かに目を閉じた。
やがて唇に何かが触れる。温かくて柔らかな感触。もちろん私にとって何度も経験したことのあるキスなのに、重ね合った瞬間、電気が流れるような感覚があった。その時思った。
これが私のファーストキスなんだって。
「これでやっと友達に昇格ね」
私がホッとしたように呟くと再び八神さんに唇を奪われた。今度は我慢できなくなって私から舌を入れちゃった。八神さんもすぐに応えてくれる。ほんのりと煙草の味がした。どのくらいそんな時間が続いたのだろう。重ねた唇が離れた時には八神さんの口はほんのりと赤くなっていた。それを拭いもせずに八神さんは天井を見上げた。そして一言呟いた。
「今ので友達以上じゃないか?」
そうかもしれないと八神さんの肩に頭を預けた。有り得ないと思いつつも今日はお気に入りの下着。このまま抱かれても良いと思った。
「潤ちゃん――」
「由佳理」
今度はとても自然に聞こえた。ちょっとだけ友達を超えられたような気がする。これからは私も潤ちゃんと呼ぼう。
再び離れた唇が近付こうとした瞬間、車のドアの音が聞こえ、潤ちゃんが「聡子だ」と階段の方に顔を傾けた。咄嗟に見えた赤い口に慌ててティッシュを差し出すと、戸惑った表情の潤ちゃんは私の目線で気付いたのか、すぐに口元を拭ってゴミ箱に放り込んだ。
私は乱れた髪を整えるようにして場所を移動する。直後、扉をノックする音と共に声が聞こえた。
「潤、私!」
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