第13話

「あれは…なんて言うのか――」


 約束の時間の七時。その三十分前から私はいつもの待ち合わせ場所に立っていた。本当は一時間くらい待たせようかとも思ったが、足が勝手に動いてしまった。車に乗り込むなり私は先週見た光景をそれとなく話した。一瞬、驚いたような顔をして関根さんはばつが悪そうに口を開いた。


「まさか、知り合いの奥さんなんて言わないわよね」


 きつい調子で言うと関根さんは反対方向に顔を向けた。何か考えているようだ。


「見られちゃったんじゃしょうがないな」


 頭を掻きながらもあっさりと認めた。もっとあれこれ言い訳がましいことを言うのかと思ったので、肩透かしを食らった気分だ。


「でも、もしよければこのままの関係を―――」


 そこまで関根さんが口にした時、私はドアを開いて車から降りた。


「楽しかったわ。どうぞお幸せに!」


 そう言うなり激しく力いっぱいドアを閉めて、ついでにドアめがけてローヒールで蹴り上げた。もの凄い音がして関根さんも驚いた表情を見せたが特に文句も言わず車を発車させる。丸く凹んだドアがやがて視界から消えて行った。



 思わぬ幕切れになっちゃったけど、関根さんとのひと時は当分消えそうもない。仕方ないと歩き出そうとした時、シャカシャカ音を立てた車が停車して声を掛けられた。やり場のない気持ちからか、私は構わず乗り込んだ。


 流れている音楽のボリュームを落として走り出した途端、私の身体はポンポンと揺さぶられる。お尻が椅子に落ちるような感覚だったのは車高が下がっていたからだろう。突き上げるような挙動は関根さんの車とは真逆で安っぽさも覚えた。そんな思いもどこ吹く風で「いい蹴りだったよ」と髪の毛を掻き上げながら男性は言った。



「見てた?」

「たまたまって言うか、彼氏?」

「どうでもいい人」


 素っ気ない答えに男性も安心したのか、車内にこもるような騒がしい音を立ててアクセルを踏んだ。関根さんのすぐ後だったため、運転する男性は若いというよりも子供っぽく映った。声のトーンも高めだ。もっともただの気晴らしに過ぎなかった私にはどうでもいいことには違いない。 


 適当に話を合わせて一時間くらい経つと、道路を照らす明かりは車のライトだけになり上下に加えて身体が左右にも揺れるようになった。どうせ暇つぶしだし気分を紛らわすには山道も悪くないと私は両手と身体で踏ん張った。


 くねくねとした道を走っていた車はやがてさらに細い道へと入っていく。所によっては車一台分くらいしかない道だ。時々、ガツンという音が椅子の下の方から響いてくる。


「どこへ行くの?」


 木々に覆われた景色にそう呟くと「ここは抜け道なんだよ」と男性はこともなげに言って忙しなくハンドルを切る。


「どこに抜けるの?」


「ま~いいから」


 答えは曖昧だ。そこからどれくらい走ったのか、突然車を止め「ちょっとションベン」と言って男性は車から降りて行く。


 エンジンを止めると他に音らしい音は私の耳に届かない。キョロキョロ周りを見ても暗闇しかなかった。

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