従者リアムの憂い
「お嬢様……」
リアムが心配そうな声を出すから、ヴィクトリアは少しだけ笑ってしまった。
騒ぎのあった授業を終え、王都の公爵邸に帰って来たばかりだった。部屋着のドレスに着替え、部屋のソファーに座ったところである。
「どうしたの、リアム」
「……今日のことで、思うところがありました」
跪いたリアムの顔を上げさせて、ヴィクトリアは微笑む。
「何かしら?」
「あの子爵令嬢、おそらくはアーキンがけしかけたのでしょう。意図的かどうかはともかくとして。お嬢様は公爵令嬢としての威厳を見せつけておられましたが、あの女にそれは効きません」
「ええ、そうでしょうね」
リアムやユージェニーからの報告はすべて聞いている。ポーラと例の子爵令嬢が親しくしていることも、ポーラがヴィクトリアの悪評をばら撒いているのも知っている。
そして、ヴィクトリアがアイラ公爵家の権威を誇示すれば、ポーラはそれすら悪の所業として語るのだろう。
それにしても、リアムが「あの女」と呼ぶときの声。嫌悪感が滲み出ていて良い。
「あの女は世の道理を知りません。理解する気もないでしょう。そんな女に賛同する者が、同じでないとどうして言えるでしょうか」
「……取り込まれた者たちが、わたくしを直接害そうとする、と?」
「愚か者は私たちの予想を大きく外れてきます。最悪の事態は常に想定しておかねば」
リアムの懸念は分かる。護衛も兼ねているリアムが、ヴィクトリアの身の安全を考えるのは当然のこと。
それに、似たようなことはヴィクトリアも予想していた。
「今日のように、仲良くなった令嬢に何かをさせるとしたら、わたくしは負けないと思うのだけど、どうかしら」
「魔法でしたらヴィクトリアお嬢様に敵う者はおりません。貴族としての教養や才能で勝るものもそうはいないでしょう。それに、私がいる限り、お嬢様には指一本触れさせはしません」
「そうね。だったらリアム、何を心配しているの?」
不安そうに赤い瞳を揺らすリアムは、胸が震えるくらいにかわいい。自分でも不安の理由が分からないのか、珍しく言葉を迷っている様子だった。
「……嫌な感じがするのです。あの女も第三王子も、お嬢様のことを下に見ています。自らが高みに立つと思う者は、驚くほど残酷になります」
――それはきっと、リアム自身の経験に基づくものだろう。彼の幼少期は酷いものだったから。
ヴィクトリアは安心させるように、リアムの頭を撫でた。銀色の髪は絹糸のように指に心地よい。
リアムはほっと息を吐いて、ヴィクトリアの手を享受していた。
「今のところ、伯爵家以上の令嬢はわたくしから離反する様子はない。派閥はあるけれど、ポーラに付きたいと考えている者はいないわ。……下の方は、少し乱れ始めているけれど」
「お嬢様と話す機会がない者は、お嬢様の趣味を誤解していますから」
「うふふ、アーキンさんが悪く言うあれでしょう? わたくしは美しいものが好きなだけ。奪われると勘違いして青褪め、震える者たちの表情も含めて」
ただ自分の好きなものを愛でるために、誤解を解かずにおいてあるだけだ。悪いことは特に何もしていない。ポーラが言うように持ち主から奪うわけでもなし。
ユージェニーから聞くまで、勘違いの原因がヴィクトリアの美しさだとは知らなかったが。
美しいものを愛でるのが悪いと言うのなら、ヴィクトリアは喜んで悪女となろう。正義などという詭弁を振りかざすくらいなら、自分の心を貫いて死んだほうが遥かに美しい。
ヴィクトリアは心底そう思う。
「とはいえ、殿下たちの動きが問題なのは違いないわ。お父様に報告するのは当然として、どうやってお仕置きしてあげましょうね」
ヴィクトリアとしては、婚約が無くなればそれでいい。ギルバートの有責で、公爵家から破棄を突き付けるのが一番望ましい。それ以上の混乱は不必要だ。
それを思えば、学園内で起きた未成年の反抗、程度に収めてほしいものだが。
「でも……。あの顔が絶望に歪むのを見るのは、もしかしたら楽しいかしら? 殿下もアーキンさんも、それなりに整った顔立ちをしているもの……。どうしようもない現実に泣いて震えて、蹲るしかできない姿……。わたくしが満足できるくらいに美しいのかしら」
想像して、ついヴィクトリアは笑みを零した。いつも自信に満ち溢れていた顔が、歪んで崩れて潰れる様は、ひょっとするとヴィクトリアの求めているものかもしれない。
その瞬間、リアムが声を上げた。
「駄目ですっ」
今にも泣き出しそうなくらいに、その瞳が潤んでいた。
「それは……、私のものです。私だけの……」
リアムを拾った時のことを思いだした。父に連れられて行ったスラム街の片隅で、薄汚い身なりで倒れ、ただ死を待つばかりだった少年の姿を。
ヴィクトリアに、『美しさ』を強烈に刻み込んだのは、リアムだ。
「まあまあ。リアム? あなた以上に美しいものが、いるわけがないでしょう?」
未だに甘美な夢に見るくらいなのだ。リアムこそがヴィクトリアの思う美しさの頂点で、それが変わることなど未来永劫ありえない。
リアムの血に魔力が宿っていると知った時は、飛び跳ねて喜んで母に叱られた。リアムが魔力持ちならば、貴族の身分を与えて一番近くに置いておくことができる。
どこかの貴族の血筋であろうリアムが、スラムにいた理由などどうでもよかった。ヴィクトリアも、リアム本人でさえ、その血統に興味はなかった。
「あの二人が素敵な表情をしてくれたところで、元が醜いことには変わりないのだから。あなたを超えることなんてありえないわ」
右手を差し出せば、リアムは誓うようにその手を取り、額を押し付けた。
「本当は、私一人だけがお嬢様の心にいたい。お嬢様の望む美しさを、私だけが持っていられたら……。宝石やドレスにすら嫉妬してしまう、この私の心は、美しくありませんか?」
リアムは、熱を帯びた目でヴィクトリアを見上げた。憂うような視線に、焦がされそうになる。
解放された手でリアムの頬を撫で、鼻先にふうっと息を吹きかけた。
「馬鹿なリアム。わたくしがそれを喜ばないとでも? あなたは身も心も美しいわ」
いつまでもリアムは、ヴィクトリアの忠実な従者だ。かわいそうで不憫で哀れな、かわいいリアム。
「ほんとうに?」
「あら、わたくしの目を疑うのかしら?」
「そんなことはっ!」
ふふふ、と笑って、ヴィクトリアはリアムの頭を再びかき回した。結われた髪が乱れるのも構わずに、撫で続ける。
「安心なさい、リアム。わたくしはあなたの不幸もすべて、こうやって愛でてあげるわ」
「……では、私は。ヴィクトリアお嬢様の幸せのために、この身の不幸もすべて差し出します」
「いい子ね、リアム。それで良いのよ」
こうやってヴィクトリアをときめかせるのは、いつだってリアムだけなのだ。
「決して、手放したりしないわ。リアム」
「はい、ヴィクトリアお嬢様」
リアムは目尻を朱に溶けさせて頷いた。
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