第91話

「ちょ…ちょっとどういうことなの?」


 驚くのも無理はない。説明しようと口を開くよりも雪子叔母さんの声の方が早かった。


「あのお客さんって恋人がいたんじゃないの?つい今しがたも居ないかってあのボブの女性が覗きに来たわよ」


 言い終わるとほぼ同時に鐘が騒がしく店内に響く。その音に振り返った私は目を大きく見開いた。聡子さんだ。聡子さんはこちらに目を向けることも無く、奥のテーブルへと真っすぐ向かって行き「一足違いだったみたい」と八神さんの向かい側に腰を下ろした。



「ちょっとそこは―――」


 八神さんの服と言葉に聡子さんは何かを感じ取ったらしく、カウンターの方に目を向けた瞬間、私の視線と聡子さんの視線が重なり合った。口を少しばかり開けた聡子さんは再び八神さんに顔を向ける。じっと黙ったまま何も言わなかった。そんな状況を視界に捉えながら私はゆっくりテーブルへ向かう。そして、八神さんの隣の席に腰を下ろした。


「アイスコーヒーで良かったよね?」


 目のやり場に困るような感じで八神さんに問いかけると「良いよ」と八神さんは軽く笑いながら私を見た。私は雪子叔母さんに向かって指を二本立てて見せる。三人の経緯が気になっていたのだろう。人形のように立ち尽くしていた雪子叔母さんは、そこで我に返ったとばかりに手を動かし始めた。



 ガチャン!カウンターの方から何か割れた音が聞こえた。




「あたしも居合わせたかったなぁ~」


 火曜、ロッカー前で着替えていた茜さんは脇の辺の肉をブラに押し込みながら呟く。今日も緑色の下着だ。いったい何着持っているのだろう。


「そんな‥‥もう他人事みたいに―――」


「でもそういうただならぬ雰囲気って傍から見てるとけっこう楽しかったりするでしょ。ほら、よくドラマとかでもあるじゃない。ま~あたしの場合だと相手の車が速いのか遅いのかって探り合ってる感じかな」


 そう言いながら茜さんは私の着替えるのをじっと見ていた。


「ちょっと、由佳理の胸の肉、少し分けてくれないかな~」とスッと手を伸ばして私の胸を数回揉む。私は慌てて身体を捻った。


「あれっ?白いブルの彼以外には触らせないって?」


「誰もそんなこと言ってませんよ」


「でも、もう少しは触らせたんでしょ?」


 ただの悪ふざけとも思える言動も、茜さんが気を紛らそうとしてくれてるのだと私にはわかっていた。なまじ同情されるよりは気が楽になって良い。


「でもその彼女も手強い感じだね~」


 茜さんには名前ではなく彼と彼女としか伝えていない。詳しく話す必要もないし、それだけでも十分伝わる。私は茜さんの言葉に日曜の午後の一コマを回想した。

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