第35話

 ―――「あと一週間くらいあればいいのにねぇ~!」


 新学期が始まった時は、大抵誰かしらこんなことを口にする。誰々が初体験を済ませたとか、彼氏と別れたとか、もちろん新しく彼が出来たなどと顔中喜びでいっぱいにする子もいる。女子高ならではだ。でもそんなのはまだかわいい。


『ヤリマン』と陰口を叩かれても動じない子などは、昨日誰々としちゃったと言って、使用済みのゴムを皆に披露したりもする。周りの者は大騒ぎだ。ただ、一緒に騒いでいても未経験には刺激が強いのだろう。次の休み時間などはトイレが混んだりもする。


 梨絵が志望しているところも学校こそ違うけどレベル的には似たようなもの。遅くても高校生のうちには女になるだろうと、大きくて白いショーツを思い出す。



 梨絵がひょっこりと顔を見せたのは新学期が始まった最初の日曜日だった。


「一週間が長く感じるね~」

「先輩、ちゃんと宿題終わったんですか?」


 他愛も無い会話だった。しかし、私は梨絵の一瞬の表情に電気ショックを受け思わず眩暈がした。一年ぶりくらいに再会したのならきっと気付かなかっただろう。



「梨絵‥‥ちゃん‥‥‥したのね‥‥」


「え?何を?」


 いきなり言われて梨絵も面食らった様子だ。主語も無いのだから当然か。


「‥‥‥今村さんと」

「え?‥‥‥今村さん?」


 何のことかと首をひねる。その一瞬の恥じらいに私は再び女を見た。


「もういいの、惚けなくても。今村さん‥‥喋ったから」

「‥‥‥‥」


 返す言葉が見つからず梨絵はただじっと俯いて黙り込んだ。重苦しい空気が部屋に流れる。


「最初は惚けてたんだけどね。きつく問い詰めたら観念して―――」


 すると梨絵の頬に一筋のものが流れ落ちていくのがわかった。


「今村さんは悪くないんです。お願いしたのは私なんだから。だから…だから今村さんを責めないでやってください」


 鎌をかけて言ってみたけど、もし立っていたら梨絵の言葉に崩れ落ちていたかもしれない。必死に腕で身体を支えた。そして自分を落ち着かせようと大きく息を吐き出した。



「‥‥そっか」


 思わず出たのはそんな言葉だった。


 一瞬、手をあげそうにもなった。それを別の自分に止められた。理由は分かっている。悪いのはみんな私。元々梨絵に順ちゃんを勧めたのに勝手に奪ってしまった。順ちゃんの家に連れて行ったこともそうだ。


 もしも強引に奪ったとしたら、今すぐ飛んで行って横っ面でもひっぱたいてやるけど、お願いされたら男として断り辛いものなのかもしれない。付き合ってくださいというのとは別物だ。梨絵にしても余程の勇気を出したんだと思う。体育館の裏で告白するのとはレベルが違う。


 そう思うと梨絵が健気に見えて仕方が無かった。


「もう‥‥いいよ、梨絵ちゃん。誰も責めないから泣かないで」


 私は梨絵の傍まで行くとそっと肩を抱いた。今までと何も変わらないような華奢な肩に少しだけ大人の気配を感じた。



 それからしばらく私達は何も喋ることなく時を過ごした。


「じゃ、私バイトに行くから」


 家から出て梨絵と反対方向に自転車を転がす。すぐには乗れなかった。一度振り返ると梨絵も乗らずに自転車を押して歩いている。その後ろ姿があまりに切なくて見ているのが辛かった。

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