リアムの限界

 横領の件を報告しなければと、父は慌ただしく王宮に出かけて行った。そろそろ謁見のできる時間も終わるが、さすがに第三王子の明確な犯罪を知って、報告を先延ばしにはできない。


 ユージェニーも、デリックの件をすぐに報告しなければと青くなっていたから、屋敷に返した。スクロールの確認は後日ということになった。


 ユージェニーは気にしていたが、家のことを思えば優先度ははっきりしている。ヴィクトリアの感傷など後回しだ。


 こうなってはヴィクトリアにできることはない。今まで通り静かに過ごして、あとは法の裁きを待つだけだ。婚約についても、父が上手く破棄してくれることだろう。


 胸の内にはずっと燻っているものがある。焦り、諦め、そういう類の感情だ。ギルバートは何らかの罪に問われ、今は彼の従者であるリアムも、二度とヴィクトリアの元には戻って来ない。


 もうその未来は変わらないのに、どうにかなるんじゃないかという足掻く心が残っている。


 自分の部屋に戻り、侍女が出してくれていた箱を机に置いて眺めた。小さな鍵を手にしてみるが、開ける勇気が出ない。


 スクロールが無いことをこの目で見てしまったら、リアムが本当にいなくなってしまうような気がして。


 ヴィクトリアはため息をついて、鍵を引き出しに仕舞いこんだ。






 横領が発覚してから三日が経ったが、目に見える進展はなかった。父と国王は何事か話し合っているようだが、ヴィクトリアには知らされていない。


 学園ではギルバートとポーラが堂々と下位貴族たちを率いて幅を利かせるようになっていた。


 筆頭貴族であるヴィクトリアと対立している形だが、賢明な令息令嬢たちは沈黙を守り、ギルバートたちを刺激しないようにと振る舞っている。


 彼らの未来がどうなるか、薄々ながら皆が察していた。


 このまま沙汰を待てばいいのだ。ヴィクトリアの望みは叶い、道を誤った者は転げ落ちていく。


 そうと知らないのは落ちていく本人たちだけだ。


 それでも晴れないヴィクトリアの気持ちをさらに落ち込ませているのは、ギルバートの後ろに付き従うリアムだった。



「……ユージェニー。最近のリアム、顔色が悪いと思わない?」


「そうですわね……。私にも分かるほどですから、よっぽど体調が悪いのでしょうか」



 座学の授業が始まる直前。ヴィクトリアは教室の一番遠いところにいるリアムを見ていた。


 青い顔をしているリアムに、ポーラが纏わりついている。それに嫉妬するギルバートは不満げな顔を隠そうともしない。


 リアムはただ無表情のまま、ポーラの言葉を受け流している。やはりその顔は血の気がなく、よく見れば足元もふらついているような気がする。


 ギルバートたちは気付かないのだろうか。ヴィクトリアがやきもきしながら見ていると、ふとポーラと目が合った。


 驚いたように目を丸くしたポーラは、ぎゅっと唇を引き結ぶ。



「ヴィクトリア様!」


「……何かしら?」


「リアム君にまだ未練があるんですか?」



 令嬢にあるまじき大声を出したポーラは、机の間を縫うようにしてこちらに歩いてくる。


 自分自身が正義なのだと、信じきった顔で。



「リアム君はもう解放されたんです! ヴィクトリア様の我が儘でまだ振り回すつもりなんですか?」



 猛烈に腹が立った。

 

 挑発に乗ってはいけないと頭の冷静な部分は思うのに、あまりにも自分勝手な言い草に、瞬間的な怒りの炎が燃え上がったのだ。


 ヴィクトリアは目を細め、胸の前で腕を組んだ。そうすると冷たい美貌もあいまって、高圧的に見えることを知っていた。



「わたくしが、いつ、リアムを振り回したのかしら」


「そ……んなの、皆知ってるじゃないですか! リアム君のことを好き勝手にこき使って、虐めて、楽しんでたって! リアム君、いっつも辛そうな顔をして、ときどき震えながらヴィクトリア様に謝ってたって。それに言ってたじゃないですか、リアム君は『かわいそうなのがかわいい』って!」



 一瞬だけ詰まったポーラだったが、すぐに噛み付くように言い返してきた。その向こうで、リアムが小さく首を振っている。恐らく、ヴィクトリアを止めようとして。


 けれど今のヴィクトリアは、止まれない。その気もなかった。



「ええ、そうね。だってリアムの美しさは、その不幸にこそあるのだもの」


「よくも……、よくもそんな酷いことが言えますね!?」


「どれほど不幸な境遇にあろうとも、心の奥底にある願いを諦めきれない。そうやってもがき苦しむ様が美しいのでしょう? まっすぐで強い思いを貫く瞳が美しいのでしょう? 剥き出しの感情が美しくないというのなら、あなたは何も分かっていないわね」



 なによりも、とポーラを、そしてギルバートを睨みつける。



「今のリアムを見てなんとも思わないのなら、審美眼以前の問題だわ。そうでしょう、ギルバート殿下。従者の状況を把握するのは、主人の務めではなくて?」



 怒っていたポーラと、顔をしかめてヴィクトリアを見ていたギルバートが、虚をつかれたように顔を見合せた。


 ヴィクトリアの唇が歪む。



「わたくしの大切な従者を奪っておいて、人として当然の扱いもしてくださらないのですね。殿下も、アーキンさんも」


「なんだと?」


「それでよく、不遇な人々を助けるだなんて、大口が叩けたものだわ。リアム・バルフォア、よろしければわたくしが医務室へお連れしましょう」


「医務室?」



 ギルバートたちは同時にリアムを見た。ほとんど感情のないリアムの顔だが、眉間に微かな皺が寄っている。一瞬だけ縋るような色を乗せた視線は、しかしすぐにヴィクトリアから逸らされた。



「……問題ありません」


「見え透いた嘘を」


「私は、大丈夫です」



 そんなに青い顔をして、何が大丈夫だと言うのか。


 ポーラがリアムに寄り添い、心配そうに言い募る。



「リアム君、体調が悪かったの? 早く言ってくれれば良かったのに! すぐ医務室に行こう?」


「放っておいてください」


「それはできないよ!」



 気付かなかったくせに。ヴィクトリアの苛立ちが増していく。


 リアムが再びヴィクトリアを見た。



「私は……」



 ふらりとリアムの体が傾ぐ。


 その場に倒れたリアムに、教室のあちこちから悲鳴が上がった。



「リアム……!」



 ヴィクトリアは口元を抑え、ポーラたちを押し退けてリアムの傍に膝をついた。



「ユージェニー! 先生に知らせて……!」


「わ、分かりました!」



 ああ、後悔してばかりだ。


 自分の不甲斐なさを噛み締めながら、ヴィクトリアはリアムの手を握ることしか出来なかった。

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