第21話
キスされるのが分かった。興奮のあまり今村さんよりも先に舌を入れてしまった。もはや私は完全に雌になっている。今村さんも応えてくれた。煙草の味がする。同時に男の味もした。
もうこれ以上は耐えられないと思った時、今村さんの動きも止まった。本当なら今村さんの息遣いを感じながら余韻に浸りたいところだけど、この状況ではそんな悠長なことも言ってられない。それは今村さんも同様だったらしく、私にティッシュケースを差し出すとトイレに向かった。
私も早々に自分の後始末をして浴衣から服に着替えた。五分もすると身支度を終えた今村さんが出て来てソファーに腰を下ろし煙草に火を点けた。私と目が合うと二人でニッコリと笑った。互いに照れくさそうな笑みだった。
部屋の中を静寂が包み込んでからどのくらい経った頃だろうか。私はベッドに横になっている梨絵に帰ろうと声を掛けた。
「え?・・・・朝なんですか?」
「違うけど…」
「すっかり眠っちゃった」
目を擦る仕草が健気に見えた。あの振動の中でゆっくり寝られるほど図太い女じゃないってことぐらい私にはわかっている。ただ気を遣ってるだけだ。その証拠に車に乗り込んでからもほとんど梨絵は口を利かなかった。私は心の中で詫びた。
梨絵…ごめん。
梨絵の心情を察してか車の中は静かだった。時折口を開いても会話はすぐに途切れる。梨絵と二人きりになって突然泣き出されたらという心配もしていた。お目当ての人を奪っちゃったんだから、謝る以外に何もできない。ご飯くらいじゃ許してもらえないだろう。
帰りは家の近くまで送ってくれた。白い車を見送った後で「泊ってく?」と梨絵に訊ねたが、梨絵は小さく頭を振ってそのまま家に向かって歩いていく。その後ろ姿に私の目頭が熱くなった。
布団に入ってもなかなか寝付けなかった。まだ身体が火照っているような気がする。いろんなことがありすぎたと、数時間前の記憶を辿る。もしかしたらあの人が旦那さんになるんじゃないか。私は心地いい予感を胸にいつしか深い眠りに就いた。
それからほぼ一週間、梨絵は姿を見せなかった。こちらから電話しようとも思ったけど、うまい話が見つからない。怒ってるんだろうな。ただ、それを口にして謝ってみたところで、何のことなんて訊かれたら元も子もない。あとは時間が解決してくれるだけなのかと、私はあれから放置したままになっている宿題を眺めた。
梨絵が再び顔を見せたのはちょうど一週間後の日曜日だった。顔を見た瞬間、一ヶ月も会ってないような気がした。なんとなく照れ臭い感じ。
「久しぶり!」
だからついそんな台詞が口から出た。
「忙しかったみたいね」
「うん。親戚の家に泊まりに行ったり…。あれ先輩に言ってませんでしたっけ?」
「あ…そういえば聞いたような―――」
適当に話を合わせてもそこは長年の付き合い。一時間もするとすっかり以前のような調子に戻った。何はともあれホッと胸をなでおろす。会話も弾んだせいで思いの外宿題が消化されていく。
夏休みもまだまだ半分以上、このペースなら今年はいつもより早く終わるかもしれない。
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