変わらない忠誠と心

 教室でリアムが倒れてから、ひと悶着あった。こういった事態に慣れている教師が、魔法で担架を作り出してリアムを乗せた後だ。


 医務室まで付き添うと言い張るポーラ。嫉妬心からそれに反対するギルバート。成績が良い訳でもないのに授業を受けないつもりかと呆れるヴィクトリア。


 教師が来たのなら、後は任せるべきだ。そう言ったヴィクトリアに、ポーラは「人任せにするなんて、だから貴族は駄目なんです!」と噛みついた。


 その発言自体もかなり際どいのだが、ヴィクトリアを苛立たせたのはそこではない。リアムの体調不良には気づかなかったのに、という、その一点に尽きる。


 心配していない訳がない。本当は一時だって離れたくない。けれど学生の本分は学ぶことにある。それに、治療の技術を持っていないのに付き添ったところで邪魔にしかならない。


 淡々と正論で言い返すヴィクトリアに、教師が助け船を出してくれた。



「ヴィクトリア嬢は成績最上位者であり、本日の授業も復習にしかならないでしょうから、付き添いを許可します。ギルバート殿下、ポーラ嬢に関しては、残念ながら授業の免除を認めるほどの成績とは言えません。出席を命じます」



 学園の教師も貴族だ。当然、身分としてはギルバートに命令を下せる立場にはないが、学園内の教育に関しては特権が与えられている。


 身分が絡む生徒同士の諍いには、教師たちは口を出すことができない。だが、授業の出席に関しては別だ。


 ギルバートたちが渋々引き下がったのを見て、ヴィクトリアは少しだけ溜飲を下げた。


 どうやら学園側は、国王とアイラ公爵からなんらかの情報を与えられているらしい。ヴィクトリアとリアムを、医務室で二人にしてくれた。「中立の立場であるため表立っては言えませんが、我々はヴィクトリア嬢の味方です」と、慰めの言葉と共に。


 ベッドの横に用意された椅子に腰を下ろし、ヴィクトリアは深くため息をついた。


 横たわるリアムは、やはり顔色が悪い。少しだけ身を乗り出して、久々にすぐ近くで彼の顔を見た。目元にかかっている前髪を、指先で払う。


 こんな風に弱っている姿も美しい。思わず見入ってしまう。けれど同時に、ヴィクトリア以外の人間が彼をこうしたのだと思うと、吐き気がするほど腹が立つ。


 少しでも楽になればと、うなじで髪をまとめている紫色のリボンを解いてやった。


 銀色の髪、赤い瞳を持つリアムには、リボンも赤の方が似合うのに。紫が似合わない訳でもないが、ヴィクトリアが別の色のものを買い与えようとしても、頑なに紫を選んでいた。


 ヴィクトリアの、瞳の色。



「……リアム?」



 ほとんど声にならない呼びかけが、聞こえるはずもないのに。



「はい、お嬢様……」



 掠れた返事が返ってきて、ヴィクトリアは息を呑んだ。


 たった数週間なのに、その呼び方があまりにも懐かしい。懐かしいと、そう感じてしまう事実に、目頭が熱くなった。


 うまく言葉が出ないヴィクトリアに、リアムは首を傾げる。



「ヴィクトリアお嬢様?」


「……リアムの馬鹿。いったい何をしていたの? 先生は、魔法の使いすぎだっておっしゃってたわ。酷い貧血だって」



 違う、責めたいわけじゃない。不本意な状況に置かれているリアムを、ただ労わりたいのに。



「……ごめんなさい、こんなことを言いたいんじゃないのよ。わたくしは、ただ、」



 湿った声が煩わしい。リアムの手が伸びてきて、ヴィクトリアの目尻を拭っていった。



「わたくし、弱くなってしまったみたい」


「お嬢様は、いつでもお強いですよ」


「いいえ。誰かの力を借りなければ何もできないのよ、わたくしは。一人で成し遂げた事など、何一つとしてないわ」



 ユージェニーは否定してくれたけれど、ヴィクトリアは自分のことをよく分かっている。


 ヴィクトリアがやりたいことは、父が名前を貸してくれたから実現したのだ。実際に動いていたのは、リアムのように家に仕えてくれている部下たちだ。


 ギルバートとの婚約に関してもそうだ。関係の解消を求めていたけれど、ヴィクトリアがやっていたのはギルバートの動きを探る事だけ。ギルバートが下手を打つことを期待し、ただ口を噤んでいただけだ。



「みすみすあなたを奪われて、取り戻すこともできない。当初の目的通り婚約は破棄できるわ。でもそれも、あなたが情報を渡してくれたから。わたくしの力ではないわ。……リアムと引き換えになんて、したくなかった」



 もっと賢く立ち回れば良かったと、今でも思っている。ただ相手の失策を待つのではなく、裏から手を回して、それこそ貴族らしく、周到に。


 そうすればリアムは、まだヴィクトリアの隣にいたのに。



「私は、後悔していませんよ」



 それなのに、リアムが穏やかな顔でそう言うから。ヴィクトリアは目を瞠った。



「どういう意味?」


「契約で縛られても、もう隣にはいられなくても。私はヴィクトリアお嬢様の従者です。そう名乗れなくなっても、この心は偽れません。これまでも、これからも。私はあなたのためだけに生きます」



 そう誓ったから、と微笑むリアムは、どこにも気負った様子が無い。



「お嬢様が幸せであればそれでいい。そのためにできることなら何でもやります。この身が不幸になろうとも、それでお嬢様が喜ぶのなら私は嬉しい」



 ヴィクトリアはぐっと唇を噛んだ。



(わたくしの幸せには、リアムが必要なのに)



 けれど今の立場では、それを口にすることは許されない。ヴィクトリアはまだギルバートの婚約者で、リアムは従者ではない。



「ですからお嬢様、これも役に立てていただければ」



 リアムが布団の中でごそごそしたかと思うと、大量のスクロールが出てきた。感傷に浸っていたことも忘れて、ヴィクトリアはぎょっとする。



「何、これは……。もしかしてこれを作っていて倒れたの?」


「すべて、映像記録のスクロールです。お嬢様ほど魔力が多くないので、血が足りなくなってしまいました。お嬢様の前で倒れるなど……。不覚です」



 スクロールを一つ開いてみる。リアムの名前に、日付。公的な証拠として扱える形式になっている。スクロールの上で再生された映像は、ギルバートとポーラの会話だった。



『身分制度を壊すために、より多くの協力が必要だと思うんだ。父上に分かってもらわなければならないからね』


『今あたしたちに賛成してくれている人以外にも、きっと今の生活に不満を抱えている人は多いもんね! 貴族だけじゃない……、平民の中にも、きっとたくさん!』


『ああ。僕らの改革を知ったら、皆が喜んでくれるはずさ。なにより、ポーラが言う、皆が平等で幸せな世界を実現できる』


『うん! 最初はヴィクトリアの家のお金を使って、それが無くなったら次の家に……。その時には、あたしを王子妃にしてくれるんでしょう?』


『もちろんだよ、ポーラ。アイラ公爵家が使えなくなったら、ヴィクトリアと結婚する理由もなくなるからね』



 映像の再生が終わっても、ヴィクトリアは絶句したまま動けなかった。


 これは、ギルバートとポーラの計画を明らかにする告発の証拠だ。しかも、今判明している横領なんて些細な罪ではない。アイラ公爵家の乗っ取りを含む、クーデターの計画だ。



「今はまだ、二人が話しているだけの妄想の類ですが。すでに公爵家の資金横領は始まっていましたので、金の流れを断つためにもその情報だけはすぐに流しました」


「なんて馬鹿なことを……! こんな、国を乱すだけのことを、本気で……!?」


「彼らの仲間がどれくらいいるのかは、まだ掴めていません。学園内でしか活動していないのは確認しています」



 リアムの報告を聞きながら、ヴィクトリアは思考を巡らせた。



「学園内だけで完結しているのなら、関わった人間を調べるのはそう難しくは無いはずよ。それに、横領の件で中心人物も挙げられるはず」


「はい。生徒の揉め事には関与してはいけない学園も、王政への反逆となれば協力してくれるはずです」



 リアムはどこか安心したような表情をしていた。ずっとこの証拠を抱え込んでいたのだろう。ギルバートとポーラから離れられないのに、よく隠し通したものだ。


 まだ起き上がれないのだろうリアムの頭を撫でてやる。



「よくやったわ、リアム。どこに隠し持っていたの?」


「従者服には、スクロールを入れておくポケットが多くついていますから。このスクロールをどうやってお嬢様に渡そうかと悩んでいましたが、結果的に倒れて良かったです」


「やめてちょうだい。わたくしは本当に寿命が縮む思いだったのよ」



 まるで以前と変わらない会話。この医務室を出たら、もうこんな風に言葉を交わすことは許されなくなる。


 この証拠でギルバートたちを罪に問うても、リアムはもう貴族としては生きていけないだろう。告発者ということで罪にはならないだろうが、血の契約を結んでいる限り、ギルバートからは逃げられない。


 そこで、ふと、疑問が頭をよぎった。



「……リアム? あなたと殿下が結んだ血の契約、内容を教えてくれる?」


「契約内容、ですか?」



 突然の質問に、リアムは不思議そうにしたが、答えてくれた。



「主従関係を明確に、と、それだけです」


「除外条項は?」


「ありません」



 それだと縛りがきつすぎて、リアムの自由はほとんど無いはずだ。もちろん、裏切り行為は許されない。


 それなのに、リアムがこうやって主人の不利になる証拠を集められたのは、何故だ。



「リアム……。もしかして、だけど。わたくしたちの契約、残っているのではない?」


「え、そんな……、まさか。だって、ギルバート王子の命令には逆らえません。体が自由にならない程です」


「でも、それほど強い主従関係の強制ならば、この証拠は集められないはずよ」



 ヴィクトリアとリアムは、じっと視線を絡めた。


 もし、契約が残っていれば。リアムを助けることができる。取り戻すことができるのだ。


 諦めなくてもいいなら。心のままに動いても、許されるのなら。



「あのね、リアム。わたくしの幸せのために、何でもしてくれるのよね?」


「はい、もちろんです」


「なら、お願いがあるの。命令じゃないわ、それでもいい?」



 リアムは嬉しそうに笑った。



「ヴィクトリアお嬢様の、お心のままに。私はあなたのために生きているのですから」






 授業が終わった教室に、ヴィクトリアは急いで向かった。


 医務室に向かうギルバートたちとすれ違ったが、もう怒りも感じなかった。



「ユージェニー! この後、お時間よろしいかしら」



 ユージェニーは要件を察したのだろう。二つ返事で着いてきてくれた。






 王都のアイラ公爵邸。ヴィクトリアの部屋で。


 ユージェニーが見守ってくれている中、恐る恐る開けた宝石箱の中には。


 端が僅かに燻った、リアムとの契約スクロールが、あった。

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