第16話 3月の先輩と俺2
「で、むざむざ女
――なっさけねぇの。
ハンドルを握りながら、兄貴は吐き捨てた。
意識を取り戻した俺はすぐに、兄貴――
あの子がさらわれた。どうしたらいい? と。
兄貴は、しばらく黙っていたが、
「車を回す。そこに居ろ」と言った。
その15分後には、俺の前には黒塗りの外車が横づけされたのだ。
車は夜の首都高をひた走る。灯が次から次へと流れ去る。
「うん、情けねぇよ……俺」
連れ去られる間際のあの子の悲鳴を覚えている。
意識を刈られる前に
『その頃には嬢ちゃん。怯えて男なんて二度と見たくもなくなってるかもしれねーけどなぁ』
血の気が引いている俺を見て兄貴は、
「この後、嬢ちゃんがどうなるかだけどな。多分痛めつけて、和歌宮に動画でも送るつもりだろう。それでも駄目なら、どうなるかな。顔見られてるだろうからなぁ。口封じも兼ねて、
やけに具体的な先輩のその後を予言した。
兄貴は、裏社会の人間のやり方も詳しいから、兄貴がそうなると言ったら、そうなるのだろう。なんなら、もっと酷い目に遭うかもしれない。
「――だがまぁ、嬢ちゃんは運が良かった。お前のジャケットを羽織ってたからな。GPSが入ってるとは奴らも思わないだろう」
俺は、兄貴のバイトをする時は、特注のジャケットを着ている。
防刃機能もあり、とんでもなく耐久力がある。何より、内側にGPS発信機が
『ヤバい事に巻き込まれたとき用だ。お前に何かあったら楊次郎に殺されるからな』
一番上の兄貴である楊次郎にぃのことは、兄貴でも怖いらしい。
「行先は港区の方だな。タワマンとかじゃねぇと良いなぁ。ああいうところはセキュリティがきついんだ。悪役らしく貸倉庫にでも陣取ってくれねぇかな」
「兄貴、警察に連絡は?」
「しても良いが、多分間に合わなくなる」
兄が言うには、警察が動くまでにタイムラグがある。
まずは事情聴取を受ける必要があるし、ガキの俺が言ったところですぐには動いてくれない。
先輩の家にも連絡がいくだろうし、まずはじっくりと事情を聴かれる事になる。
そうすると、警察が本格的に動くのは、早くて明日からだ。
そこから救出にどれくらい時間がかかるか……。
「藤原璃々音が帰ってきた時、どんな状態でも気にしねぇっていうなら、良いけどな」
それは……駄目だ。
連れ去れらる時の先輩の顔が忘れられない。
「善司ぃ。すっかり入れ込んでるじゃねぇか。ベッドでたっぷり慰めてやったからか? ハッスルしすぎて油断したのか? ざまぁねえな?」
「うるせぇ……、そんなんじゃ無いんだよ」
煽る兄貴を無視して、俺は前を睨む。
絶対に助ける。待っていろ。
「まぁ、心配すんな。非合法な事ならよぉ……綿見探偵事務所にお任せってなぁ」
兄貴の車は、速度を上げる。
幸い、行先は、
◆◆◆
「兄貴、それは?」
「クロスボウだ。歴史の授業で習ったろ。大した訓練もなしに、誰でも殺傷能力がある矢が撃てる優れもんだ」
銃声もしねぇからな、入手も楽だしこういう時には使えるんだよ。
と、トランクから出した、黒光りするそれを組み立てながら笑う。
「お前にはこれな」
手渡されたのは、手の平より少し長い黒い筒だった。
ずっしりと重い。
兄貴に促されて、振りぬくと、一瞬で伸びる。
「クロームモリブデン鋼の特殊警棒だ。てめーが振り回せば、そうそう負けねぇだろ」
全長……1m程度か?
振り心地は、思ったよりも軽い。グリップも固く、十分使えそうだ。
「俺と兄貴だけ?」
これから、あの子がとらわれている場所に乗り込んで、あの子を確保して脱出。
それが俺と兄貴の作戦だ。
兄貴の事務所には、バイトが何人かいたはずだけど……。
「荒事するのに、堅気のバイト使えるかよ。てめーはまぁ、身内だから諦めろや。それとも、楊次郎でも呼ぶか?」
兄貴は笑えない冗談を言う。
「楊にぃが出てきたら、死人が出るんじゃ」
「違いないな」
長兄の普段は柔和な顔を思い出し、笑いあった。
「要にぃ、ありがとう」
「――そもそもが、俺の仕事だ。それに和歌宮には連絡してある。しっかり助け出せば追加料金、請求できるんだよ。せいぜい気張れや」
「分かった」
暗がりで頷く。兄貴と共に、俺は駆けだした。
◆◇◆◇
その男は、蓬莱配下の半グレグループの中でも下っ端だった。
大きな金になる、と
集まったはいいものの、大して何も知らされていない。
ただ、ガキを一人探せと言われた。
昼間のうちから、町中を探し回った挙句、最終的には蓬莱自身が見つけた。
使えないヤツだと
さらったガキは、どこかの偉い人物の隠し子で、それをネタに
男が、見張りをしている倉庫の奥の部屋からは、今も女の悲痛な泣き声が聞こえている。クスリでも使ったのか、
あの人はいつもそうだ。気に入った女とみると、無理やり手に入れてすぐ壊しちまう。何か女に恨みでもあるのだろうか。あのガキも良く見りゃ、とてつもない上玉だった。2、3年寝かせれば、とんでもない美女になっただろうに――と男は思う。
男のような下っ端でも、ごくたまに、おこぼれにありつけることがある。
そんな時、たいがい女はもう壊れかけてる場合が多いが。
「あんまり美味くねぇのかもな、あの人の下にいるのも」
男がそうぼやいた時だ。
倉庫の外で穏やかでない物音が聞こえた。
鈍い音と、くぐもった唸り声。
見張りに立っているのは、男も含めて3人だ。
外では2人が見回りをしているはず。
何かあったか? 喧嘩でもしたんじゃねぇか。
と倉庫から顔を出した男が見たのは、
仲間の男が、殴り倒されている場面だった。
「――な、」
仲間を殴ったのは、黒ずくめの男だ。
それほど体格がいい訳ではない。だが、手には剣呑なものが。
警棒か? 光を反射しない漆黒の得物が見えた。
仲間は一撃で昏倒したらしい。
コンクリの地面に倒れ伏して動かない。
こちらを認識すると、黒ずくめの男は、警棒をこちらに向け、静かに構えた。
――中段の構え。
中学のころ、授業で剣道を習った。
基本の型がそんな名前だった気がする。
だが、この威圧感はなんだ?
男も半グレの一味として、それなりに荒事は経験していた。
しかし、こんなにプレッシャーを感じる相手は始めてだ。
警棒の男は、黒塗りのフルフェイスヘルメットを被っていて、表情は読めない。
慌てて、懐から、ナイフを取り出した。軍用の刃渡りの長いコンバットナイフだ。
人を刺したことはないが、向けるだけで大概の相手は腰が引けるはずだった。
だが、怯まない。
黒ずくめからの威圧感は変わらない。
「ぐ、ぐぅ……」
自分でもプレッシャーに飲まれている事がわかった。
危険だ。中にいる蓬莱さんに報告を。
しかし、そんな暇をこいつは与えてくれるのか?
「う、うおおおおおお!!」
前に出る。刃を先に出して腕を固定して、体ごとぶつかるように動く。
蓬莱さんに、人間刺すときはこうすんだよ、と教わったやり方だ。
だが、男は湖面のような静けさで、得物を振るった。
最低限の、手先の動きで、警棒の先端が、風を切る。
ナイフを持った手に尋常ではない痛みを感じたのは、弾き飛ばされたナイフが、床に反射し硬質な音を立てた時と同時だった。
「――あの子はどこだ」
黒い男が喋った。
「な、何のことだ」
「お前たちがさらった女の子だ」
思ったよりも若い声。あの坊主か。
「へ、へへへ、お前あの時の彼氏君か? そこの奥だよ。だけどよ、ちょっと遅かったんじゃねえか? ひっでぇ悲鳴が上がってっけどな。もう手遅れなんじゃねぇか?」
扉の中からは変わらず、女の喘ぎ声が漏れている。
黒い男に初めて動揺が見えた。
馬鹿め、武器が一つと思うなよ。
懐のスタンガンを握る。
違法改造済みで、一撃で昏倒させられる奴だ。
「這いつくばれヤァ!!」
扉の方に気を取られている相手に、思い切り押し付ける――はずだった。
「ああ、ああああ!!!??」
横からの衝撃と、二の腕に焼けるような痛みが走った。
悲鳴に呼応して、黒い男が、警棒を振るう。
迫る得物が、首筋をとらえる瞬間。
腕から生えた矢とボウガンを構えたスーツの男が見えた。
◆◇◆◇
※
クロスボウは、令和4年3月から法改正がなされ、銃刀法所持罪に当たります。
作中では、当該法律は施行されていない体になっております。
最も、人に向けて撃つ事は傷害罪および、場合によっては殺人未遂です。
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