第29話

 雪子叔母さんが一人で切り盛りするにはちょうどいいサイズなどと思いながら壁に目を向ける。油絵なのか風景を描いた絵がいくつか飾ってあった。遠くから見ると写真のようにも見える。これも叔母さんの趣味だろうか。


「可愛い名前のお店ですね」


「そう。ありがとう。たまたま私の家の庭に花梨の樹が植えてあって、なんとなく響きも良かったので付けちゃったんだけどね」


 そういった後で、テーブルの番号とか、運ぶ際の注意点などあれこれと教えてもらい、三時から五時まで働いた。時給は五百円。高校生のアルバイトなら良い方だと聞く。二時間だから千円。こんな暇な時間に居てお給料をもらうのはなんだか後ろめたい。


 叔母さんにしても本当なら忙しいお昼とかに来て欲しいところなんだろう。少し仕事でも慣れてきたら時間変更を相談してみよう。とりあえず夏休みの間は毎日でも良いと言ってくれたので出来るだけ来ようと思う。と言っても夏休みは残り二週間。



 学校でも家でも座ってるか横になってるかだから、二時間立ちっぱなしはどうかと思ったけど、そこは毎日の自転車通学がモノを言う。特に足が痛いということもなく無事に初日を終了。店内はしっかり冷やされているので外に出るとモアッとした空気に包まれ、途端に嫌な汗が噴き出してくる。夕方とは言え八月の五時はまだ明るい。


 私は不快な汗を紛らわすよう自転車のペダルを踏んだ。


「どうだった?」


 家に帰ってから宿題の続きをやっていると、パートから帰ったお母さんが様子を伺いに部屋に来た。


「可もなく不可もなく」

「何それ?もっとまともな感想はないの。雪子んところだからって甘えてちゃダメよ。それに勉強が厳かになるようだったらすぐに辞めさせるよう雪子に話すからね」


 言葉はきつめだが、お母さんも私がバイトすることには肯定的だ。


「初仕事のお祝いにショートケーキ買って来たから」


 珍しいこともあると思いながら、それが何よりも凄いご褒美に思えた。


「何?ショートケーキだって?」


 甘いものに目が無い兄貴が急に部屋から飛び出してくる。こんな時だけは地獄耳だ。そのくせ百七十五センチの身長に六十キロと細身なのだからどういう構造になっているのか。私は百五十五センチで五十キロちょっと。せめて四十キロ台に落としたいけど、またこのケーキでその数字が遠のく。


「もしかして俺のは無かったりして」

「ちゃんとあるわよ」


 お母さんの答えに兄貴はニコッと最高の笑顔を見せる。


「もし、無いって言われたら由佳理のぶんをもらおうと思ってたんだけどさ。家庭教師代として」

「もう~っ、しっかりしてるんだから!」


 あまりに当たり前すぎて違和感もないけど、由佳理って名前で呼ばれるのは親しみがあって良い。今村さんはいつそう呼んでくれるだろうか。友達程度ならまだしも、深い関係なんだからそろそろ名前で呼んでくれても良さそうな気もする。今度、無理にでも言わせちゃおうか。


 由佳理…。


 想像するとなんだか照れ臭い。そうなると私も順一って呼ばなくちゃ。年上だから順一さんかな。それとも可愛らしく順ちゃん。意外とこれが合うかも。

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