第30話

 くだらないことを時々考えながら、ショートケーキを食べた後は兄貴の家庭教師が始まった。バカ大なんて言いつつも、そこは大学生。私が眉を顰めそうな問題も軽々と解いていく。解くというよりも解き方を教えてくれる。


「さすが勉強一筋だね。そういえば兄貴もバイトしてるんでしょ?」


 それとなく褒めながら現状も訊いてみる。


「あ~、母さんだけに負担は掛けられないからな。今はスーパーの鮮魚コーナーで働いているよ。嗅いでみるか?」と掌を差し出してくる。思わず首を振りながらも、一応ちゃんと考えてくれてるんだなと兄貴のポイントが上がった。これが女日照りでの良からぬ匂いだったらポイントどころの話じゃない。



 火曜日には梨絵が来た。涼しいうちが良いと言いつつも、私のアルバイトの時間も気になったのだろう。


「どう?梨絵ちゃんの方は順調?」

「ま~、それなりにですかね」


 テーブルに宿題を広げ始めた時、見計らったようにノックの音がした。


「よし!今日もやるか!」

「もぉ~、兄貴。いきなり開けないでって言ったでしょ」


 声と同時に開かれた引き戸に私は口を尖らせた。一人しかいないと思った兄貴は一瞬戸惑ったようで、梨絵の横顔を覗き込んだ。


「おー!しばらくぶりだね。エリちゃんだっけ?」

「梨絵ちゃん!」


 間髪入れずに私が答える。


「あ~、ごめんごめん。なんだか前より可愛くなった感じがするね」


 そう言われて梨絵がポッと顔を赤らめる。まんざらでもない様子だ。


「まったく、名前間違えておいて可愛いもないよね。でも今日は来て梨絵ちゃんラッキーだよ。兄貴がいろいろ教えてくれるって言うから」


 仕方ないという表情で、二人のノートが見渡せる場所に腰を下ろすと、食い入るように記された問題を眺めて家庭教師ぶりを見せつけるが、時折、問題を見ながら梨絵の顔に目が向くのを私は見逃さなかった。


「梨絵ちゃんが気になる?」


「いや…気になるっていうか、こういう妹が良かったな~って」

「家庭教師なら歓迎だけど、変態はお断りよ」


 バツの悪そうな兄貴の態度に梨絵も声を出して笑った。気持ちでも入れ替えたのか、それからの兄貴は指導にも熱が入り、ほとんど休憩も取らせてくれなかった。おかげで思っていた以上に宿題もはかどった。


「よ~し、今日はここまで!」


 思いの外、長丁場になって兄貴も疲れたようだ。誰に言うともなく声をあげると大きく伸びをした。


「サンキュー!兄貴助かったわ」

「お兄さん、ありがとうございます」


「なんの、なんの。これも可愛い妹と後輩のため。ち~た~見直してくれたかな?」

「私じゃなくて梨絵ちゃんのためなんでしょ?それに何?ち~た~って?」


「向こうの方言。少し、ってのをこう言うんだよ」

「へ~。じゃ~お礼に梨絵ちゃんにチュッてしてもらう?」


「もぉ~、先輩ったら~!」


 思いついた冗談を飛ばすと、兄貴は柄にもなく照れたように部屋から出て行った。意外と可愛いところがあるかも。


 久しぶりに帰省して昔の友達にも会いたいからと、家庭教師が不在になる日もあったが、協力的な兄貴のおかげで始業式前日まで悪戦苦闘しなくて済みそうだ。梨絵も同じようなことを口にしていた。



 アルバイトには毎日行った。初日の月曜から水曜までの三日間は三時から五時までの二時間だけ。それで少し慣れて来たのを雪子叔母さんも感じて、明日からは一時にお店に入ってみないと訊かれた。


 ハイと私は即答した。

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