第二章 その3
「お前、じゃないでしょ。金木犀でしょ?」
そして笑顔が咲いた。
「おはよ、コータロー」
大きく伸びをした金木犀は周囲をぐるりと見回した後に、きょとんとした表情を浮かべた。
「あれ?私、何してたんだっけ?」
そして小さく唸り声を出しながら、記憶をひねり出すような仕草をしだした。
「コータローとお喋りしてて…、それで…。
そう、急に頭が痛くなったんだよ」
金木犀はその痛さを思い出したのか、手で後頭部をさすっている。
「そう、すっごく痛くて頭を抱えてたんだよ!コータローは平気だった?」
金木犀は興奮気味に語った刹那、表情を曇らせて僕に問うた。しかし、僕はあの鈴の音に恐怖こそ感じたものの、痛みは感じていない。
「僕は、痛くなかったかな。そっちのフォクシーも全然大丈夫だったみたい」
「全然じゃないけどね」
間髪入れずフォクシーが言葉を挟む。金木犀との会話に口を挟むのは意外や意外だ。本人の口から金木犀を敵視している、という言葉を聞いた後に砕けた言葉を投げられるのは虚を突かれる気分だ。
だが、金木犀は気を失っている間に、僕とフォクシーの間でそんな会話が行われていたことなんて知らないだろう。知る由もない。よしなし、なはずだ。
金木犀はフォクシーの軽口に表情を明るくさせ、二人の間隔を少しだけ縮めようとした。しかし、さっき跳ね除けられたことを思いだしたのか、一瞬動きを止めた後に居住まいを直した。
「もしかして、フォクシーちゃんも怖かったの?」
恐る恐ると言ったふうに訊いた。
すると、フォクシーは鼻を鳴らしながら、ふいと横を向いた。
「あなたたちが怖がって大声を出さないかヒヤヒヤしたの。
まぁ、杞憂だったから良かったけどね」
そしてフォクシーは壁を向いて体を丸めてしまった。今はもうもふもふの毛玉にしか見えない。
金木犀は手を胸の前でソワソワと動かしている。その視線は丸まった毛玉に向いていた。
「こら。め、だぞ」
僕が金木犀の肩口にそう言うと、金木犀は振り向きがてら苦笑いを浮かべてバツの悪い表情をした。一歩進んで二歩下がってしまっては仕方ない。
「はーい。分かってるよ、パ・パ♪」
はぁ。ため息が漏れてしまう。しかし、金木犀はやっぱりこうじゃないと。
「パパ?」
壁を向いていたはずのフォクシーが頭を傾げるようにしてこちらに振り向いた。
そりゃ、金木犀が僕のことをパパ呼ばわりしたら驚くのも当然だろう。
すると、金木犀が胸を張って威張るようにして言った。
「そぅ!私はコータローの瞳の後ろで産まれた存在だし、私に名前だって付けてくれたの。それってつまりパパ、でしょ?」
「あんた、それ歪んでるわよ」
フォクシーは引き気味に呟いた。
「えぇ?パパじゃダメなの?
うーん…、ならSF映画みたいにマスターって呼ぶ?人造人間・金木犀と狂気のマッドサイエンティスト・コータロー的な!」
もし金木犀の後ろに尻尾があるのなら、それはどれだけ楽しそうに振り回されているのだろうか。勢いがつきすぎて床に叩きつけているのではないか。これが人造人間だったら間違いなく失敗作だろう。
「なら、マッドサイエンティストに作られた人造人間さんは何が出来るんだ?」
軽口のつもりで言った。
その言葉に金木犀は「演算中…。ぴぴぴ」と口で唱えながら目を瞑っている。
そして程なくして目を開いた。
「私のプログラムには、尻尾を振り続けろ、という命令しかありません。ぴぴぴ」
「尻尾を、振り続けろ…?」
「そうです。マスターは私のお尻をずっと見ています。そして、尻尾を振っているような仕草や言葉遣いをすれば、マスターは喜びます。だから、私は尻尾を振ってマスターを楽しませます。それが私の、至上命令、ですよね?」
んなわけあるか!
「ばっ、んなわけねぇだろ!人をおちょくるのもいい加減にしろ!」
尻尾云々について金木犀にバレていたなんて思いもしていなかった。確かに金木犀に尻尾があったら、可愛いし楽しそうだとは思ったさ。それは否定しようもない。だけど、それに他意なんてありはしない。断じて!
「うわぁ、サイテー。女の敵ね」
壁際で人を蔑むような声が聞こえてきた。僕は振り向かなかった。いや。振り向けなかった。
流石は人造人間。僕の送った火種は、実は火を噴くための点火装置だったらしい。炎も出せるとはなんて高性能なんだ。
結果、一名の重傷者あり。
「はぁ、勘弁してくれ」
ゆっくりと肩を落とした。そして屋根の梁を仰ぎ見た。
うっすらと浮かぶ木造の光景に、金木犀の顔がひょっこりと覗かせた。
「えっとね、人造人間はマスターの命令に忠実だ、ってなんかの映画でやってたの」
そして小さく「ごめんね」と言って小さく薄桃色の舌を出した。
「僕は金木犀に命令を出した覚えはないぞ」
質問したりだとか、お願いしたりとか、そんなことはやり取りをする中で幾度もあった。どんなやり取りがあったか、と尋ねられてもあまりピンとこないが、まぁ取るに足らないお喋りなのだからそんなもんだろう。一度駅前で高圧的な態度を取ったこともあるが、あれは傲慢さというよりも恐怖によるものだった。なら表面的な部分よりももっと底の部分で異なるものに違いない。
「私は高性能だから、なんとなく分かるんだよ。先を行く超頭脳!」
そして鼻高らかにしてみせた。
流石、高性能な人造人間様だ。特異点は遥か後ろかと思いきや、本人は一周して僕の後ろに居るに違いない。それもその一周も驚くほど小さいときた。
しかし、楽しそうならそれでいいだろう。腰を折ってしまうのも野暮だ。
人造人間・金木犀の暴走もひとしきり終わって、僕はフォクシーに目顔で知らせた。
ところが、フォクシーは僕の視線には気が付いていない。僕の視線から逸らされた先には金木犀がいた。その視線は少し神妙そうで、哀し気な色をしているように見えた。
「なぁ、フォクシー」
息を殺すようにして投げた言葉に、フォクシーは視線だけで反応した。そして意図を察したようで、壁際で丸まっていた体をほぐし、一度大きく伸びをしたかと思うとゆっくりと歩み寄ってきた。そして僕の横にちょこんと座り込んだ。
「そろそろ頃合いだと思って呼んだんだけどさ。話してくれない?僕たちが知るべきことを。例えば、あの鈴の音は何か、とか」
フォクシーと視線が交差する。そしてそのまま数秒の間止まってしまった。
視界の横で金木犀があたふたとしているのが見える。思考の端で「あいつなにやってるんだ?」と思ったが、多分僕がフォクシーと一触即発の大戦争でも起こすのではないかとひやひやしているのだろう。金木犀は何も答えないといったフォクシーのことを覚えており、同時にさっき外で交わした会話のことを何も知らない。だからこそ、ダメと言われたことを無理やりにも通そうとする無鉄砲な言動と思われているのだ。
「ねぇ、コータロー。それは…」
「いいわよ」
被せるようにして放たれた短い言葉に、金木犀は固まってしまった。
そして錆びついたブリキ人形の首のようにぎこちなくフォクシーの方を向いた。その瞳には疑問と驚愕が隠さずに溢れ出していた。
「えっ、フォクシーちゃん、いいの?」
金木犀は耳を疑ったに違いない。だからこそのこの言葉だ。
「なんども言わせないでよ。いいの。だけど何でもかんでもは答えないから。私のことだったりを訊いたら顔を引っ掻いてやるわよ」
「でも…、私のこと触れないよね?」
「うっ、じゃあ彼の顔を引っ掻くことにするわ」
鼻頭で僕のことを指すな。これじゃまるで生贄じゃないか。
「コータローが傷つくのはやだから、それはやめとくよ」
その苦笑いは肯定を意味しているのだろう。フォクシーも納得した様子だった。
鈴の音。その言葉を頭で咀嚼するように反芻すると、どこからともなくその音が鳴ってくるような錯覚を覚えてしまう。振動の一つ一つが生きとし生けるものに害をなそうとしているかのようなあの音は、僕に生物的な危険信号を植え付けた。あれは危ない、自ら近寄ってはいけない、そんな生得的な何かが僕に警告していた。
だが、近寄ってはいけない、とはどの程度のことを言うのだろうか。物理的か、それとも概念的か。
有名な兵法に『彼を知り己を知れば百戦殆からず』という言葉があるそうだ。彼我のことを知っていればどんな状況にも対処が出来るという意味らしいが、今の僕は自分のことさえままなっていない。
それに、本能にどこまで従うかということも表題としてはとても難しい。だからこそ、相手への距離感についていい塩梅を見つけなくちゃならないのかも。
僕は大きく息を吸った。温いとも涼しいとも感じられない空気に肺が膨張する。そして口から生気を感じさせる吐息が漏れた。
「じゃあ。始めよう」
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