第90話
「初心者マークっているんですよね。免許取ったのが八月だから―――」
「だったらもう一年経ってるから大丈夫」
「運転‥‥出来るかな~」
「免許持ってるんだから」
八神さんのいうことももっともだ。このままでは運転の仕方も忘れてしまいそうな気がして、少しだけと言って運転席に移動した。それからシートを前にずらしたりしてペダルと足との距離を確かめる。もうちょっと前かもと、またシートを動かす。ハンドルを前にした途端、緊張が身体を包み込んだ。
「シートベルトは?」
教習所じゃないからと八神さんは笑った。
クラッチを踏み込む。久しぶりなのでとても重く感じた。そして、ギアをローに入れる。ゆっくりアクセルを踏みながらクラッチを離す。
ガクガクっとなってエンジンが止まる。エンストだ。落ち着いてと横からの声でエンジンを再始動し、もう一度同じことを繰り返す。今度はうまく走り出せた。でも緊張感が凄くてハンドルを握る手が汗ばんでいるようにも感じる。ギュッとハンドルを握りしめる。
「後ろから車は来ない?」
ミラーを見る余裕も無くて私は八神さんに声を掛けた。八神さんが身体を捻って後ろを確認する。
「大丈夫!後ろから車は来てないよ」
「あっ!前の方に自転車が走ってる!」
「自転車はちゃんと避けてくれよ!」
法定速度四十キロの道を四十キロか、それ以下のスピードで走り続けていると、次第に勘が戻って来たのか、フェンダーミラーとかも見る余裕が出て来た。強張っていた身体も徐々に楽になっていくような感じがする。
「運転して見て思ったんだけど、この車ってなんだか前が見やすい」
「俺も最初に乗った時にそう思ったよ。箱型だからかな~」
八神さんも徐々に落ち着いてきたらしい。それでも時折、後ろなどに目を向けている。どのくらい走っただろうか。そろそろ代わるよと言われて、私は左に車を寄せて止めた。
「いや~、教官の気持ちがわかったような気がするよ」
運転席に戻ってシートの位置を直しながら八神さんが楽しそうに話す。
「やっぱり怖かった?」
「ちょっとだけね。でもちゃんと乗れてたよ」
久しぶりの運転でドキドキしたけど、いい気分転換にもなったみたい。それからは妙に会話も弾んだ。
聖南市に入ったところで、せっかくだから美味いコーヒーでも飲みにいかないかと八神さんは『花梨』の名前を口にした。私も八神さんも良く知ってる店だが、二人で行ったことは無い。別にやましいこともないし、雪子叔母さんにも彼を紹介したいと私はOKした。
カランコロン♪
お店には私が先に入った。雪子叔母さんがすぐに笑顔で迎えてくれる。しかし、後ろの連れと思われる人物を見て、急に笑いがぎこちなくなる。はにかんだ顔で軽く会釈をして歩を進める。
八神さんの指定席だ。今日もそこは誰かを待つように空いている。雪子叔母さんはおめかしした二人が揃って歩くのを見て、どう思っただろうと、テーブルに着いた途端、カウンターの奥へ隠れるように下がって私を手招きした。
勝手知ったる店だから自分で水くらい運べとでも言われるんじゃないか。なんてそそくさと向かって行く私の目に映ったのは雪子叔母さんの複雑な表情だった。
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