第二章 その1

第二章

フォクシーは居間に上がり、部屋の隅で丸まっている。その様子からするに、どこかに行く様子はないみたいだ。

僕はさっきまで寝ていた場所に座り、冷たい囲炉裏の火かき棒を弄ってみた。少し積もっている灰に突き刺したり、かいてみたりしたが、それもすぐに飽きてしまった。

そういえば。

「なぁ、金木犀」

さっきからあまり元気がない金木犀は、僕の言葉に視線で反応した。

「さっき僕が寝ていた時に見た夢の話なんだけどさ。僕もむせ返ってたし、何となくその時に言うべきじゃなかったような気がしたから言わなかったんだけどさ。

あれ、いつもの夢じゃなかった」

「えっ?」

金木犀はわけが分からない、といったふうにして聞き返してきた。そのとき、視界の端に見えていたフォクシーの垂れた耳が、ぴくりと動いたのが見えた。

「いつもの夢じゃないって、どういうこと?」

「自分でもよく分からないんだ。

確かなのはいつもの祭りの光景とか森で追われている場面がなくって、その代わりに森の中で鈴の音と歌みたいのが響いてた」

「鈴と、歌?それだけ?」

「いや、よく分からないんだけど、鈴を鳴らしてる人がいたんだよ。僕たちよりももっと小さい女の子みたいだったかな。その子が土の中に生き埋めにされてて、とっても苦しそうだった。その苦しさが僕にも伝わってくるようで、無性に気持ち悪かったんだ」

反芻しているだけで息苦しさとどこからか湧いてくる胸糞悪さが込み上げてくる。あれは多分口で説明されても伝わり切らない類いのものだ。それくらいに筆舌に尽くしがたい感覚だった。死んでいないからこそ生きている。なら死にゆく感覚をリアルに想像できる人なんているはずもない。普通なら。

「これまで違う夢をみたことなんてあった?」

金木犀が心配そうな表情をしながら問うた。

「覚えてる限りは、ない。ここに来て初めて見た夢だと思う」

その言葉に金木犀は小さく、そう、とだけ言った。フォクシーは相変わらず聞き耳だけは立てているようだ。

すると、金木犀は吹っ切れたように視線を上げ、にかっと笑った。

「これって次のステップに進んだってことだよね!じゃあここまで来て正解だったんじゃない?やっぱり私って天の才!」

そして金木犀は腕を胸の前に伸ばし、ピースサインを作ってみせた。

フォクシーは金木犀のことを注意しておけ、と言っていたが、こんな気丈な子をどうして悪くできるのか。注意くらいは出来るかもしれないが、それ以上のことを求められると出来そうな気がしない。

その後は金木犀ととりとめのない会話をしていた。この前テレビで見た外国の綺麗な景色だったり、食事をしたことのない金木犀に僕の好物のメロンパンの甘さをどうにか説明できないか試したり、これまでにないくらい金木犀と会話、というかお喋りをしていた。

気道に詰まった土を吐き出したくって、そうやって僕は喋り続けた。


時間がいくら経とうとも、不気味な夕焼けが暮れ切ることはなかった。赤黒い空に月や星が隠れ、薄く纏わりつくような闇が辺りを覆いつくしている。そんな外界から身を守ろうと、僕たちはこの小屋の中に留まっている。

どれくらい時間が経っただろうか、金木犀とお喋りをしている最中、ふと耳に違和感を覚えた。どこか遠くで残響のような音が鳴っている。

最初はただの耳鳴りか何かかと思った。だが、耳鳴りにしては音に抑揚がある。普通の耳鳴りはモスキート音に似た甲高い音が不断に続くというイメージある。しかし、この耳鳴りは音が鳴り、そして止み、という反復を繰り返しているような奇妙な音だった。

そして、その鳴りは次第に大きさを増していった。

ちりん

ちりん

その音は間隔を保ちつつ、段々と主張を強めていった。

僕は天井の梁を仰ぎ見た。耳鳴りだと思っていた音は、僕の頭の奥底から鳴っている音ではなかった。その音は人間の頭よりも遥か上から、そして雨が降り注ぐかのように伝わってきた音だと気が付いた。

空気が揺れている。そして天井の梁から細かな埃が音を乗せて落ちてきていた。

「静かに」

僕の後ろから声を忍んだ言葉が聞こえてきた。

振り返ると、そこにはフォクシーが先ほどよりも体を小さく丸めながら息をひそめていた。

「静かにして。ね」

声はとても穏やかそうだった。だが、僕を見ている視線は剣呑な雰囲気を出していた。恐らく僕が落ち着きを乱さないように取り繕っているのだろう。その冷静さのお陰で、僕は息を殺すことができた。

金木犀は手を口に強く押さえつけている。鼻頭と手の隙間から吐息が漏れている音が聞こえる。これまでなら、実体の持たない金木犀がそんなことをしても意味がないと思っただろう。しかし、フォクシーが金木犀のことを見ることができるのなら、小屋の上空辺りに居ると思われる鈴の音の〝何か〟にバレることもあるのかもしれない。だからこそ、金木犀がそうしてくれるのはありがたかった。

ぢりん

ぢりん

振動が屋根から空気を伝い、体中に襲い掛かってくる。まるで音の波自体に意思があり、体中を乱暴にまさぐられている気分だった。内臓に振動が伝わり、収縮しているのが分かる。

濁音交じりの鈴の音は、体を震わせ、思考を震わせ、そして世界を震わせていた。

僕は微かに残った思考を恐怖に埋め、そして強く目を閉じた。目玉が潰れることも厭わないほどに、つよく。


尻に何かが触れた感覚がした。僕は驚いてしまい情けない声を上げてしまう。鈴の音で希釈された感覚が体中を駆け巡り、その拍子に鳥肌が立ってしまう。

僕は手で耳を強く押さえつけて、その場でうずくまっていたようだった。折りたたんだ体を弾けるようにして伸ばし、周囲をきょろきょろと見まわした。

さっきとなんら変わりのない小屋の中。薄暗い狭間、僕の前には金木犀がさっきまでの僕と同じような体勢でうずくまっていた。既に鈴の音は消えていた。

呆気に取られていると、もう一度だけ僕の尻に何かが触れた。僕はしゃっくりにも似た悲鳴を一つ上げ、距離を取るようにして前に飛び退いた。

そこにいたのはフォクシーだった。

フォクシーはきつねの小さな白い手を指のように口の前に持っていき、シー、と言った。多分、お静かに、という意味だろう。そしてちらっと金木犀の方を見やった。まるで、金木犀に後ろめたいことがありつつも、それをひた隠しているような仕草だった。

そして。

「こっちに来て」

と囁くように言ってきた。

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