二人のドレスは揃わない

 ヴィクトリアが王宮にやって来るのは久しぶりだった。


 このところはギルバートに定期的な顔合わせを断られていたし、王家からも遠回しに「無理はしなくていい」という連絡を貰っている。


 根回しは着々と進んでいる。何も知らないのはギルバートたちだけだ。


 父と二人、国王に謁見した後。ヴィクトリアからの申し出で、応接間でギルバートと会うことになった。



「何かな? わざわざ父上を通して誘ってくるなんて」



 やって来たギルバートは、開口一番そう言った。もはや冷笑を隠しもしない。その背後にいるリアムが、きつく拳を握りしめたのが分かった。視線だけで宥めると、ふっと彼の体から力が抜ける。


 少し前まではその姿を見ると苛立って仕方がなかったが、今は何とも思わない。心持ち一つでこうも違うかと、ヴィクトリアは張り付けた笑顔の下で感心した。



「婚約者として、事務的なお話ですわ。この期に及んで無駄な論争などいたしません」



 澄ました口調で言うと、ギルバートの眉が僅かに寄った。だがすぐに、「聞こう」と傲然と顎を上げる。



「……もうすぐ学園の前期が終わります。学期末パーティーには出席されるのでしょうか?」


「もちろんだよ」



 学期末に学園で催されるパーティーは、学期の終了を祝うためのものだ。成績上位者や特別な功績を立てた生徒が表彰されるが、成績が足りなかった者もここで発表される。留年などということになれば家の面子にも関わるため、誰もが必死に勉強するのだ。


 学期末パーティーは、貴族の子供が本格的に社交界に出る前の、実践教育の場でもある。下級生は上級生の振る舞いを見て学び、最終学年ともなれば無様な姿を見せれば笑われる。


 婚約者がいるならば、共に出席するのが当然だ。衣装を揃え、パーティーの後半にはダンスを踊る。


 ヴィクトリアはわざとらしくため息をついて見せた。



「いつまでたっても殿下から連絡がこないものですから、参加する気が無いのかと思っていましたわ。ドレスのデザインを合わせるのには、もう間に合いませんわよ?」


「君は僕の色に合わせたドレスをいくつも持っているだろう? それで十分なはずだ」



 実に馬鹿げたことを言われた。さすがにこれは、この場で怒っていい。



「なんてことをおっしゃるんですか。わたくしたち学生の大切なパーティーで、ドレスを着回せと? アイラ公爵令嬢たるこのわたくしに?」


「パーティーの度にドレスを作るなんて、無駄な出費だろう。一度しか着ていないドレスだってあるはずだ。それくらいならバレないさ」



 バレないはずがない。授業の日に着るドレスならともかく、パーティー用のドレスなんて細部まで確認されるのだ。ヴィクトリアほど注目される存在ならば、特に。



「一国の王子たる方の発言とは思えませんわね。それでは、殿下のお召し物はどうされますの?」


「僕の衣装も既に用意してある。君が口を出すことではない」



 少し前までのギルバートなら、もう少し常識があったのに。


 とはいえ、そう言われることは想定していた。ギルバートがどんな準備をしているのかは、すべてリアムを通して報告されているからだ。



「分かっておられるとは思いますが、殿下がエスコートするのはアーキンさんではなく、婚約者のわたくしですわよ。でなければ、殿下だけではなくアーキンさんも白い目で見られるのですから」



 滑稽な話だ。お互いに恋愛感情が無いのはともかく、ヴィクトリアに至っては既に、ギルバートを婚約者とも認めていない。だが、二人はまだ契約で結ばれている。


 ここへきて、気持ちの伴わない契約の関係を疎んじるポーラの気持ちが分かってしまった。彼女のように愚かな行いはしないが。



「それは、脅しかい?」


「何に対する?」


「君を婚約者として扱わなければ、ポーラに手を出すという」


「どうとでも受け取ってください。殿下がパーティーに参加することが大事なのですから」



 ギルバートの婚約者であるという点に、ほんの少しの価値もないのに。ヴィクトリアがギルバートの寵愛を求めていないことなど、百も承知の関係だった。


 そんなことさえ忘れているなら、救いようがない。



「それを確認したかっただけです。殿下からの連絡が無かったので、わたくしのドレスもこちらで勝手に準備しておりますわ。殿下とは揃っておりませんが、それは承諾済みということで、よろしいですわね」


「構わないよ」



 ヴィクトリアが欲しかったのは、パーティーに出ること、ドレスがギルバートに合わせたものではないこと、これらをギルバート本人が承諾したという言質だ。


 特にドレスのことなど、パーティー会場で声高に指摘されたらたまらない。


 目的を果たしたヴィクトリアは、一部の隙もない姿勢で礼をした。



「それでは、今日はこれで失礼しますわ。殿下も、わたくしよりアーキンさんと過ごすことをお望みでしょう」



 貴族らしい振る舞い、表情、そして寛大さ。今のギルバートの気に障ることを分かっていて、ヴィクトリアは薄く微笑んだ。


 ギルバートは顔をしかめて、だが何も言わなかった。


 涼しげに退出を告げ、応接間を出る直前に振り返る。



「そうですわ、殿下。一つ忘れておりました」


「なんだい?」


「今回の学期末パーティー、王太子殿下が来賓としていらっしゃるそうですわ。くれぐれも、見苦しいお姿は晒さないようにお願いいたします」


「は? 兄上が? 何故」


「わたくしではなく、王太子殿下に直接お聞きすればよろしいでしょう。ご兄弟なのですから」



 それでは、と改めて一礼して、応接間を後にする。リアムが惜しむような視線を送って来るのに、微笑みを返すのは忘れずに。


 ギルバートはきっと、最後まで気づかないのだろう。


 学期末パーティーなどにわざわざ王族が出てくる意味も、ヴィクトリアがドレスを合わせない意味も。


 今日の会話に何も思わないのなら、彼の未来には一筋の光さえ残らないだろう。

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