第31話
次に梨絵が来たのは金曜日だった。お決まりのように午前中だけ宿題をする。もっともある程度目途もついてるので、比較的お喋りに時間を割いた。それだけ話したのに、梨絵が帰ったあとに何か言い忘れた気がして、家に電話を入れた。
「もしもし‥‥」
カランコロン♪
扉の開く音もだいぶ耳に馴染んできた。すぐに笑顔を交えて声をあげる。
「いらっしゃいませ」
まだ数日なのでなんとなくの感覚だけど、常連さんの顔は少し覚えた。
「案外、接客向きなのかもしれないわね」
お客さんが途切れてカウンターの席で休憩していると、雪子叔母さんがレモンスカッシュを差し出しながら私の顔を見て微笑む。
「私もそんな気がします。楽しいですから。そういえばあの壁にある絵も素敵。離れると写真みたいにも見えて」
「でしょ!私の趣味なの。写実的なのが好きなのよ」
「写実的ですか」
接客以外にもいろいろ勉強になることも多そうだ。
だんだん作り方も教えると言われていたので、目の前のレモンスカッシュがいつもと違うように見えた。そしてカウンターの中で出際よく作る自分をイメージした。なんだかカッコいい。ついニヤッと笑ってしまった。
駅に近いこともあって思った以上に『花梨』は繁盛している。常連さんが大半。でも夏休みなので学生なども顔を見せる。ひょっとしたら友達でも来るかもしれないと、扉が開いて音が鳴るたびに緊張とウキウキが混ざり合う。
土曜日には意外な人が現れた。今村さんだ。
前振りも無かったし、車が止まったのも気付かなかったので顔を見た時は驚いて目を大きく開けてしまった。そんな私の顔に少しだけ笑みを浮かべて、店内を見回した後で窓際の二人掛けのテーブルに腰を下す。
「いらっしゃいませ」
すぐに冷たいお水とおしぼりと灰皿を持ってテーブルへと向かうと、既に置かれた灰皿に気付き、一度それを置きに戻った。それを雪子叔母さんが不思議そうに見ている。今村さんは煙草が好きだからって気を利かせたのに、どのテーブルにもあらかじめ灰皿が置かれていることをすっかり忘れていた。
腰を下ろすと早速とばかりに煙草に火を点ける。けっこうこれが自然に見える。よくよく考えれば今村さんは未成年なんだろうけど、働いているのを知ればお巡りさんも口うるさく言わないのだとか。そんなものなのか。
煙を人のいない方に吐き出しながら今村さんはメニューを広げる。
「アイスコーヒー。それと‥‥‥‥トースト」
「かしこまりました。少々お待ちください」
他のお客さんと変わらない口調で注文の品を復唱したあと、カウンターの中にいる雪子叔母さんに告げようとすると、
「両方とも由佳理ちゃん出来るわよね?」
そう言って叔母さんは顔をカウンターの中の方へ振った。
軽いメニューならもう出来るようになっている。アイスコーヒーは落として冷やしてあるのを注ぐだけだし、トーストも切って焼くだけ。簡単だ。
「あらっ?トーストが少し厚いんじゃない?」
「あ…すみません」
慌ててもう一度切り直そうとしたが、叔母さんはクスッと笑って、それでいいわよと言った。
「それと由佳理ちゃん。今はお客さんも居ないから、あそこの席でお話でもしてらっしゃい」
どうやら見抜かれていたようだ。さすが雪子叔母さん。だてに女を長くやってない。
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