実技授業での事故

 魔法の実技授業は、教師たちが結界を張り巡らせた講堂で行われる。騎士を志す令息や、逆に官僚を目指す者などは、それぞれ専攻の講義を受ける。だが今日の授業は、令嬢も令息も受ける基礎講義だった。


 最終学年ともなれば、自分で術式を改良する力が求められる。今日はそれを教師に披露する場だ。


 講堂には幾人もの教師がいる。この授業は事故が起こりやすい。血に宿る魔力が少ない者は貧血で倒れることもある。貴族の子弟がわざわざ学園に集められるのは、そういった事態にすぐさま対処できるように、という理由もあるのだ。


 ヴィクトリアは早々に課題を終わらせ、ユージェニーと談笑していた。ヴィクトリアは生まれつき魔力が飛び抜けて多く、また座学の成績も常に上位を保っている。教師たちもヴィクトリアのことは信頼しており、授業中に多少自由にしていても許されていた。


 もちろん、リアムもしっかり合格を貰っている。今はヴィクトリアの後ろで静かに待機していた。



「ヴィクトリア様のような才能が私にもあれば……」


「ユージェニーも先生に褒めていただいてたじゃない」


「あれは、前にリアム卿が見てくださった術式ですわ。もちろん、私なりに改良も致しましたけれど」


「そうやって努力することがあなたの美しさなのだから、わたくしはそれを横で見ていたいわ」


「またそうやって、ヴィクトリア様は私を甘やかすのです!」



 拗ねたように言うユージェニーだが、耳の先が赤くなっている。微笑ましくその姿を眺めていると、突然リアムが前に飛び出した。


 懐から引っ張り出した筒状のスクロールを投げつけ、ヴィクトリアとユージェニーに覆い被さるようにして身を伏せる。


 悲鳴が上がった。ユージェニーのものと、もう一つ別の女性の声。


 リアムが頷いたのを確認して、ヴィクトリアは体を起こした。


 少し離れた場所に、頭から爪先までぐっしょりと濡れた令嬢が立っていた。ぷるぷると震える手に、スクロールらしき紙が握られている。そちらも、濡れて原形を留めていなかったが。



「お嬢様、お怪我はございませんか」


「ええ。さすがはわたくしのリアムね。ユージェニーも大丈夫?」


「はい……。問題ありませんわ」



 護衛の仕事をきっちりと果たしたリアムをとりあえず褒め、ユージェニーも落ち着いているのを確認してから、令嬢に視線を戻す。寒さか恐怖か、彼女は真っ青になってその場に崩れ落ちた。



「も、申し訳ございません! 間違ってスクロールを発動してしまったのです……! ヴィクトリア様に攻撃しようなどとは、決して……!」



 言葉を交わしたことはなかったが、彼女が子爵家の次女であることは知っていた。ヴィクトリアはゆったりと目を細め、その姿をじっと眺める。


 教師たちも寄ってきて、双方の無事を確認している。


 こういった事故は、実技授業ではよくあることだ。そのために結界が張られているのだし、いつでも教師が対応できるように配置されている。


 ヴィクトリアのように従者や侍女を連れている者は、彼らに護衛を任せてもいる。だから、そこまで目くじらを立てることでもないのだ。本来は。



「リアム」



 その一言で主の意図を察したリアムは、淀みない口調で答えた。



「あの令嬢が、お嬢様の方を何度も見ていたので、気にしておりました。術式を刻んだ後、こちらに向き直ったので、反射のスクロールを発動させました」



 ヴィクトリアは見ていなかったから分からないが、恐らくは水をぶつけるだけの術式だったのだろう。子爵令嬢は濡れているだけのようだし、リアムが発動した魔法は、攻撃をそのまま返すだけのものだ。


 とはいえ、ヴィクトリアにわざと魔法を向けたのなら、それは許されることではない。



「何か申し開きはあるかしら」


「ほっ、本当に、そんなつもりはなかったのです!」



 地面に額を擦り付けんばかりの令嬢に、ヴィクトリアは首を傾げた。



「だったら、どういうつもりだったのかしらね」



 一層体を震わせる令嬢を見て、一瞬だけ愉悦の笑みを浮かべる。



「まあ、よろしいわ。先生、意図的であれどうであれ、これは指導の対象ですわよね? いつも通りの対応でお願いいたします」


「え……」



 令嬢が顔を上げるが、ヴィクトリアはもう笑ってはいなかった。


 どちらかと言えば、退屈そうな、苛立ったような、そんな目をしている。



「ヴィクトリア嬢、アイラ公爵家への詫びは必要ないと?」



 駆け付けた教師が尋ねてくる。わざわざそう確認するということは、教師の方からも彼女が意図的に魔法を発動したように見えたのだろう。



「ええ。この程度の者に割く時間がもったいないですから」


「な……」



 子爵令嬢は絶句したが、教師は呆れたように笑っただけだった。



「ヴィクトリア嬢らしい。それでは、そのようにしましょう」



 子爵令嬢が何か言いながら、教師に連れられて行く。その背中を見送っていると、講堂の離れた所からポーラが走って来るのが見えた。


 面倒なことになったと思っていると、リアムが強張った顔でその前に立った。



「ヴィクトリア様! さっきの子に何したんですか!?」


「ポーラ・アーキン嬢。お嬢様にそれ以上近づかないでもらいたい」



 状況も分からないのにヴィクトリアを悪者扱いするポーラ。前よりも強い敵意が爛々と目に光っているのを見て、ヴィクトリアは隠しもせずにため息をついた。リアムが警戒するのも当然だ。



「何かされたのはわたくしの方ですわ。言いがかりはよしてくださる」


「そんなわけありません! あの子は優しい子なんだから!」



 周囲で成り行きを見守っていた高位貴族の令嬢たちが、非難めいた声を上げた。それをユージェニーが抑えてくれる。今のポーラに、ヴィクトリア以外が何かを言うのは悪手だ。なぜなら。



「ポーラ、危ないから突然走ったらいけないよ」



 ポーラの後ろには、ギルバートがいるのだから。



「ごめんなさい。でもどうしても気になって」


「授業中の事故は良くあることだよ。そうだよね、ヴィクトリア」



 ギルバートはこちらに笑いかける。だが、その目が冷めていることは見れば分かった。リアムに庇われながら、ヴィクトリアも涼しげに返す。



「そうですわね。ここで何があったかは、先生方が知っておられますから。ああ、リアムに記憶映像を再生させてもよろしいわ。あの魔法は偽れませんから」



 ポーラと違ってギルバートは馬鹿じゃない。だから、証拠があると知れば引くだろう。ギルバートは少し黙り込んで、優しくポーラを促した。



「ほらね、ポーラ。ヴィクトリアは何もしてないよ」


「そんなはずが……っ」



 ポーラはぐっと唇を噛んで、ヴィクトリアを睨みつけた。



「今は……、仕方ないです。でも、絶対にあなたの悪事を暴いて、罪を償わせてみせますから!」


「存在しないものを暴くなど、おかしなことを言うのね」



 ポーラにも分かるように嘲笑う。さらにきつく睨まれたが、ヴィクトリアには意味を成さない。



「覚えておいて欲しいのだけれど、わたくしとあなたには大きな身分差がありますの。わたくしが目溢ししているうちに、その態度を正すことをおすすめしますわ」


「身分なんて……! 今に意味がなくなるんだから!」



 その発言が、何を意味するのか分かっていないのだろう。


 これでまた、証拠が一つ増えたと、ヴィクトリアはほくそ笑んだ。

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