ギルバートとの決別
学園の様子がおかしくなってきたと、知らせてくれたのはユージェニーだった。基本的に高位貴族としか関わらないヴィクトリアは、下の者の様子は人から聞くしかない。伯爵令嬢であるユージェニーは、その点で随分と働いてくれていた。
「アーキンさんが、下位貴族や後継者でない立場の子息たちの中心になり始めているようですの」
去年までとは大きな違いですわね、と顔をしかめるユージェニー。周囲にいた別の令嬢が、それを聞いて眉を吊り上げた。
「マナーもなっていないあの娘に、そこまでの魅力があるとは思えませんわ。何が起こっていますの?」
今はヴィクトリアが主催している勉強会の最中だった。当然ここには、伯爵家以上の令嬢しかいない。ユージェニー以上の情報を持つ令嬢はほかにおらず、自然と注目は彼女に集まった。
「聞いたところによると、アーキンさんを介して、ギルバート殿下が下位貴族たちと交流を図っているようですわ」
ヴィクトリアが婚約破棄を目論んでいることを知っているユージェニーは、その動きを特に問題視してはいないようだった。だが、勉強会に集まっている令嬢たちはざわついた。
婚約者であるヴィクトリアを軽視するようなギルバートの行動は、今後彼女たちの立ち回りにも響いてくる。ヴィクトリアを取るか、ポーラを取るか。
ここで見放しても面白そうだとは思うが、彼女たちはこれからの社交界を背負うことになるのだ。あまり道を誤る人間が増えても良くないと、ヴィクトリアはことりと首を傾げた。
「殿下はもともと、さまざまな身分の方と交流されておりましたもの。アーキンさんと親しくしているのも存じ上げていますわ。王族という立場からは見えない意見が聞けるそうですわよ」
ポーラとのことを暗に認めているのだと、そう聞こえるように言葉を繋げる。実際、愛人を持つこと自体は否定していなかった。もう、婚約を続けるつもりもないが。
「ただ……、最近のギルバート殿下は、少し熱心さが行き過ぎておられる気もしますから。わたくしも少々、考えなければならないことが多くて、困っておりますの」
察しの良い令嬢なら、ヴィクトリアが既にギルバートを見限っていることに気付くだろう。そこから誰を選ぶかは、家の意向もあるだろうから口を挟むことはない。
リアムの用意したお茶を一口飲んで、ヴィクトリアは辞書を開いた。
「さあ、勉強いたしましょう?」
勉強会の終了間近になって、ギルバートが現れた。先触れが無かったため、令嬢たちは慌てて立ち上がり、頭を下げる。ヴィクトリアも同じようにしながら、僅かに目を細めた。
「突然来てしまってすまない。邪魔するつもりはないから、終わるまで待つよ」
ギルバートは、いつもと変わらぬ柔らかい笑みを浮かべる。
「いいえ。殿下をお待たせするわけにはいきませんわ。もう終了する時間でしたし、皆さんもそれでよろしいかしら?」
令嬢たちを解散させ、リアムに新しいお茶を用意させる。
ギルバートは薦められるままに椅子に座った。
「どうなさったのですか、殿下。こちらにいらっしゃるのは珍しいですわね」
ポーラに熱を上げていることとは別に、ギルバートが令嬢の集まりに顔を出すことはこれまでにもなかった。男と女では社交のやり方も違う。ギルバートは女性の社交を、あまり重視していないようだった。
「婚約者に会いに来てはいけないのかい?」
「そういうわけではございませんわ」
お茶会の予定変更を問いただす手紙を読んだか。ヴィクトリアは表情を変えないまま、思考を巡らせた。
さすがに不味いと思って、埋め合わせをしようとでも言うのだろうか。愛人との逢瀬を目撃していなければ、人によっては許したかもしれない。
だが、あいにくヴィクトリアは、もう許すも何もない。
「前は僕の都合で急遽予定を変更してしまったからね。君と話す時間を持ちたくて」
「そうですか」
婚約解消に役立つ情報をくれるなら、いくらでも話し相手を務めるのに。
ヴィクトリアがそんなことを考えているとは露知らず、ギルバートは少し上機嫌に話を始めた。
「最近僕は、あまり関わりのなかった貴族たちと話しているのだけど。それで気づいたんだ。ヴィクトリア、僕たちにはもっと必要なものがあると思わないかい?」
出されたお茶に口もつけず、ギルバートは熱の籠った目で拳を握る。
「……必要なものといいますと?」
「愛だよ」
ここで吹き出さなかったことを褒めてほしい。
「もちろん、僕と君のことだけではない。僕たち王侯貴族は、下々の民に対する愛が足りないんだ。平民たちが必死に働く中で、僕たちは何をしている? 贅沢を極めて、汗水たらして働くことも知らない。もっと、できることがあるはずなんだ」
ヴィクトリアはため息を隠し損ねた。その途端、ギルバートがムッとする。
「……やはり、公爵令嬢として育った君には、分からないのだろうね」
誰と比べているかは明白だ。だが、もうそんなことはどうでもいい。
「殿下のそのお考えは、とてもとても尊いものだと思いますわ」
「ならば何故、理解してくれない?」
「平民のことを学ぶ前に、まずわたくしたち貴族の在り方を知った方が良いのではと、思ったまでです」
「そんなもの、生まれた時からよく知っている。僕は王子なのだから」
そうだろう。王子として生まれ、育てられてきた彼は、とても純粋だ。彼が勉学に熱心だったことも、ヴィクトリアは知っている。
心優しく、誰にでも手を差し伸べられる人だ。
「殿下が、何を理想とされているかは分かります。ただ、理想とは、容易に実現できるものではありません」
「もちろん分かっているとも」
「表面上の情報だけをなぞって、理解した気になることほど愚かなことはないと、わたくしは思っていますわ。わたくしにできることなど限られております。だから、間違えたくはないのです。安易な回答に飛びつくのは、わたくしがもっとも恐れることですわ」
ギルバートはヴィクトリアを見つめた。そして、静かな声で言う。
「そうやって機を逃すくらいなら、僕は走り続けることを選ぶさ」
「……わたくしたちは、最初から相容れませんわね」
ヴィクトリアの言葉に、ギルバートは清々しい笑みを浮かべた。
「その通りだね。だが、君が僕の婚約者であることに変わりはないよ」
それが彼の諦めなのか、決意なのか。ヴィクトリアには分からなかった。
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