第17話 3月の先輩と俺3


 扉に張り付き聞き耳を立てる。

 奥の小部屋からは何も聞こえず、静まり返っていた。


「面倒だな」


 舌打ちした兄貴が顔をしかめた。


 見張りの男を打ち倒した際に、倉庫に積んであった貨物の方へ吹っ飛んだ。

 その結果、盛大に物音を立てたのだ。

 中が静まり返っている事から、外で何かがあった事はばれたと思う。


「行くしかねぇんだがな、入口は一つだ。何か仕掛けてくるかもしれねぇ」

「待ち伏せされていても、行かないと」


 璃々音の身が気がかりでしょうがない。

 さっき聞こえてきた声は、あの子なのか? 

 

 兄貴はしばらく考えていたが、他に手がないと決心したのか、顔を上げた。


「……十分、気を付けて行け」


 かくして、突入することになる。


 ドアには鍵は掛かっていなかった。少し開けると、漆黒の闇。

 生ぬるく、湿った空気が肌を撫でる。

 女のものだろうか。深い吐息が聞こえた。


 心臓の鼓動が一段跳ねる。璃々音はどこに!?

 兄貴が、懐中電灯で室内を照らす。

 

 ソファ、テーブル、あれはカメラか? 

 それから、大きなローベッドに……、白い肌。人だ。裸の女が転がされていた。

 

 クソ……、遅かった!

 俺は思わず、部屋に侵入して、彼女を引き起こした。


「これ……」


 その子はひどいありさまだった。

 体のいたるところは傷だらけだったし、手足はひどく縛られたのかうっ血していた。内出血もいたるところに。腕に注射の跡がいくつもあって、クスリも使われているのだろう。


 一体、どれくらいの間、なぶられていたのだろうか。

 目もうつろで、乾いた唇からは「あはは……」と意思のこもらない笑いが漏れていた。


 それを見て、俺は――――――
























 安心した。


 「違う。別人だ」

 似ているけど、


「趣味がわりぃ部屋だな……」

 顔をしかめた兄貴が、部屋の明かりをつける。


 室内には、その子しかいない――――わけではなかった。



「あーん? おい、そこのヤツ、出てこい」


 ソファの影に潜んでいたそいつは、苦虫をかみつぶしたような顔を上げる。

 ナイフを構えていた。だが、その表情は精彩を欠く。

 圧倒的に不利なのを理解しているからだ。


 あの時みた顔。蛇のような顔。蓬莱という男。

 

 そしてその傍らには璃々音がいた。

 縛られて、さるぐつわをかまされて、顔は涙で濡れていた。

 多少の暴力も振るわれたのだろうか、頬も腫れていたし、髪も乱れていた。

 

 だけど、それだけだ。

 生きているし、手遅れなほど、酷い目にはあっていない。



「くそ……てめぇら何者だ」


 焦りをあらわにした蓬莱が吠える。


「答えろ……お前ら誰の手先だ。どこの鉄砲玉だぁ!?」


 蓬莱は、俺だと気づいていなかった。

 さらに、キョロキョロと周囲を気にしている。他に味方がいると思っているのだろうか?


「とっとと、ナイフを置けよ」

 兄貴がボウガンを向け、言った。


「お前の手下はもう居ない。お前たちはやり過ぎたんだよ。クスリの密売。それから、女。海外に売り飛ばしてるだろ。上はお前を処分する事に決めたよ」


「はぁ!? ふざけんな!」


 蓬莱に動揺が走っている。明らかにうろたえていた。

 こいつら、そんな事もしていたのか?


「お前はもう終わりだよ。政治家に手を出したのは最悪だったな。先生はお前を消せと仰った。だから俺たちがここにいる」


 これはきっと、ハッタリだ。俺たちは殺し屋じゃない。

 兄貴の機転にはいつも驚かされる。

 だけど、そのおかげで、圧倒的に状況は有利になった。


 兄貴がちらりと視線を向けた。

 圧かけろ――そういわれた気がした。


「く、来るんじゃねぇ!?」


 警棒を構え距離を詰める俺に、蓬莱はうろたえた。

 ナイフを璃々音に突き付ける。

 璃々音の顔は恐怖が浮かんでいたが、暴れたりはしない。

 良い子だ。


 じりじりと近づく。

 あともう少しで、間合いに入る。


「こ、こいつ。和歌宮の隠し子だろうが!? こいつがどうなってもいいのか!?」


「関係ない。先生は娘の生死は問わないと言った。お前はもう詰んでるんだよ」


 兄貴の冷たい声が部屋に響く。


 ヘルメットで顔が見えないのは良かった。

 璃々音が俺だと気づいたら、蓬莱にばれる可能性がある。


 俺は無言を貫き、にじり寄る。

 蓬莱の額に汗が流れた。


 こんな場合、追い詰められた相手のパターンは――


「くそがぁ!」


 人質を盾にしての特攻だ。縛られたままの璃々音を投げて寄こす。

 そのうえで、ナイフを突き出し――



「させねぇよ」



 兄貴の放ったボウガンが、蓬莱の足に突き刺さり、もんどり打って倒れこんだ。

「んあああ! クソ、クソがぁああ!」


 俺はよろける璃々音を抱きかかえる。

「むぐう」


 さるぐつわのせいで呻くしかできないでいるが、目に光は失っていない。

 よしよし。やっぱりいい子だ。


「大丈夫。よく頑張った」


 耳元でささやく。

 ヘルメットで幾分かくぐもっていたはずだが、璃々音はこくこくと頷いてくれた。



「て、てめぇら、殺してやる! なめんじゃねーぞ!!!」


 蓬莱は、倒れたままナイフを振り回し、威嚇していた。

 だが、勝負はもう決したんだ。

 この状態で、そんな刃渡りの得物、何も怖くない。


 アイコンタクトで、兄貴を見た。

 どうする?


「いいぞ。やっちまえ」


「お前! くそ、来るな! 来るなよぉおおお!!!!??」


 みっともなくあがくじゃねーか。

 でも、ダメだ。もう許されないからな。


 先輩にしたこと。俺にしたこと。他にもいっぱい人泣かしてるだろうが。

 せいぜい、後悔しやがれ。


 俺は得物を大上段で振り上げ、大きく息を吸う。


「これで終わりだ。糞野郎」 


 蓬莱に向けて、思い切り打ち下ろした。



 ◆◆◆



「ああ、全員縛り上げてる。保護が必要な人間もいる。俺たちは警察に関わるのはゴメンだ。和歌宮には報告しとく。そっちで処理してくれ」


 兄貴は、どこかに連絡を取っていた。

 聞いたところで教えてくれないし、どうせロクなつながりじゃない。


 蓬莱達がどうなるのか俺にはわからないし、知りたくもない。

 自分の知ってる人たちが無事なら、俺はそれでいいと思う。


 あの酷い目に遭ってた女の子だってそうだ。

 可哀そうとは思うけど、俺は藤原璃々音じゃなかった事に心底ほっとしてしまった。

 我ながらドライだとは思う。でも俺はそうなんだ。




「助けてくれて……ありがとうございます」


 拘束から解放された璃々音は、俺をじっと見ていた。

 ヘルメットを脱いでいないから、俺とは気づいていないはず。

 だから、俺も何も答えない。

 この子との関係もこれでお終いだと思うから。



 電話を終えた兄貴が璃々音に近づく。


「俺たちは、あんたの実の父親……、和歌宮に依頼された人間だ。今からあんたを家に送る。質問はするな。これ以上面倒な事は嫌だろう? あんたはもう安全だ。今日の事は忘れろ」


 一方的に璃々音にそう告げると、どこからか来た車に彼女を押しやる。


 別れ際、璃々音と視線が合う。

 何か言いたげだったが、そのまま車に乗りこんでいった。

 小さく、つぶやくように唇が動いたのが見えたが、何を言ったのかまでははわからなかった。




 でもなぁ先輩。良かったなぁ。無事で。


 もう、親しく会うこともないだろうし、俺は関わる気はない。

 せいぜい、学校ですれ違う程度だ。それでも俺は知らんぷりをするだろう。

 

 この件は片付いたけど、彼女の家庭の事情が解決したわけじゃない。


 でもそれは、俺とは関係ない事だ。

 先輩が、自分で折り合いをつけてやっていく問題だ。

 俺は、遠くから祈っとく事にするよ。


 短い付き合いだったけど、俺はこの藤原璃々音という少女のことをたくさん知った。何を考え、何に傷ついて、何に悩んでいたのかを。


 大変だなとは思うし、同情もした。なんとかしてやりたいとも思った。

 けれど、こんな出会い方をして、こんな結果になったのだから、俺との関係はこれで終わりだ。


 こんな怖い体験、彼女はきっと忘れたいと思う。

 俺が近くに居たら、いつまでも思い出しちゃうかもしれないだろ?


 さようなら、藤原璃々音。

 あんたのおっぱいとか、裸。かなりそそる感じだったわ。


 俺は先輩が乗り込んだ車を見送った。

 トークアプリを開いて、藤原璃々音をブロック&削除することも忘れずにな。




 ◆◆◆




「はぁ!? 警察署にいるだぁ!? なにしてんだ善司ぃ!」


 騒動の2週間後、クソ兄貴に駆り出された別件の浮気調査の途中、ラブホテルでぶん殴られた。廊下で写真を撮ろうと思って、深入りしすぎた。


 これはあれだ。

 藤原璃々音の一件がマジ過ぎた反動。


「普通の浮気調査だろ? よゆーよゆー」


 と気を抜きすぎた。つまり藤原璃々音の所為せいとも言える。

 あのけしからんエロおっぱいめ。


 間男はガラの悪い奴で、俺を見つけるなりガラスの灰皿でぶん殴りやがった。

 まったく血の気が多いやつだ。俺でなかったら死んでたぞ?


 まずいと思った俺は、全力で抵抗して、男と取っ組み合いになった。

 そのせいで、廊下の消火器が爆発したり、警報がなったりと大騒動になった。


 警察のおっちゃんには、

 「またお前か……、マジであのヤクザな兄貴と縁切った方が良いぞ」


 と呆れられた。

 子供のころから何回か補導ほどうされてるからな。すっかり顔見知りだ。


 身元引受みもとひきうけにきた要兄貴にへました事でこっぴどく叱られた。

 その代わり、家に帰ったあと、今度は要兄貴が、楊次郎兄ぃにぼっこぼこにされてた。


 うちの兄弟は、実は長兄が一番強くて怖い。

 普段は仏みたいな人だけど、怒らせたら、鬼だ。



 そんなわけで、はれて停学を喰らった俺は、4月の新学期にも出られず自宅謹慎と相成ったワケ。まったく締まらねぇ結末だった。


 そして、運命の4月になだれ込む。エロおっぱいと再会だ。

 


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