第8話 <修行編>CGをはじめると、世界は美しかった

 毎日、CGを作るようになったら、急に「世界」が変わってきた。


 実際には「世界が変わった」のではなくて、見え方が変わっただけだ。CGを作りはじめたことによって、私の「目」が変わり、まわりの世界が今までとは違って見えてくるようになっただけだ。


 ビルや住宅、電信柱やポスト、電車や踏切……家に帰っても、家具やカーテン、観葉植物、コップやお皿、料理まで……。そんなふうに自分の目に映る、なにもかもが、すべて何かの『ポリゴン』に見えてしまう……。

 通称「ポリゴン現象」。CGを習いはじめた初心者によく起こる症状のひとつだ(講師の一人がそう言っていた)


 どんなモノでも、いったん『ポリゴン』に見えてしまうと、そこから「マテリアル」とか「テクスチャ」などを考えてしまい、まるで全部「CGでできている」ように見えてくる。何を見ても「これはCGならこんなふうに作れるな」などとつい思ってしまう。まあ、一種の職業病みたいなもの。


 ふと、ある小説家から聞いた話を思い出した。


「先日、マンションに置いていた自転車が盗まれましてね。すごく腹が立ったけど、これは小説のネタにしてやろうと思って、さっそく短編を一本書きましたよ。ちゃんと自転車代の分は元をとりました。小説家になってよかったなと思うのは、階段でつまづいてこけても、どれだけ上司にむかついても、『これって、なにか小説のネタにならないかな』と心のどこかで思っていて、そんなふうにどんな体験でもいつもネタにならないかなと思っていると、たとえ嫌なことでもそれが全部ムダにならない。これって使えないかな、と人とちょっと違う見かたができるのはよかったと思いますよ」


 あれは誰だったっけ。


 私は、週1回、週末の夜に作家養成の「小説講座」で事務をしていた。社会人向けの小さな教室だ。それ自体はまったく儲からないので仕事ではなく、ほぼボランティアみたいなものなんだが、これまでに講師として何人もの作家がきて、色んな話を聞かせてもらった。たぶんその中の一人だ。うーん。誰だっけ。


 「さすが短編の名手と言われるだけあるな」と思った記憶があるので、SF作家のK先生だったかもしれない。


あんな非日常の世界を書いていて(けっして私小説というわけではないのに)、それでも自分の体験や感覚をそんなふうに生かしているらしい。

 きっとプロ作家の頭の中には、なにか「自動変換」装置のようなものがあるんだろう。そう思うと、たしかに小説家は便利だ。

 しかし、どんな体験でもそんなふうに「小説のネタ」に見えるというのは小説家の職業病だ。言い換えると「世界の見かた」の違い。


 人は、もともと日頃から世界をそのまま見ているわけではない。みんな自分が見たいものだけを見て、それ以外はたとえ目にはいっていても、見えてはいない。だから、何かをやりはじめたら、それだけで世の中が急に違って見えてくることはよくある。


 たとえば、私は最近、たまに市内の「植生調査」の手伝いをしている。10人くらいで地図を見ながら街を歩き、道端に生えている野草などをぜんぶ記録する。そんな調査の手伝いをしていると、種類の見分けがつくようになってくる。よく見れば、どんな都会の真ん中でも、道路や公園のすみっこ、街路樹の下に「雑草」がけっこうたくさん生えている。そうなると、もう、そこらへんの「名もない草」ってのはなくなってしまう。

 よくある話だが、やはり「名もないただの草」というのはない。そんなものが本当にあったら『新種発見』だ。ふつうは「ムラサキカタバミ」だとか「ヘクソカヅラ」だとか、ぜんぶ名前がついている。そう見分けがつくようになると、街をなにげなく歩いていても、いつも草が目に入るようになる。


「アスファルトの道路なのに、ここらへんは意外と在来種が多いなあ。よく見たら古い住宅街だ。住宅地でも新しく開発された地域は外来種ばかりだからなあ」

 そんなふうに、いったん見わけがつくようになると、急に色んなものが急に見えてくる。たとえば『ブラタモリ』をしょっちゅう見ているような人だと、たまたま坂道を歩いても、ただの坂道には見えず、「これは河岸段丘だ」だとか「扇状地の先端部分だ」などと言い出したりする。いわゆる「ブラタモリ現象」だ。ほら、そんなオッサン、一人くらい、身近におらん?


 そんなわけで、CGを習いはじめた初心者には、何もかもがポリゴンに見える「ポリゴン現象」の症状が起きるのだ。CGを学び始めて1ヶ月、私も、何をみても「立体」に見えるようになってきた。


 そうなると、訓練校までの片道40分の通学も、急に楽しくて仕方なくなる。だって、自転車を走らせるだけで、毎日、色んなものが見えてくる。

 教室の近くには、天神橋商店街というにぎやかな商店街があった。その商店街を南に抜けて、交差点を通り、天神橋を渡ると、川には船が見える。その向こうにたくさんの高層ビルがあった。


 あらためて大阪の街をよく見ると、ビルは、すべて違った形をしていた。郵便ポストは赤く、よく見ると角はつるんと丸い。その大きさや質感、ペンキのはげ具合。電信柱は細長い円柱で、上には黒っぽい細い電線が何本も伸びていた。街路樹には小さな葉っぱがたくさんついている。みんな色と光沢があり、それぞれが太陽の光を反射して、ぜんぶキラキラと光って見えた。


 「そうかぁ。世界って、3Dでできたんやな」


 あらためてみると、世の中は「立体」でできていた。おいおい、なんだ、そんなこと、今更、あたりまえじゃないかと思うかもしれないが、これは新鮮な感動だ。今更かもしれないが、私は、世界を新しく「発見」した。


 あらためてみると、世界はとても美しかった。


「これだけでも、なんか、めちゃくちゃ得した気分やわ」


 ついでにいうと、大阪のオバチャンには、なぜか、ものごとをなんでも「金」に換算して見てしまう習慣があった。


 ただ、これは職業病というより……ある種の風土病かもしれなかった。






 






 




 

 











 


 


 

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