第15話 3月の先輩と俺 


 先輩はその時、すごく傷ついていた。

 心のコントロールが効かなくて、自分でもどうしようもない状態になっていた。

 こんな状態の女の子をどうしたらいい? 


 先輩の望むようにしてやるか。

 あるいは、こんなことはやめようとさとすべきか。

 ……諭す? どうやって?


 俺は先輩にかける言葉を持っていない。

 先輩の悲しみは先輩にしかわからない。想像することはできてもな。

 言葉では伝えられない。そもそもかけるべきはと思う。




「なんで、何も言ってくれないの……?」


 沈黙を貫く俺に、苛立った璃々音が硬質の声を降らせた。


「君も、そうやって馬鹿にするんだ。自分は関係ないって顔するんだ」


 彼女の表情がいびつにゆがむ。

 何もかもをあざけるような、けど今にも泣きだしそうな顔。


「は、は、は、は、は、はははははははははは」


 乾いた哄笑こうしょうが室内に響く。


「嫌い――」


 璃々音は腕を振り上げ――


「きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、だいっきらい!!」


 そのまま、俺の胸元に振り下ろす。リズミカルに、何度も何度も。

 打ち下ろされるごとに、肺の中身が少しずつ、食いしばった口の端から漏れる。

 空気が足らない。酸欠だろうか、頭が痛くなってきた。

 だけど、俺は彼女の暴力を甘んじて受けていた。


 何も言えないから。

 いや、はこの子を止める資格はないと思うから。


 ――馬鹿にして。馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして!!


 殴打が止まる。


 俺の赤くなった胸元に涙がぼたぼたと、落ちた。


「私って、そんなに駄目?」


 




「駄目じゃねえよ」


 俺はそこでやっと口を開く。

 自分を責める必要はないんだ。

 周りのどうにもならないモヤモヤや、クソみたいな環境。

 怒りたくなるのはわかるし、怒っていいと思う。

 けど、全部自分が悪いって思うのはダメだ。 


 俺は璃々音の腕を取って抱き寄せた。

 倒れこむ、なんて頼りない肢体からだ


「自分責めんな。投げやりになんな。あんたがそんなんなっても、誰も喜ばねーよ」


 ――うるさい、うるさい、うるさい! と頭をふる。


「勝手に産んで。勝手に死んで! お母さん、無責任だよ!」


 2歳までしか一緒に居られなかった、藤原鈴華。


「他人の癖に、なんで育てたの? なんで一緒にいたの? なんで教えてくれなかったの!」


 血のつながってない先輩を、ここまで育てた藤原大志。そして、藤原遥。


「どうせなら最後まで騙してよ! ここまで来て、全部バラシて、もう終わりなんてひどいよ!」





 ――そんなのって、無いよ。


 先輩は泣く。

 俺にしがみついて、何度も、何度も。

 嗚咽おえつで咳き込みながら。胸の内を吐き出す。


「私だって、おかしいなって思ってた。顔だって似てないし。昔の写真もないし。でも、信じてたのに! それでも、家族なんだって思ってたのに!」


 うわぁぁあああああああ……、うえええっぇぇえ…………。


 先輩は、顔をうずめて、長く長く慟哭どうこくした。











「気が済んだかよ」


「う、う、う……ひどいよ、ひどいよぉ……何で何もしないの」


「しねーよ。それじゃ駄目なんだよ」


 エロい気分はとっくに消し飛んでる。

 先輩は相変わらず裸だけど、その姿はボロボロで、色気なんて皆無だ。


「そんなことない。してくれたら、この最低な気分から逃げだせたかもしれないのに……」


「そういうのはな、あとで後悔する事になる」


「そんなことない! 意気地なし! 馬鹿! 最低!」


「へいへい。好きに言ってろよ」


 俺は未だにぐちゃぐちゃいう先輩に取り合わず、バスローブを投げつけた。


 時計を見ると、日付が変わって、午前1時。

 部屋の時間もそろそろだろう。


「いい加減、帰ろうぜ」


「うう、涙でべちょべちょ……。もう一回シャワー入ってきてもいい?」


 それくらいの時間はあるな。と確認して俺は頷く。


「覗いたら、ダメだからね」


「覗かねーよバーカ」


 覗く……今更じゃね? 胸も、尻もしっかり見たっつーの。

 先輩がバスルームに行った事を確認して、ベッドからい出す。

 尻が痛ぇ。誘惑されている間、ずっと自分でつねり上げてたからだ。


「エロいんだよ、クソ……」

 男の自制心、案外弱いもんなんだぞ。



 ◆◆◆



「今日はありがとうね」

 先輩の家の近くの公園だ。

 さすがに、もう帰りたくないなんて駄々はこねなかった。


「へへへ、ここは良い場所だよね」


 先輩は、どういう心境の変化か、浮かれていた。俺の貸したジャケットを羽織ってくるくると回っている。


「君と始めてあった場所だしね。本当に、いつもありがとう」


「俺はなんもしてねーよ」

「今日は、ほんとに何にもしなかったね!」


 最低~! と、冗談めかして非難された。

 

「今日は帰れそうか?」

「うん、バカバカしくなっちゃったしね」


 先輩の表情は案外とさっぱりしていた。


「また明日も、揉めるだろうけどさ。その時はその時で考えるよ。またヘラったら、君が助けてくれるんでしょ?」


「まじかよ。俺は正義のヒーローじゃねーぞ」


「えー、そんなことないよ。私が困ってたら、いつも来てくれるじゃん」


 まあ、それはあんたのこと、監視してるからなんだけど。


「もう、危ないところ行くんじゃねーぞ。そもそも、何であんなとこ居たんだよ」


 ただでさえ、ヤバい奴らが狙ってるかもしれないんだから、とは言わなかった。

 結果的に、人混みの中にいたから良かったのかもしれない。

 あのあたりは、警察も良く歩いてるから。


「最初は、本当に死ぬつもりだったんだけどね。いつの間にか、やかましいところに行っちゃってた。寂しかったのかな?」


「そうかもな。死ぬよりはいいな」


 俺は笑った。


「私も、意気地なしで良かった」


 先輩も笑っていた。


 もう、大丈夫。

 少なくとも、心の器いっぱいに溜まった悲しい気持ちは少し減らせたはずだ。

 元々、気が強いやつだ。上手くバランスを取って、立ち向かっていけるはず。


 世界は本当に不条理だ。

 ままならない事ばっかりだし、大人の都合で振り回される事が多い。

 強く生きたいと思うけれど、俺たちの心も弱っちい。なんせガキだからな。

 すぐ傷つくし、すぐ切れる。挙句に、自暴自棄。それでも、みんな何とか生きている。


「ねぇ、君。次はいつ会える? 気晴らしにどこか遊びにつれて――――」


 俺を振り返った先輩の顔が、強張った。


 なんだ? と思った瞬間――――







 一瞬のブラックアウトのあと、地面に伏していた。

 乾いた土のにおい。砂利で擦った口に、砂が入った。

 視界が揺れる。焦点が定まらない。熱にうなされた時みたいに意識が途切れそうになる。


 「頭が、痛ぇ……」


 ズキズキと芯から響く。

 激痛の元に手をやると、ぬるりとした赤い血がへばりついた。


「やだ、やだ! ねぇ君、大丈夫!? 放して! 放してよぉ!!!」


 先輩が、フードを目深にかぶったやつら数人に羽交い絞めにされて、バンに連れ込まれていくのが見えた。先輩の抵抗もむなしく、バンは走り去る。


 ――不意打ちかよ。ふざけやがって。




「散々、探したがよぉ――」


 頭上から声が降る。

 ふらつく視界をねじ伏せながら、何とか上を向こうとした瞬間。


「――がはっ」


 みぞおちを蹴り上げられた俺は再び地面を転がる事になった。


「結局、家で待ってんのが正解だったなぁ……?」


 趣味の悪いサングラスに、シルバーアクセ。

 スーツを着ていても、隠し切れない下品さ。蛇みたいな目つきをした背の高い男


 この顔は見覚えがあった。


「おまえ……、蓬莱ほうらいぃ……」


「はは!? 俺の事知ってんのかよ? 高校生のガキにも知られてるとは、有名人になったもんだなぁ?」


 ニヤケながら、蓬莱は何度も何度も、俺を蹴りあげる。

 そのたびに、俺は公園内をゴムまりみたいに、転がりまわる羽目になる。


 こいつの蹴り、棒っきれみたいな細長い手足の癖に、やたら痛ぇ。

 人間に暴力をふるい慣れてるやつの蹴り方だ。


「はぁ、はぁ、はぁ……。わかったかよ。彼氏気取り君」


 息が上がるほど、ボコった後、蓬莱は言う。


「そこで朝まで寝とけよ。璃々音ちゃんは俺がヨロシクしといてやるから。なぁに、心配すんな。2日ぐらいで返してやんよ」


 血反吐を吐いて転がる俺に向けて、唾を吐き捨てる。


 ――まぁもっとも? その頃には嬢ちゃん。怯えて男なんて二度と見たくもなくなってるかもしれねーけどなぁ。


 そう言って、最後とばかりに、蓬莱は、俺の顔面を思い切り蹴り上げた。



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