ポーラ・アーキンは理想を見ている②

「ヴィクトリア様が、私のネックレスを美しいって……、ど、どうしましょう」



 教室の隅で、そんな話をしているのが聞こえた。


 たまたま近くにいただけで、ポーラとは話したことのない令嬢たちだ。



「ほ、本当に? 確かにあなたのネックレスはとても素晴らしいから……」


「いやよ、このネックレスは婚約者にいただいた宝物なの……!」


「あのお方が気に入った物を奪っていくなんて、ただの噂よ。だって、アイラ公爵令嬢よ? 手に入らない物なんて何もないのに、人の物を取るはずがないわ」


「でも、私が怯えた顔をしたら、とても嬉しそうに笑ったのよ……」



 信じられなかった。貴族のくせに、人の物を奪う令嬢がいるなんて。


 よくよく話を聞いて回れば、男爵令嬢や子爵令嬢はヴィクトリアのことを恐れているようだった。


 美しいものを手に入れるためなら、手段を問わない『耽美令嬢』。冷酷非道な悪徳貴族。彼女の傍にいる従者も、いつも暗い顔をしてちっとも幸せそうじゃない。


 貴族なんて、身分なんて。どうして皆が平等になれないのだろう。あんな酷い人が貴族としての贅沢を享受して、ポーラたちのような平民は苦労しなければ生きていけない。


 愛があれば幸せになれるのに。前を見て歩けばチャンスはあるのに。


 優しさを持って人に尽くせば、皆が笑っていられるのに。


 ポーラにとって、ヴィクトリアは理不尽な世界の象徴になった。






 二学年に上がっても、ポーラに友達はできなかった。どうにも話が合わないのだ。


 ヴィクトリアの悪い噂は、身分の高い令嬢たちにそれとなく訂正されるようになっていた。ヴィクトリアは令嬢たちの中で一番偉いから、そうするように強要しているのだろう。


 学園は楽しくない。男爵たちは優しいけれど、屋敷での暮らしは居心地が悪い。祖父母の家に帰っても、近頃店が上手くいっていないらしく、二人から笑顔が減っている。


 理不尽な世界をどうにかしたい。そう願うのに、ポーラには何もできない。


 そんな時、知り合ったのがギルバート第三王子だった。


 一人で食堂にいたポーラに、向こうから声をかけてきたのだ。


 第一印象としては、典型的な王子様だった。


 童話に出てくるような、優しくてかっこいい、素敵な王子様。けれどポーラにとっては、他の貴族たちと同じだった。世界の本当の姿を知らない、愚かな人だ。


 ギルバートはポーラに言った。



「僕は、いろんな人の話を聞くようにしているんだ。それが僕にできる、この国のためになることだからね。そして、兄上たちを支えるんだ」


「それじゃあ、あたしの話も聞いてくれるんですか?」


「もちろんだよ。今の学園には、平民上がりの貴族が少ないから」



 ポーラはこれまでの生活や、貴族に対する不満を打ち明けた。驚いたことに、ギルバートは真剣に話を聞いてくれた。


 この人は違うんだ。本当にポーラたち平民のことを考えてくれているんだ。


 そう思うと、心が楽になった。味方がいる。それだけでこんなにも気持ちが明るくなる。


 ポーラはギルバートと時間を過ごすようになった。彼がヴィクトリアの婚約者と知った時は、少し傷ついた。けれど、二人の間に愛は無いのだという。



「貴族にとって、結婚は義務だ。家同士の繋がりを強くするための、政治の駒なんだよ」


「そんな……。それじゃあ、ギルバート王子は幸せになれないの?」



 ギルバートは驚いたようだった。



「どう、だろう。ヴィクトリアと結婚することが、幸せじゃないとは思わないけど」


「でも、愛は無いんでしょう? 好きでもない人と結婚するなんて、そんなのおかしい」



 ポーラの周りは皆がそうだった。祖父母も、話に聞く両親も。店にくる客も、近所の人たちも。


 祖母は言っていた。喧嘩をすることもあるけど、愛しているから一緒にいたいと思うのだ、と。愛が無いのなら、幸せになんてなれない。



「……考えたこともなかった。だって、僕は王子だから」


「あたしだったら、ギルバート王子を幸せにしてあげられるのに」



 口から飛び出した言葉に、ポーラ自身が驚いた。けれど、むくむくと湧き上がってくる気持ちを抑えることはできなかった。


 ポーラはギルバートに恋をしていた。優しい童話の王子様に。誰よりも真剣に向かい合ってくれる、ただ一人の人に。



「ポーラ……」


「ねえ、あたしと一緒に幸せになろう? ギルバート王子……、ギル君。きっとあたしが教えてあげられる。ギル君だけじゃないよ。皆が幸せになる世界を作ろう! 不公平なことなんて何もない、素敵な国に、きっとできるよ!」



 ポーラ一人では、何もできなかった。だが王子であるギルバートがいれば、やれることが広がる。


 ギルバートの目に、強い光が灯った。



「それは……、すごく、素晴らしいよ、ポーラ」


「でしょう? あたしたちなら、きっとやれるよ!」



 理不尽な目に遭っている可哀想な人たちを助けて、皆が幸せになれるように。


 ポーラは理想の未来に胸を膨らませた。


 ヴィクトリアのような悪い貴族を成敗して、素敵な国を作る。ポーラが貴族になった理由が、ようやく分かった気がした。






 ギルバートのお陰で、理解者が増えてきた。その中の一人、デリックの言葉で、貧しい人たちに金を配ればいいのだと知った。


 確かに、ポーラも祖父母に宝石をあげたりしていた。最近はギルバートたちと忙しくしていたから、手紙を送るくらいしかできていない。時間ができたら、また宝石を持って帰ろう。二人も楽しみにしていた。


 貴族が着飾るのが宣伝のためだと知ったから、ポーラもドレスや宝石を身につけることに抵抗が無くなった。祖父母の店を手伝っていた頃、近所の人たちが宣伝を手伝ってくれた。そうすると客がたくさん来て、売り上げが良くなったのだ。それと同じだと思えば、贅沢も悪いことばかりではない。


 何よりも嬉しかったのは、ヴィクトリアから従者のリアムを助け出せたことだった。


 いつも辛そうな顔をしていたリアムは、今は無表情のままギルバートの傍に控えている。きっとうまく表情が出せないのだ。


 学園で倒れてしまったのも、がらりと環境が変わって体がついて行かなかったのだろう。途中でヴィクトリアの邪魔が入ったけれど、授業後になんとか見舞いに行ったリアムは普段通りで安心した。


 すべてうまくいっている。ギルバートは毎日ポーラに愛を囁いて、たまに可愛らしい嫉妬をする。ポーラがリアムに構っていると、拗ねているのが丸わかりだ。


 素敵な王子様。美しい顔をした召使い。理想は現実に、幸せはすぐそこに。






 ――それなのに、何故、リアムはポーラを睨んでいるのだろう。


 リアムが倒れた次の日。ギルバートは選択授業を受けに、ポーラは講義のない時間だったため、王族用のティールームで休んでいた。ギルバートの気遣いで、部屋を貸してくれたのだ。倒れたばかりだからと、リアムもほかの従者に交じってここで待機していた。


 彼もそろそろ心が安らいできただろう。そう思って、声をかけてみた。



「ねえ、リアム君。新しい生活にはもう慣れてきた? 昨日は疲れが出ちゃったみたいだけど」



 淹れてもらった紅茶を飲みながら首を傾げると、リアムはポーラを見た。どうしてだか、その視線が冷たい気がする。



「えっと、リアム君……? 質問に答えてほしいんだけど」


「なぜお前の質問に答える必要がある?」



 初めて聞く、氷のような声だった。



「え、な、なに……」


「俺は伯爵令息。お前は男爵令嬢。身分は俺の方が上だ。婚約者でもないのに気安く話しかけるな」



 ポーラは固まった。


 久しぶりにそんなことを言われた。身分がどうとか、話し方がどうとか。



「なんで……? だってリアム君は、ギル君の従者で」


「お前の従者ではない。俺の主は一人だけだ」



 鼻で笑うリアム。軽蔑の視線も、彼からは初めてもらった。



「で、でも! あたしとリアム君は同じでしょう? 元は平民で、魔力があったから引き取られただけで。同じ苦労を知ってるじゃない?」



 ポーラが言葉を繋げる度、リアムからの視線はきつく、冷たくなっていく。ほとんど憎しみにも近い目だ。同類であるはずの彼から、そんな風に見られる理由が分からない。



「同じ苦労? ……ハッ。馬鹿も休み休み言え」


「そんな、酷い!」


「お前は王都の中心街育ちなんだろう? いいご身分だな。飢えも痛みも知らずに育ったくせに、スラム育ちの俺と同じだなんて」



 さすがにその言葉には動揺した。リアムが元平民であることはギルバートから聞いていたが、スラム出身であることまでは言っていなかった。



「ご、ごめ……」


「道端のゴミと自分の区別もつかないようなあの場所を、お前は知らないだろう」



 リアムは荒んだ顔でポーラを見下ろす。



「あ、あたし、ほんとに、そんなつもりじゃ」


「じゃあ、どういうつもりだったんだ? ……お前もどうせ、俺を薄汚いドブネズミだと思ってたんだろう」


「そんなわけない! リアム君がスラム出身だなんて、知らなかった!」



 本当に、傷付けるつもりはなかった。リアムがどんな生活をしていたかなんて、知りようが無かったのだから。


 ポーラは思わず立ち上がって、必死に言い募った。



「あたし、リアム君にも幸せになってもらいたいんだよ! ずっと辛そうな顔をしてたから……。本当に、ただそれだけなの」


「俺の幸せを、勝手に決めつけるな」



 ポーラの言葉はリアムに届かなかった。冷たい態度は変わらず、軽蔑を買ってしまった。


 授業を終えたギルバートがティールームにやってきて、リアムはすっと従者の顔に戻った。



「ポーラ、どうしたんだい?」



 リアムも、他の従者も、何も言わない。ギルバートは不思議そうに立ち尽くすポーラを見ている。



「う、ううん。なんにもないよ……」



 ポーラはそう首を振るしかなかった。


 理想の未来が待っている。信じ切っていたその結末を、ほんの僅かに疑ってしまった。皆が幸せになれる道なんて、存在しないのだと。


 リアムが小さく笑ったことには、誰も気づかなかった。

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