第92話

―――「私はここで良いんでしょ?友達なんだから」


 別に構わないという八神さんの声を聞き、雪子叔母さんに同じものをと手を挙げる。は~い、という声が少し裏返る。せめてもの救いは他にお客さんが居なかったことだけだ。


 私は訪れるだろう沈黙を破るように口を開いた。



「初めまして、川島と言います」


「ここで働いてた人よね。名前は知らなかったけど。私の名前はもう聞いてるでしょうから言わなくても良いわよね」


 私は黙って頷く。その時、お待たせしましたとアイスコーヒーが三つ運ばれてきた。雪子叔母さんが立ち去った後、口を開いたのは八神さんだった。


「それで、今日はなんの用?」


「特に用って用はないんだけど、ここに来たらあなたが居るかなって思って。ちょうど暇で退屈してたから話相手にでもって―――。そっちは暇でもなかったみたいね」


 鼻で一つ笑ってから、聡子さんは私達の服装に目を向ける。それからストローを咥えて何も入れないアイスコーヒーを一気に半分ほど減らす。


「ここんところ姿を見せないからどうしたんかなって―――」


 気まずい空気を変えようと八神さんが少しだけ笑顔を浮かべる。聡子さんの目つきが一瞬鋭くなった。


「あら?心配してくれてたの?てっきりもう私のことなんか忘れちゃってるのかと思ったわ」


 八神さんは思わず苦笑を漏らして小さく顔を横に振った。



「忘れることもないか。だって友達ですもんね」


 私は聡子さんの顔を見るのがなんとなく怖くてテーブルの上のグラスを眺めていた。すると声が掛かった。



「川島さん?潤ともうしたの?」


 あまりに突然すぎて私は声にならない声を漏らすのが精一杯だった。


「聡子!くだらないこと言うんだったら帰ってくれ!」


 八神さんの声に一つ鼻で笑うと、聡子さんは私をひと睨みしてお店から出て行った。私は小さく息を吐き出す。隣からも同じような音が聞こえた。向かい側の席が空いたので移動しようと腰を上げると、ここで良いと言って八神さんは私の手を掴んだ。その手の温もりが私にはとても心強かった。




―――「しっかし、面と向かってしたのって、ただ物じゃないね、その女は」


 茜さんが驚くのも無理はない。しかし、ここで終わらないのも茜さんだ。


「あたしだったら、やったの?って言っちゃうかも」


 そこでクスッと笑って私を見る。呆れたような視線に気を取り直したのか、冗談だからと言って、


「こうなったら彼女より先に子供でも作っちゃったら?」


「子供?」


「そう!そうすりゃ彼女だってさすがにあれこれ言えなくなるでしょ。女の最終手段!」


 茜さんの言うことも一理あると考え込んだ時、その前の台詞が気になって口を開いた。


「先にって、彼女はただの友達だからそういう関係は無いって」


「そんなの嘘!嘘!男はみんなそう言うの。酔っぱらって運転してる奴が飲んでないっていうのと一緒。うかうかしてると彼女が先に子供作っちゃうわよ。そうしたら由佳理が今度は除けもんにされるんだからね。作り方くらいは知ってるんでしょ?」



 そう言ってウインクすると茜さんは、このツナギ緑色に替わらないかな~と呟きながら売り場へと向かって行く。


 一人残った私は茜さんの言葉を頭の中で繰り返した。

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