第89話

「しばらく黙ってたんだけど‥‥そっか、って一言」


「それだけ?」


 まさかと思って訊ねると、八神さんは穏やかな表情のまま首を左右に振った。


「私はお払い箱なのねって。ったく良い台詞が出るよな」


 その時のことを思い出したように言葉を連ねる。


「お払い箱もなにも、聡子とは今まで通り友達として付き合っていくからって話したんだよ。そしたら目を吊り上げてさ。それでハイそうですかって私が納得するとでも思ってるのって。あんなション―――。ま、これはどうでも良いんだけど」


「なに?聞かせて?」


 嫌と否定した後で、


「あんなションベン臭い女に入れ込んでって。さすがにその一言にはムカッとしたんで帰れって追い出したんだけど。あいつ怒ると口も悪くなるからな」



 言い終えてから八神さんは吐息を一つついた。オバサンにでも言われるのならともかく、歳だって少ししか変わらない聡子さんにそんなことを言われるとは思ってもみなかったので私もちょっとムッとした。とは言いつつ、なんだか聡子さんの気持ちもわかるような気がする。


「そのあとって?」

「いや、それからは特になにも。電話もないし顔も見せてない」


 近くにある灰皿で煙草をもみ消すと、他のも見てみようと八神さんが手を差しだす。私もその手をすぐに掴んで歩き出す。話を聞いたからか、しっかり掴んでいようと自然と力が入る。八神さんも握り返してくれた。それでも心は今一つ浮かない。

思っていた以上の難敵に気弱になっているのかもしれない。



 園を出て少し走ったところでお昼を済ませ、車は聖南市に向けて走り始める。時刻は午後の一時を過ぎたあたりだ。動物園は楽しかった。その楽しさから聡子さんの話を引くと差し引きゼロとは言わないまでも、楽しさのレベルはガクンと下がった感じだ。


 ついそんなことを考えていたら口が開いてしまった。


「ねぇ~。私って‥‥‥その、オシッコ臭い?」


「えっ?なんだ!漏らしちゃったのか?」


 私の言葉に八神さんは慌てて横を向いた。


「もぉ~っ!漏らしたりしてない!」


 私はすぐに否定し口を尖らせた。それから、さっきの話と付け加える。


「あ~!聡子の言った話か。考えてみたらあれは聡子がちょっと気にいらない女に対して昔から使ってる言葉でさ。男に言うやつもあるんだけど、ここではそれはやめとくよ」


 前を見ながら八神さんは照れ臭そうに笑った。


「そうそう、そういえば免許取ってから車って運転した?」

「ううん。だって車がないから」


「そっか。でも乗らないと感覚が―――」


 そこまで言って、この車を運転してみないかと言われた。


「これを?」

「そう!」


「だってぶつけたりしたら」


「大丈夫、ちゃんと保険に入っているから。それにこの辺は田舎道だからほとんど車も来ないし―――」


 言い終わる頃には道の傍に停車していた。確かに車はほとんど走ってない。

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