第75話
学園祭終了の三十分前だっただろうか。あまりに意外な人がやって来たので私は驚いてしまい、つい自分の居場所を間違えそうになった。
「まだ、大丈夫かな?」
穏やかな声と表情に他の三人の視線が集まる。僅かな間をおいてここが高校であることを思い出した私は「三十分くらいなら」と応えた。
男性はゆっくりとした足取りで奥のテーブルへと向かう。ここでも奥なのかと笑いそうになるのを堪えて、私はコーヒーの準備に取り掛かる。白い長袖のポロにカーキ色のズボンの男性をチラリと見て、
「誰?由佳理の知り合い?」と友子が声を潜める。私はバイト先の常連さんと話して美幸に注文を取るように頼んだ。
「ホットコーヒー」
そんな言葉が耳に届くころにはドリップにお湯を注いでいた。出来上がったコーヒーを誰に頼もうかと思っていると、ここは由佳理の出番と三人がどうぞとばかりに掌を向ける。
私は三人の顔を順番に見た後、トレイにコーヒーを載せて男性の元へ向かった。なんだかお店でバイトしているみたい。
「早いね」
あまりのスピードに男性は驚いて見せた。
「たぶん、ホットだろうって」
私の声にこくりと頷いて、男性はカップを口に運んだ。
「お店ほど美味しくないかもしれませんけど」
「いや、意外と言っちゃ失礼だけど、負けてないよ」
ホッと聞こえないように息を吐き出してから、男性の近くに腰を下ろすと、男性は待っていたように口を開いた。
「案内が貼ってあったから『花梨』のママに訊いたんだよ。高校生の娘さんでも居るんですかって。そうしたらここでバイトしてる子よって言うからビックリしたって言うか。まさか学生だとは思わなかったから―――」
「ちょっと老け顔ですからね」
笑いながら返すと男性は慌てて手を振った。
「そういう意味じゃなくて、もうちょっと大人に見えたから」
私は誉め言葉と受け取って優しく微笑んだ。
「あの、お名前伺ってもよろしいですか?何度もお会いしてるんですけど‥‥」
次に続く言葉を男性はくみ取ったように、
「
八神さん‥‥か。
「何度も会っててもお客さんの名前なんか知らないもんな」
言われてみればもっともだ。
「私は川島です。下の名前は良いですよね」と私も自己紹介をした。今頃になってと私もつい笑みが零れた。不意に感じた視線に振り返ると、三人が怪しげな笑みを浮かべてこちらを見ている。なかなかいい雰囲気とでも言いたい感じだ。だから私も違うのよと三人を睨み返した。
「今日はお一人で?」
「ま~。一人で来るには勇気がいるようなところだったから、あんな奴でも居れば役に立つかなって思ったんだけど、結局一人の方が気が楽だろうって」
「お友達‥‥って言ってましたっけ?」
「そう。ただのね」
女性の雰囲気から果たしてそうだろうかと思ったが、これ以上訊くのも気が引けると別の話題に切り替えた。
「隣というかB組もご覧になったんですか?」
クラス名よりも声の調子で悟ったらしく、八神さんは顔を左右に振った。
「とてもじゃないけど俺は入れない。でも勇気があるっていうのか、男の子が何人か見えたよ」
前半は予想通り。でも後半の話には目を見開いた。そして、どんな顔して眺めているのか覗いてみたくもなった。会話の合間に八神さんはコーヒーを啜る。それから何かを思い出したように私の目を一度見てから視線を下げた。
「前に渡した‥‥紙っていうか、あれってもう‥‥無いよね?」
数メートル離れた三人には聞こえないほどの声だった。
「あ‥‥まぁ。処分‥‥というか」
私も弱々しい声になった。
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