第2話 夢見るニートじゃいられない
シャノがくるりと指を回すと、梱包された荷物が一瞬で現れた。傍らにはせっせと荷物を運ぶぬいぐるみが動き回る。いつもの光景、魔法の溢れる世界の日常だ。
外で一際大きく鐘の音がした。オ・クロック家の象徴たる時計塔が鳴らす定時の鐘。それもいつものこと。正確な時間感覚が身に付くという恩恵がある。
窓の外を見やり、再びくるくると指を回す。
降って湧いたように積み上がる荷物を大わらわで運び出すぬいぐるみ達を余所に、シャノはのんびり呟いた。
「おやつはたい焼きにしようかなぁ」
そこは光を全て吸い込む艶消しの黒石で築かれた大きな屋敷。魔王城と城下町を囲うように壁続きで聳え立つ四つの屋敷の一つ、オ・クロック邸。
四方を預るのは魔王直属の配下である四大魔公……シャノに言わせれば四天王だが、その肩書きを持つ家だ。
この屋敷も権威の象徴らしく広大な敷地を有している。真っ先に客人を出迎えるは、黒い枝葉を伸ばし咲き誇る白薔薇庭園。
薔薇庭園の奥向こう、複数の建屋で最もこじんまりした館を与えられているのが、オ・クロック公の末娘、シャノワール・オ・クロックだ。
「つまり私のことである」
綺麗に装飾された丸テーブルに地図を広げ、頬杖をつく少女の髪は黒く艶やか。
宝石を刳り貫いてそのまま嵌め込んだかのような双眸は、透明感のあるキトゥンブルーをしている。
間違いなく生まれも育ちも一級であるはずなのに、何故か不思議と庶民臭……いや親しみやすさを醸す少女。要するに、シャノは見るからにチョロそうな雰囲気をしていた。
「相変わらずお嬢は独り言がやたら多い」
「トビがもっとお喋りしてくれたらいいと思うの」
「あー忙しい忙しい」
「扱いが軽い!」
シャノの唐突な独白にも動じることなく突っ込みで返すのは、シャノのたった一人の従者、トビ。小柄な体躯と草木に同化するような天然迷彩の浅い緑の肌。
そう、なんの変哲もないゴブリンだ。トビはぺらりと紙束をめくると、大きな台車で運び込んだ布をかけられた荷物を確認し、机上の地図を指した。
「お嬢、次のお品物です。姿見を北の……ああ、こちらへのお届けです」
「お得意様なのよー」
くるりと指を回すだけでシャノの背丈より大きな姿見がたちまちスッと消え失せた。後にはパサリと舞い落ちた布切れ。中身は今この瞬間、国の最東端に無事送り届けられたことだろう。
シャノの十八番は転移の魔法。条件はあるが距離を飛び越え一瞬で物を送り込み、取り寄せることも出来る。代々優秀な時空属性持ちを輩出して来た家の血を引くだけある。
「お見事、相変わらず発動が早いですねお嬢」
「転移しか使えないけどね」
「一つがずば抜けてれば充分だと思いますが」
トビの慰めにシャノは肩を竦めて返す他ない。二人の兄と違い本当に転移一つしか魔法を使えないシャノは落ちこぼれだ。
強いか弱いかなら紛れもなく弱い。戦うくらいなら最初から降参する性格をしている。
だから兄達と違い士官は目指さなかったし、軍にも出世にも興味がない。
じゃあ貴族の娘らしく政略結婚でもさせられるのかというと、そうでもない。
転移の魔法は戦略価値が高い為、迂闊に他家へ血を出すわけにいかないのだ。放り出すくらいなら飼い殺しにする。それが罷り通る能力である──
そんな話をかつて耳にした。ならばもう許される限りニートしたい、親の金で生きて行きたいと思ってやまなかったし、実際そうしようとした。
……が、意外と過保護だったらしい父親は、シャノでも出来る仕事をもぎ取って来た。というか自分の管轄でゴリッと捻り出した。ありがた迷惑なことに。
以来シャノは館で日時指定配送業に励んでいる。貴族顧客相手の宅配便。特に壊れやすい、高級品の取り扱いが多い。
災害時には緊急支援物資の配給もするが、いずれも輜重や物流を担って来た時空属性の大家、オ・クロック家の信用とネームバリューありきだ。
シャノは今日も館のど真ん中から北へ南へ荷物を捌き続ける。右から左へスルーする感覚で。
「次、ロ・ゼッタからの取り寄せと速達発送……これが最後のお品です。お嬢」
「うえー、なんか見るからに怪しげ……」
最西端の彼方から取り寄せたのは小さな壺だった。掌にぽんと収まる大きさで、黒っぽい色合いをしている。
それだけならまだしも、ちょっと尋常じゃない量の術符がべたべた貼り付けられていた。多分、冷却とか保冷とかその類いの。
ひんやりとしているし、白く冷気を発しているから間違いない。よっぽど中身の状態を保ちたいのだろう。
逆に、もし中身の保存状態が悪くなっていたら、きっとシャノが責任を問われる。高級品とは得てして取り扱い厳重注意と同義語なのだ。
「どこにお届け?」
「魔王城です。というか、魔王陛下宛のお荷物です」
一瞬で目標地点にすっ飛ばした。
「そんな瑕疵一つ許されない品物を任せて来ないで欲しい! 切実に!」
最後の最後に発動最速時間を更新したシャノは、うんと伸びをして席を立った。
「はぁい、お仕事終了ぉ。トビー、お風呂沸かしておいてー」
「承知しました。お務めご苦労様ですお嬢」
淡々と応じるトビを置いて、シャノは自室に戻るとのんびりベッドに寝転がる。
枕元に放り出されていた分厚い雑誌をパラパラとめくり、お目当ての連載作品に没頭し始めた。
雑誌の名は週間少年ジャンク。すぐ傍にはマンデー、ギャンギャン、ゴロゴロ、ポンポン。読み終わって積み上げられたタワーには華とつめ、りろん、みゃお、なかよく、などの少女漫画雑誌が。
「今週も魔術廻戦は主人公くんがちょっと可哀想なのよ。あ、ワールドトリック連載再開してるー!」
たっぷり漫画を堪能した後にはくるりと指を回し、おやつのたい焼きを取り寄せた。やはり娯楽と食べ物は日本のものがいい。前世から親しんだだけに、生まれ変わっても舌と魂が求めている。
そのせいでシャノの館には料理人がいない。シャノは家族からもトビからも相当な偏食家、或いは我が儘娘と思われている様子。事実その通りだから否定もしない。
最早手に負えないと判断されたのか、今では一人で好きにさせて貰っている。館を与えられてからは、日々食事の世話を自分ですることになった。
──自由って素晴らしい。転移でお取り寄せグルメして、存分に満喫するだけの簡単なお
正直本邸の料理人達には申し訳なく思う。小さい頃から食べられない食材が多かったし、注文も細かかった。我ながら嫌な子供だったと自覚している。
分かってはいるけども、どうしてもどう頑張っても、やっぱり処女の生き血だとか蝙蝠や蜥蜴の黒焼きだとかを食事と見做すのは精神的に無理なので……と諦めた。
毎日自分の食べたい物を好きに取り寄せられる今の生活は最高だ。おかげでようやく身体にふっくら肉が付いて来た。ガリガリを通り越してミイラと評するしかない子供時代と比べれば、格段に育ったと思う。
特にシュークリームとホットチョコレートがいい仕事をしてくれた。奴らのカロリーなくしてこの胸は育たなかったろう。一度に食べられる量が乏し過ぎて、お菓子に頼らねば摂取カロリーが必要最低限度を平気で下回ることがザラなので。
「まさか魔族の女の子に生まれ変わるとは思わなかったのよ」
前世はこれといって語るべき点などない、子宝には恵まれなかったが天寿を全うした普通のお爺さんだったのに。一体神は何を企んで、前世の記憶が蘇る今世などお与えになったのだろうか。
「魔界に神様がいるかは知らないけど。同じような人がいるのは確かなのよ」
シャノが生まれ変わったこの魔界、実はちょいちょい異世界転移ないし異世界転生者の存在が歴史上に垣間見えるのだ。例えば服飾、例えばネーミング、例えば文化、そこかしこに。
兵士が着ている軍服は明らかに学ラン制帽だし、国の領地名はあいうえお順が振られている。
シャノの見立てではかつての歴代魔王にも、前世の同郷出身がいたのは確実。
だからか、前世の記憶を思い出しても特別感は薄っぺらかった。どうも幼少期に誘拐されたらしく、それが思い出した原因なのかなとも思う。
シャノ自身は幼かったからかショックだったからか、前後の経緯があやふやなのだが。切欠は曖昧でも前世の知識を持って眺めると、見えるものも変わって来る。
むしろもっと飲食関係なんとかしておいてよぉ! とジタバタしたいくらいだ。この世界にはあんこが足りない。出来れば和菓子屋さんが近所にあって欲しい。
自宅でお取り寄せも楽でいいが、お店の暖簾をくぐって出来たてを買うのもまた乙なもの。
「うーん、あんこパラダイス……こしあんと粒あんは両方あるから尊い。間違いないのよー」
たい焼きの尻尾をもぐもぐしながら、入浴に欠かせない三種の神器を用意する為にシャノは立ち上がる。すなわち黄色い桶と手拭いとアヒルちゃんだ。
風呂という概念を形にすると、この三つになると前世の記憶が言っている……ような気がする。
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