第36話
―――「あれ?何かあった?」
普段通りにお店に入ったのに雪子叔母さんは何かを感じ取ったように頭の上に疑問符を浮かべる。
「別になんにも‥‥学校が始まったせいかな~」
「そう?昨日は元気そうだったけど」
知らぬが仏なんて言葉があるけど、まさかたった一日でこれだけ気分が滅入るとは思っても見なかった。知らぬふりでもして訊かなければ良かったのか。でもきっと後で知ることになる。遅かれ早かれ。
仕事に影響しては雪子叔母さんに迷惑が掛かると、私は気持ちを切り替えるように接客にあたった。適度に忙しいと気分も紛れて良い。とは言えそれも二時過ぎまでだった。
カランコロン♪
扉の方に顔を向けた途端、いつもと違う表情をしている自分に気付く。私を見る順ちゃんが戸惑って一瞬だけ立ち止まる。心の内を悟られないように、いつも通りに声を掛けてトレイにおしぼりと水を載せる。こんなところであの話は出来ないし、どう切り出していいのかさえ分からない。
空回りした感情がつい出てしまったのか、グラスをテーブルに置くともの凄い音がした。驚いて順ちゃんがこちらを見る。しまったという顔をして「いつものでいい?」と私は作り笑いを浮かべる。お決まりのメニューを運んであの席に座ったら何か喋ってしまいそうで怖かった。
恐る恐るテーブルに歩み寄った時だった。ドアの開く音がして二組のお客さんが現れる。ナイスタイミング。
結局、順ちゃんとは何も話さずに済んだ。行き場のない思いだけが店内をいつまでもさ迷っていた。その夜は電話も掛かって来なかった。お店の人からの指摘だ。掛けたいのに掛けられない。私は都合よく解釈した。
隙を見て掛けたと日曜の夜には電話があった。そういえば先週も日曜だったような。もしかしたら週に一度くらいはと店長が気を利かせてくれているのかも。そうだとしたら有難い。会話はわずかの間だった。そのくらいがむしろちょうどいい。嬉しいはずの声が複雑に聞こえたからだ。
《また、同じ時間にあそこで会えないかな?》
「ごめん‥‥月曜はお母さんが―――」
私はもっともらしい理由を付けてそれを断った。
ごめん‥‥‥順ちゃん。今はそんな気分になれないの。
受話器を置いて私は心の中で謝った。
順ちゃんからの電話も無く一週間は瞬く間に過ぎて行った。失恋なんかしてよく時が解決してくれるなんて耳にするけど、このモヤモヤした気持ちもやがては薄らいでいくのだろうか。そして今までと何も変わらないように順ちゃんと付き合っていく。悪いのは私だもん。そのくらい出来なくちゃ梨絵が可哀そう。
気持ちのやり場が見え始めた日曜の午前に梨絵が再びやって来た。気分でも悪いのか、顔色がなんだか優れない。理由を訊ねても大丈夫と言って首を振るだけ。何かあるけど言い出し辛い感じだ。なるべく喋り易そうに声を掛けると、ようやく梨絵が口を開く。
「先輩‥‥実はアレがちょっと‥‥遅れてて」
「‥‥遅れて?」
頭の回転が一時停止して意味を理解するのに少し時間が掛かった。
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