第76話

 八神さんはそれを聞いてうんうんと頷くように立ち上がった。


「じゃ、今日はこれで帰るよ。またお店の方にでも顔出すからさ」


 残念な気持ちを切り替えた。八神さんの足取りからは、そんな思いが感じ取れた。



「ちょっと何?由佳理の彼氏?」


 教室から八神さんが出て行くのを見送った三人はすぐに私に駆け寄った。


「ううん。バイト先の常連さんって話したじゃない」


「そう?」


 どうも三人は腑に落ちないと言った様子だ。


「ありゃ、由佳理に惚れてるって感じだね。で、由佳理もまんざらじゃない」


 友子はそう言って私のスカートの中に手を差しいれた。私は咄嗟にガードした。


「もう、ここ調べりゃすぐわかるんだから。皆で押さえ付けて由佳理のパンツB組に貼り出しちゃおうか」


 この三人ならやり兼ねないと、私はスカートを押さえつけるようにして説得した。



「ホント!お店のお客さんだって!」



 後片付けは夜まで掛かった。帰宅したのは八時頃だった。部屋に入り込むなり私は大の字になって倒れ込んだ。


「由佳理、晩御飯はどうする?食べる?」


「ううん、いらない。A組の焼きそばもらって食べたから」


 食べたのは五時ごろだったが、疲れているせいか一向にお腹も空かない。お風呂に入ることすら億劫になっている。どのみち明日の月曜は振替で休みだ。このまま寝ちゃってもいいだろうと目を閉じた。慌ただしかった学園祭の光景が映画のように頭に浮かんだ。


 A組も良かった。B組は過激だったな~。小池君は相変わらずって感じか。友子のあのセリフは最高だった。瞼を閉じながら笑いが出た。わざわざ来てくれたんだな~安藤君。まさか京子の友達だとは知らなかった。なんかいい雰囲気だった。


 それから‥‥八神さん。


 八神さんって言うのか。何回もお店に来てくれていても訊くとしたら注文くらいだからな。八神さん。下の名前はなんて言うんだろう。閉じた瞼の向こうに穏やかな笑みが浮かぶ。


 友子達にはお店のお客さんだなんて言ったけど、あの後トイレに行って友子達の勘もまんざらじゃないと思った。私が梨絵のことがなんとなくわかるように、彼女たちも何かを感じ取ったのかもしれない。


 感じ取った?それって‥‥いったい。


 順ちゃんが亡くなって二年。小池君とバイクを乗ったことで閉鎖的な心に空いた穴が、時間と共にさらに広がっているのかもしれない。そろそろ恋をしても良いと。


 でも、と私は寝返りを打つ。八神さんには彼女がいる。八神さんは友達だって言い張るけど、彼女が八神さんを見る目は友達なんかじゃない。



 メモ‥‥。


 その時は恋に否定的だったからすぐに捨てちゃった。ダイヤルした記録でも残っていれば別だけど、私の頭の中にはもうあの番号は一つも残っていない。仮に番号でも覚えているくらいの頭があれば、補習なんか絶対受けなくて済む。もう一度教えてくださいなんて言えないだろうな。


「八神さん‥‥か」


 吐息のように呟くと、目つきの鋭い彼女の顔が浮かんで、私は目を開いた。あの目は私を寄せ付けない目だ。恐らく彼女も感じているんだろう。八神さんが私に好意を持っているということ。そこで私はちょっと笑っちゃった。


 そもそも八神さんに電話したのって一年も前じゃない。あそこで付き合えないってはっきり断ったのに、未だに好意を持ち続けるなんて普通じゃ有り得ない。


 とんだ独りよがりと私は起き上がってお風呂に向かった。疲れていても汗臭いままで寝るのはよそう。どうせ明日はお昼ぐらいまで起きられない。


 それにしてもいろいろあって面白かった。お風呂から出た私は髪も乾かずに布団に横になった。


 明かりを消して瞼を閉じたと同時に深い眠りへと就いた。

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