第二章 その5
そう、素敵な夢だった。ほんとうにそうであったのか誰も分からない夢。素敵で、甘い夢。
「僕が思いつくのは、その神社くらいだよ」
閑話休題。そろそろ現実から夢を引き離さなきゃならない。別にこれといって急いでいる訳でもないけど…、やっぱり自分の夢の内容を知られるのは気恥ずかしい。この恥ずかしさは時間を置いて甘みが酸化していくような感覚だ。あんなにも甘美な夢が、今では引きつるような感覚を与えてくる。このまま放置してしまえば饐えた匂いで心筋梗塞でも起こしてしまいそうだ。
フォクシーの視線は名残惜しそうに中空をなぞり、僕の方を向いた。
「個人的には、記憶の成れの果てがそこにあるかどうか半信半疑だけど、他に行くところもなさそうだし、行ってみましょう」
既に口調はしっかりとしており、先ほどまでの余韻は残っていなかった。それに僕は短く返事を返した。
すると、これまで静かだった金木犀が一度ぴくりと体を動かし、一歩前に出た。
「神社に行くのは分かったけど…、外には成れの果てっていうのがいるんでしょ?そんな中で行っても平気なの」
金木犀の沈黙はそれが原因だったのだろう。心配、懸念、フォクシーの話の間中そのことで気が気じゃなかったはずだ。誰よりも活発だけど、誰よりも臆病な金木犀。その恐怖は、さも当然だったに違いない。
それにフォクシーが答えた。
「そんなの危険に決まってるじゃない。見つからないようにやり過ごしていくのよ。でもまぁ、あいつらって案外鈍感だから避けていくのは難しくないと思うわ。
問題は、〝あいつ〟よ」
フォクシーは〝あいつ〟という単語を殊更強調して、一度口を閉ざした。
あいつら、ではなく、あいつ。つまり、そこらの成れの果てではない別の存在、ということだろうか。
「あいつって?なぁ、もったいぶんなよ」
僕は苛立ちを隠せずに言った。
「別にもったいぶってなんかないわよ。ただ、あれが何なのか私でも分からないってだけ。見た目はウネウネした影みたいで、いつもどこからともなく目の前に現れて追いかけてくる。でも、何よりすごく不気味なのは、私が全速力で走って息も絶え絶えって状態なのに、あいつはずっと歌いながら追いかけてくるの。声のトーンも変えずに」
「歌?」
「そぅ、歌。有名なわらべ歌だったような気もするけど、あいつ鼻歌で歌ってたから、なんの歌だったのか何となく出てこないのよ。
確か、こんな感じの曲よ」
「~~~♪」
フォクシーは鼻歌を奏でた。そしてそれに僕は唾を飲み込み、大きく喉を鳴らした。
「それ、『かごめかごめ』……だよ」
最近どころじゃない。ついさっき、僕はその歌を聞いた。鬱蒼とした森の奥、全身にまとわりつくような息苦しさの中、僕はその歌を聞いた。
「あぁ!そぅそぅ。その曲よ。よくそんなすんなりと曲名が出るね。現代っ子のくせに」
「さっき聞いたんだ。その曲」
僕の告白に、フォクシーは体の動きを止めた。顔は毛だらけで皮膚なんて見えないが、確かにフォクシーの顔色は青ざめていた。そして。
「聞いたって…。それっていつ、どこで!」
物凄い剣幕で捲し立ててきた。足元まで駆け寄り、ズボンの裾を前足で引っ張っている。まるで首根っこを掴んでいるみたいだ。
僕がたじろいでいると、金木犀がはたと気が付いたような表情を浮かべた。
「それって夢のこと?ほら、フォクシーちゃんも聞いてたでしょ。コータローが初めて見た夢がどうのこうのって。歌と鈴だっけ?あれのこと?」
僕は首が取れのではと感じるほど縦に首を振った。
「夢で聞いたって、なんでもっと早く言わなかったの!」
ひどい剣幕だ。フォクシーが金木犀を拒絶した時の態度が可愛くみえるくらい、あんまりだった。
「いや、んなこと言われたって知らんよ。フォクシーだって今言ったんだろ。それで僕が責められるのは筋違いもいいところだ」
そして僕は足を半歩だけ引いた。その時にはズボンの裾を掴むフォクシーの握力も幾らか弱まっており、布地がするりと手から零れた。
フォクシーは喉で小さく唸り声を上げている。
「うぅ…、だって……、だってぇ…。
わかったわよ。わかったから。ごめん。ちょっと取り乱した」
そして一回鼻をすすった。
「ごめんね。あいつの話も今したばっかなのに、言う言わないとかないよね」
「別に、いいけど。
それだけ慌ててるってことは、その分だけ危ない奴なんだろ、その〝あいつ〟って」
「そう、そうね。あいつだけ全く素性が分からない。成れの果てなのかも正直怪しいくらい。最近はどうしてかあんまり出てこなくなったんだけどね。まぁ、それでも石橋でもなんでも叩いて渡りたいんだけど…」
「考えても、分からないんでしょ?」
詰まった言葉に、金木犀がそう続けた。
「む、その言い方ちょっと刺がない?まぁ、事実だからいいんだけどね。
多分、言わなくちゃいけないことは粗方言ったかな?」
フォクシーは少し不貞腐れたような態度を取った後に、僕と金木犀を一瞥した。そして、大きく首肯した。
「じゃあそろそろ出発しましょ。善は急げ、よ」
「こんな辛気臭いところに長居したくないしな」
「長居したら案外都かもよ?」
馬鹿を言え。
「都住みの奴が一番鬱陶しそうにしてるくせに」
「田舎に京あり、って言葉知ってる?」
「なら僕は京に田舎あり、って返してやるよ」
するとフォクシーは「むぅ」と唸り、地団駄を踏んだ。それに僕は鼻にかけて笑ってしまった。それを見たフォクシーは尚のこと悔しさを滲ませた。
しかし、ここが都であれ、田舎であれ、そう関係ないんじゃないか、とふと思った。
「薪の代わりに両手に花なんだから、確かに都なのかもな」
戸を開けると、そこは変わらず夕暮れの最中だった。あまり開けた場所ではなかったたら、駅前よりもより一層暗い印象を受ける。十数メートル先に膝丈くらいの歪な何かが黒い地面から生えるようにして建っている。多分、狐地蔵の小屋だろう。
すると、後ろからフォクシーが声をかけてきた。
「神社の場所は目星がついてるから、あんまり心配しないで」
小さな首を後ろに回して、二の足を踏んでいる金木犀を急かした。
金木犀は戸口の後ろで半身が隠れるようにして立っていた。まるで外に得体の知れない何かが居て、その様子を隠れて伺っているような仕草だった。
手を握れない金木犀に、僕はそれでも手を伸ばした。それを見た金木犀は、大きく目を見開き、そして恐る恐る手を伸ばしてきた。指先が触れ合う距離まで近づいても、体温は感じられない。そして像が指に結ぶことはなかった。だが、指に触れようとして体をのりだした反動で、一歩、外に踏み出していた。
「さぁ、行こう」
少し頬を赤らめた。
「大丈夫だよ、ね?」
「だいじょうぶ。へーきだよ」
僕の言葉に、金木犀はまたも目を見開き、そして微笑んだ。
「あぁ、言われちゃった」
「たまには、ね」
「おぃ、そこ。いちゃこらすんな!」
出立は笑顔で、足跡だけが餞をしてくれていた。
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