第3話 八時だよ、全員集合
──まあ記憶が蘇ってしまったのは仕方ない。別に犯罪でもないのだし。
記憶故の苦労もあるが、今日もたい焼きが美味しければいいじゃないの精神だ。
「明日は羊羹、いやおはぎも捨て難い……むむむ」
お風呂セットを用意し、耳より上の高さでお団子にしている髪をほどいていると、どこからか丸っこいフォルムの生き物がふわふわと入り込んで来た。
短い四肢で白黒模様の魔獣、シャノのペットである。名前はベス。
小さい頃から飼っているのでよく懐いてくれている。背中を撫でれば大人しく丸くなった。
「ベス可愛いのよー、ぷにぷにー」
「お嬢、湯浴みの支度が調いました」
「ありがとー。お駄賃にチロリチョコ珈琲味をあげるのよ」
トビにあーんとチョコを食べさせると、シャノは揚々と風呂場へ向かう。
見知らぬ食べ物を急に寄越され目を白黒させていたトビは、盛大に溜息をつくと散らかった雑誌を片隅に積み上げて行った。
シャノは自分で片付けないくせに、散らかった物をゴミとして処分するとやたら拗ねるのだ。面倒臭いことに。おかげでシャノのベッド周りは雑誌タワーが建設ラッシュを迎えている。
トビの目にはどれも似たり寄ったりにしか見えない本だが、ジャンルが全然違うだとかで下手に収蔵も出来やしない。読めないトビには中身の違いが判別出来ないのだ。
やたら絵が多い、全く見たことのない文字で溢れた本を難なく読み漁る。主人の奇特さに驚かされるのはいつものことだが、全て異世界から転移させた本らしい。
「異世界から召喚する程の才能と魔力を、どうして活かさないんですかねぇ……」
シャノの魔力量は貴族としてなら高くはないが、基準を貴族に置かなければ決して乏しいわけでもない。上には上が、下には下がいるのだ。
トビは能力に恵まれないゴブリンとして生まれた。だからこそ主人の生き方に酷く苛立たしさを感じる。拾い上げて貰った恩も、長年付き添った親しみも持ち合わせているけれど、それ以上に──
酷く嫉ましくなるのだ。大成を望まず日陰に落ち着き、不自由を享受して生きるシャノワール・オ・クロックの姿に。もしそこにいるのが自分なら、もっと高みを目指すのに、と。
***
「ふいー、さっぱりなのよー」
濡れた髪に手拭いを巻き付けた姿で、やっぱり風呂上がりには冷たい麦茶だよね、とコップを傾ける。シャノはガランと静まり返る廊下を歩いていた。
足音を聞き付けたのだろう。どこにいたのとばかりにベスがふわっと寄って来て、シャノはそのまましばしじゃれた。お腹側のぷに層がだいぶ分厚い気がする。
「ベスー、ちょっとぷにぷにし過ぎてなぁい?」
「ぷわわ」
全体的にぽってりボディで手足の短いベスは仰向けになると起き上がれない。
浮けるからいいようなものの、動作は決して機敏ではなく、野生ではどうやって生きているのか想像が付かない魔獣だ。
館には今現在シャノとトビの他はペットのベスと、警備担当の
いずれも言葉を発することのない種族なので、生活雑音に乏しくシャノの館はいつでも静かだ。いや、シャノだけは一人賑やかしい。
自分を一人好きに生活させてくれる父親には感謝しかない。まあそもそも生家が同じ敷地内で目の前にあるのだから、寂しくも恋しくもないのは当然か。
幼児期に思い出した前世の記憶が固定概念と化し、魔界の食文化に適応し損ない摂食障害こそ克服出来ないでいるものの。シャノは今の暮らしに甚く満足していた。
いつか父親に恩返ししようと素直に思うくらいには。
「夕飯何にしようかなー。ゴゴイチのカレー、ポムの幹のオムライス……うーん悩ましい」
「お嬢!」
「どうしたのトビ」
慌ただしい様子で声を上げるトビにシャノは足を止めた。
基本的にドライで淡白なトビがこんな風になるのは、主人であるシャノよりも身分の高い相手と何かが起きた時だ。
「本邸から魔法の鏡でクロスリード様がお呼びです。ただちに晩餐に顔を出すようにと」
「うえええええ、にーが呼んでるの? 控えめに言って嫌な予感するなぁ、はっきり言えば面倒だなぁ……」
「とにかくお支度を。ドール達を部屋に呼んでおりますからお着替え下さい」
「はーい……」
長男であるクロスリードが何故かシャノを呼び付けている。
実に面倒臭く感じながらも、シャノは言われるまま着せられるまま、いつもよりちょっといいドレスで装った。
普段は貴族基準で簡素か質素な服ばかりだが、こうして身支度を整えればきちんとお上品なご令嬢だ。パッと見はそうなる。一言でも発すれば完膚なきまでに台無しになるが。
久方振りに出席した家族揃っての晩餐の席。妙にご機嫌な笑みを浮かべつつ、その実めちゃめちゃ機嫌の悪いクロスリードの顔を見るシャノ。笑顔とは威嚇行為であるとよく分かる、そんな笑みだ。
クロスリードもシャノと同じく黒髪で、暗く褪せた青い双眸をしている。
柔和そうな……或いは誠実そうな面立ちと裏腹に、この長男は大層攻撃的な性分で、怒ると口より先に手が出る上に、惜しみなく口も出し続けるタイプの鬼畜生だ。
「よく来てくれた、シャノ」
「来なかったらにー、乗り込んで来るでしょ」
「当たり前だろう。来いと言ったら来るぐらい犬にでも出来るのに、何故出来ない馬鹿がいるのかと不思議に思うだろう。頭蓋を割って腹を捌いて、きちんと生態を確かめたくなるだろう」
「にー怖い……」
ノータイムで数倍にして打ち返して来る兄にドン引きし、シャノは真顔で呻いた。その視界に影が差し、大きな掌がシャノの頭を包む。
「ちーっとデカくなったかぁ?」
「にーに」
「ジル、シャノはそれ以上育たん。今が最大値だ」
「そんなことないですうううう! もっと伸びますうううう!」
「おお、でっかく育てよぉー」
わしわしと大雑把な手付きでシャノを撫でる次男坊の兄クロカジールは、牙の並ぶ大きな口をにいっと釣って笑う。鮮やかな青い瞳は夏の晴れた空を切り取ったように明るい。
筋肉質な体躯は益々太さも重さも増している。けれど鈍重そうに見えない縦長な偉丈夫のまま。軍でもさぞかし活躍しているのだろう。
「シャノは本当に風が吹けば飛んで行く、ひょろっひょろの棒切れだからなぁ。ほら、肉食えよ肉」
「それ何肉? 蛙とかワームとかトロールとか、そういうのやーよ」
「んー? どうだったっけか、兄貴」
「好き嫌いは相変わらずか。今日のは鳥だ、食べられるだろう」
「なら食べるのよ」
最初から一切れだけ用意された肉をちまちま食べ進める妹を眺め、クロスリードはワイングラスに口を付けた。クロカジールはパンをまるごと大きな口へと放り込む。そんな子供達の様子をクロノアは黙して見ていた。
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