第3話 2月の先輩と俺
今から語るのは、2か月前。
先輩――藤原璃々音のことを知ったのは、報告書にはさまれた写真でだった。
「仕事だ、ガキ」
2月のはじめ。
場所は、すえた匂いの街ビルの一角、兄貴の経営する探偵事務所だ。
クソ兄貴の手によって、無造作にデスクの上に投げ出された写真が3枚。
いきなり呼びつけたと思ったらなんだ、その言い方。
俺はろくに写真も見ずに、クソ兄貴こと、俺の2番目の兄、
「これ、なに」
「制服に見覚えあるだろう。お前と同じ学校だよ」
クソ臭い煙草をひとふかし。煙が俺の顔に直撃した。
相変わらず、態度が悪い。
「この女と仲良くしとけ。今はそれだけでいい」
「……はぁ?」
いぶかし気な顔をする俺に、追加情報が与えられる。
「名前は、藤原璃々音。今2年だ。彼氏は無し。交友関係も希薄。在籍はしてるが、今は学校にはいねぇ。住所は知れてるから何とかして接触しろ。恩を売って、仲良くなれ」
「はぁ、不登校……?」
ここで初めて写真をしっかり見たはずだ。望遠で取ってるはずだけど、解像度が高くて良く撮れていた。固い表情をした女がうつむき加減で歩いている。夏服だったから、ずいぶん前の写真。第一印象は、暗い女。
「デート代くらい出してやる。お前の好きそうな陰気な女だろ。ちょいと優しくしてやればちょろいだろ」
「んなことねーわ……」
そんな事情で、俺は先輩にかかわりを持ったはずだ。
人件費をかけたくないクソ兄貴の割のいいバイト。ただそれだけだった。
◆◆◆
「あー……、あんたいつもここにいるよな? いや、特になんか用事があるわけじゃないんだけどよ。俺も暇なんだ。ちょっと話しねぇ?」
先輩は、誰も居ない深夜の公園で、ブランコを漕いでいた。
2月の夜は冷え込みがきつくて、指先が、じんじん傷んだのを覚えてる。
先輩もそうだろうなと思って、声をかけたときに、ココア缶を二つ、買っていった。
「………………嫌って言ったら?」
警戒心バリバリのネコ科の猛獣みたいな目で俺を睨んできた。
あの時は先輩も精神的にヤバい時期だったんだろう。
やたらデカいパーカーを着ててフードの下から目をギラギラさせてたっけな。
「別にどうもしねぇよ。でも、ほらこれ飲む間だけ付きあわね?」
俺もかなり怪しい奴だったはずなんだけど、無言でココア缶に手を伸ばした。
多分、先輩も誰かと話をしないとしんどくてやってられなかったんだろう。
「あんた、こんなとこでなにしてんの? 寒くない?」
「……別に。家に居たくないからこうしてる」
「ふーん。俺もそうだよ。うちは兄貴がさ、クソなんだよ。あんたんとこも?」
「…………うちは親、両方。でも一番むかつくのは、お母さん」
ぽつぽつと様子をうかがいながら話すと、どうも先輩の親が両方、別々に不倫してて、いま
兄貴の仕事で一番多いのは、浮気調査だったから、『ああその関係ね』と納得した。
「お袋さん、何したんだよ」
「変なおっさんに入れ込んで、家のお金貢いでた」
「ふーん……、最低だな」
「そう、最低なんだよ……、でも最低なのは私も同じ」
「そうなの?」
「前から、お母さんに買い物連れて行ってもらったとき、お父さんに内緒ねって服を買ってもらったりしてたんだ。でもそれは交換条件で、昼間にお母さんが遊びに行ってるのを黙ってる約束だったのよ」
「おー、口封じだったんだ」
「うん。でも私は喋ったんだけどね」
「まじかよ。じゃあ親父さんとお袋さん喧嘩してるのあんたのせいじゃね?」
「はぁ? 浮気する方が悪いでしょ……」
「まあそうだよな」
その時は、俺はまだ高校1年だし、先輩も2年だ。
中学の時は、高校の先輩はやたらと大人に見えたもんだけど、実際なってみると、ガキの延長でしかないのを嫌というほど思い知る。
頭と体はそこそこデカくなったのに、立場と金が全然なくて、無力さに打ちひしがれるんだ。
「お父さんもお父さんでさ……、会社の若い女の子と浮気してたんだって。お父さんが、お母さんを問い詰めたら、お母さんが逆切れしてさ。前から知ってたみたい」
ぽつぽつと話す先輩に適当に相槌を打ちながら、ココアを飲み干す。
先輩は、「はぁ、嫌んなる。もう何もかもサイテー」とうつむいた。
「わかんねぇけどさ。あんたは家族が好きなんだな」
「はぁ? 今の話聞いてて、どうしてそう思うのよ」
「だってよー、本気で嫌いと思ってたら、そんなに悩まねーだろ。そりゃ、養ってもらってるから離婚されたらどうしようとかあるけどよ。しょうがねぇじゃん。二人の話なんだから」
「ん……、でもそんなの、割り切れないよ……」
「あんたがこんな所で凍えてんの、損じゃね? あんたの親は今も好き放題喧嘩してんだろ? ほっといたらいいよ。あんたが犠牲になるのむかつくだろ」
「うん……そう、かな」
それきり先輩は黙り込む。
初日はこれくらいで潮時だな。
そう思った俺は、「じゃあ俺もう帰るけど、あんたも帰れよ。今日寒いからさ、マジで凍死するぞ」と声をかけて立ち去る素振りをする。
「あ……」
と先輩が心細そうな声をあげる。きっとまだ帰りたくないんだろう。
さっきあった不審な男に、よく気をゆるしたもんだ。
よっぽど弱ってんだろう。
「とりあえず、帰れ。な? このあたりは悪い奴もいるかもしれないからさ」
俺に促されて、しぶしぶ、先輩は帰宅する。
俺は物陰に隠れて、それを見ていた。
先輩の家は、どこにでもある普通の建売の一件家だった。
家に入って、しばらくして、2階に電気が灯る。
なるほど、そこがあんたの部屋ね……。
確認して、俺は今度こそ先輩の家を後にする。
次の接触は、2日後くらいかな。
タイミングで適当に決めることにする。
でも、その必要もないんじゃないかな? あの子の話を聞く限り。
そんなことを思いながら家路についた。
◆◆◆
「兄貴、なんかこの子の親、もう浮気発覚して修羅場ってるみたいだぞ。どっちが兄貴に依頼したのか知らねーけど、もう探偵必要なくね?」
「あほう、依頼主は別なんだよ。くだんねー意見挟むな」
翌日、さっそくクソ兄貴に報告したが、
「もっと根深い話なんだよ。いいからしっかりその子と、関係築いとけや」
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