第48話
メニューを見終わったタイミングでそっと歩み寄ると、
「先週は悪かったね」と男性はさりげなく口を開いた。
「いえ」と私は首を振る。向かいに座る女性が疑問そうな顔で私をひと睨み。この視線が身体に刺さる。
とは言え、私は男性を見て胸を撫でおろした。来てくれて良かった。常連さんをまた失ったりしたら雪子叔母さんに心の中で謝らなければならない。
注文を聞き終えた私は先週の電話を思い出す。
―――「付き合う?」
《あ‥‥もちろん付き合ってる人がいなければって前提だけど》
前提という言葉がなんだか頭に引っかかる。
「お付き合いしてる人はいませんけど‥‥」
そう呟いた後で視線のきつい女性が頭に浮かんだ。最近そういえば一緒に来ていない。だとしたら別れたとか。それにしても気持ちの切り替えが早すぎる。
「確か彼女がいらっしゃいましたよね?」
確認だけはしておこうと言葉を続けた。
《彼女?》
「ええ…恋人というのか」
《こい‥‥‥》
そこまで口にした時、男性は声をあげて笑い出した。
《いやいや、あれは彼女でもなんでもなくてただの友達――》
とんだ誤解をされたとその口調は愉快そうだ。でも私にはそう映らない。これは女の勘。あの男性を見る目は友達の領域じゃない。
「そうなんですか?」
だから私の声も半信半疑だ。
《いわゆる女友達ってやつ。付き合いだけは長いんだけど肉体関係とかは‥‥‥。あ‥‥なんだか厭らしい話に聞こえちゃったかな?》
「‥‥いえ」と一言呟いた後、私は順ちゃんのことを正直に話した。
「だからお気持ちは嬉しいんですけど、まだ今は誰ともお付き合いしたくないというか―――」
男性からの次の言葉には時間が掛かった。
《そう‥‥それじゃ仕方ないね》
常連さんを失ってしまう予感に、
「あ‥‥あの。こんなお返事しといてあれですが、出来たらお店にはまた来ていただけないかって。そうでないと私困りますから」と慌てるように付け加えた。
《わかった。必ずまた行くから》
男性の穏やかな声に私はホッと息を吐いた。
ブレンドとレモンティーをテーブルへと運ぶ。すると私を待っていたように女性が口を開いた。
「先週のことって?」
穏やかに笑っているようだが、その目は笑っていない。注文した後、男性に訊ねている様子だったが、答えをはぐらかされたのだろう。私は咄嗟に思いついた。
「先週お見えになった時に、注文を聞き間違えてアイスコーヒーをお出ししちゃったんです」
「いや、俺ももしかしたらアイスって言っちゃったような気がしてさ」
男性も機転を利かしてくれる。
「いえ、私の聞き間違いですから」
二人のやり取りにひとまず納得したようだ。
「こんな時季にアイスってこともないでしょう」と女性は鼻で笑う。すると、入ってきたばかりの常連さんがカウンターに座るなり「アイスコーヒー」と雪子叔母さんに伝えた。
そんな光景を横目で見るふりをしてから、再び鼻で笑った。すぐさま私は腰を折り、いそいそとアイスコーヒーを作りに舞い戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます