メンヘラ魔界不適合者が殿下と改革に挑むそうです

波津井りく

*前略、魔界の沙汰は権力次第でした。

第1話 薔薇庭園で二度目まして

 麗らかな昼下がりだ。庭園で咲き誇る黒い葉を茂らせた白薔薇は、午後の日差しを浴びて美しい。魔界の空は前世と同じように青く、夕暮れは茜に染まる。

 異世界であれ地球と変わらないことはある。勿論全然違うこともあるけれど。


 そんな現実逃避の思考を終わらせる合図か、敷地内に建つ時計塔の鐘が鳴る。

 王都に響く古びた音色の余韻を追って視線を宙へ向けていたシャノは、従者の咳払いで我に返った。目を背けようが現実からは逃げられやしませんよ、と暗に言われている。


 ──いや逃げたい……無理もう無理おうちに帰りたいのよ。あ、ここ我が家だった……


「どうぞお召し上がり下さい、殿下」


「……ありがとう」


 表面上は楚々としたまま、シャノは手ずから淹れたもてなしの一杯をこの場の最高位たる少年に供した。選んだのは柑橘類のオイルを吹き付けた茶葉、爽やかな甘い香気がふんわり匂い立つ。


「いい香り」


「恐れ入ります」


 薔薇庭園を臨む野外席で今シャノとお茶会をしているのは、簒奪で王位を得た当代魔王陛下のご嫡男サーイルカーク殿下である。会うのは二度目の赤の他人だ。

 魔族の成人を迎えたばかりのシャノより少し幼い風貌。暗い灰色の髪、真っ黒な目をした、前世でなら中学生くらいの男の子。


 しかし幼き日に前世の記憶を思い出したシャノよりも、うんと大人びた考えをして仕事の話をする。というか、出会った時点から仕事の話しかしていない。


「シャノワール嬢」


「はいっ?」


「検討した結果、やっぱり城で働いて欲しい。もう押し通すことにした」


「わ、私にはとても……」


 やっぱりか! と思いつつシャノは首を振って辞退する。が、それで諦める相手ではなかった。


「どうしても、きみの力が必要なんだ。きみより優秀な転移持ちは城にもいない」


 ──無理! 私全然ちっとも働きたくない、フルタイム勤務に興味ないのよ!


 そう正直に言ってしまいたい。視界の端でシャノの唯一の従者であるゴブリン、トビが必死に腕でバツ印を作るから口を噤んでいるけれど。


「先日オ・クロック公から各地に集配箱を設置したいと申請されて。シャノワール嬢の事業だと聞いた」


「ええ……まあ」


 シャノは時空属性の魔法である転移を生まれ持つ魔族だ。そして転移しか使えない特化型個体である。それしか出来ないがそれだけは誰にも負けない唯一の特技を生かし、貴族相手に日時指定配送業を営む。


 先日業務内容を改定した際、前世の記憶を参考に荷物受け渡し用のコインロッカーに似た棚、集配箱といくつかの魔道具をこさえ、必要な届け出を父親に提出して貰ったのだ。


 ひとえに目の前の少年……仕事人気質でやたらフットワークの軽い権力者と、一切関わりたくなかったが為に。目論見は儚くも潰え、お茶会という名の攻防と相成ったのだが。


「いいと思う。魔道具の性能にも目を瞠るものがある。けど話を聞いて思った。本来逆じゃないかと」


「え?」


 サーイルカーク曰く、シャノの事業構想は城や市井で働く一般的な転移持ちにこそ向いた事業形態ではないかと。調整はいるが、集配箱次第で転移リレー運用が可能だろう。


 逆にどれだけ遠くても一度に大量の物資をピンポイントで転移させられるシャノこそ、城で輜重しちょうや管理を担う方が似つかわしい。個と集団の運用が相応しい形で収まっていない、そう感じたのだと語った。


「オ・クロック公もそこは否定しなかった」


 父上なら否定するはずない、とシャノもその点は納得だ。だからこそ、とサーイルカークは抑揚のない声で、しかし熱を込めて自身の構想を語る。


「今は穀倉地帯からの収穫を一定量、城が一括で買い取って収量の少ない地に規定額で再分配してる。以降の過不足は各地の裁量でやりくりさせる形だけど。シャノワール嬢なら地表よりも温かい地下に空間を作り、直接土壌ごと畑を運べるのでは」


 シャノ一人でこなせるなら費用対効果が抜群にいい。国から莫大な報酬を払っても個人に支払う額だ。公共事業としては恐ろしく安上がりに済む──


「市井はまだ食うに困る有様、なんとかしたい。気温と土壌による自給率の差が、現地で埋め合わせられればとてもいい……」


 そういうことをしたいのだと。各地の暮らしを整えて行きたいと、幼くとも為政者の目線で語る姿にシャノは恥じ入った。自身の矮小さを思い知らされる。

 志ある若者にひっそりと打ちのめされ俯くシャノに、サーイルカークは真正面から頼み込んだ。


「シャノワール・オ・クロック嬢、当代最高峰の転移能力者として、国の為に腕を奮って欲しい」


 その言葉はきっと本心からの願いで、立場上示せる最大限の誠意の形なのだろう。

 取り囲んで脅し付けるでもなく、自ら足を運び、向き合って言葉を尽くす姿は立派だと思う。それでも、シャノの答えは一つだ。


「申し訳ございません殿下、私にはとても務まりません。父の意向もありますので」 


 せめて深く深く頭を下げる。長い黒髪が滑り落ち下草に触れそうな程に低く。

 叩頭こうとうするシャノの姿に一瞬、僅かに失意を浮かべた顔になるも、サーイルカークは感情を殺し切った。


「そう……本来守るべきご令嬢に無理を言ってるのはこちらだから」


 悪いね、とカップの中身を一息に呷り、席を立つ。


「先に陛下の承諾を貰っておいてよかった。とりあえず五日後から登城して。ではまた」


「はいぃ?」


 ぽかーんとした顔を上げるシャノにサーイルカークが小首を傾げる。


「悪い……とは思うけど、先に言った。もう押し通したこと。決定事項を伝えに来た、だけ」


「ファーッ!?」


 思わずガタンと椅子を鳴らし立ち上がるシャノの姿をまじまじと見やり、込められた不満の色にサーイルカークは殊更のんびり言葉を継ぎ足した。

 未だ幼くとも、彼は紛れもなく魔族の頂点に最も近い存在だと。殿下という立場と肩書きの重さを、シャノに自覚させる為に。


「勅書にしたためた方がよかった? あるにはあるけど、いる……?」


 国家権力ぅ! とシャノは気が遠くなった。いくらなんでもご無体が過ぎる。

 息絶えそうな面持ちで戦慄くシャノに、なるべく穏やかな口調で言い聞かせようとするサーイルカーク。


「シャノワール嬢……城には機密上、転移や魔法を行使出来ない、武器も持ち込めない決まりの場所もある。だから安全の為にシャノワール嬢には基本的に一緒にいて貰うことにする。常に護衛がいるから、危なくない……」


 ──四六時中殿下と一緒にいろってこと? 要するに殿下の直属で紐付きな子飼いの部下でしょ……何も安心出来ないのよ……!


 先王時代の確執でオ・クロック家は王家アレルギーを患っているのをまさか知らないとでも言うつもりか、と死んだ目でサーイルカークを見返すシャノ。

 もし唯々諾々とサーイルカークの麾下になれば、それなりの地位を持つオ・クロック家が殿下の後見人になると取られかねない。政争の具にされるのは御免だ。


「俺も戦える。シャノワール嬢が転移するまでの時間稼ぎくらい、どうとでもしてみせる。必ず守る……から、だから……」


 長々話すせいかお茶を一息に飲み干したせいか。シャノがじっと見詰める先でサーイルカークの頬に朱が差して来た。

 どんなに切々と安全を語られても、心の底からご遠慮したい。やんごとない御方の傍付きで働く状況がメンタルに多大な負荷と致命傷を与えるのは明白。故に──


「やーです」


「お嬢!」


 空気に徹していたトビが仰天して声を上げた。しかしシャノは黙らない。


「やーです!」


「シャノ──」


「だって、お昼寝の時間とおやつの時間あるの!? 一時間休憩二回はなくちゃ無理、既に無理もう無理しんどい、働きたくない!」


 ──あ……あああああああぁぁぁあぁぁぁ……! 言った! 殿下に堂々と包み隠さず働きたくないとぶっちゃけたこのポンコツ主人!


「お、お嬢……!」


「そんなとこで働きたくない! 休憩時間が足りない! 倒れちゃう! やーっ!」


 熱く迸る魂の叫び。流石に虚を突かれたか、黒い瞳が丸く瞠られた。


「……そう」


「そう!」


「分かった」


 力一杯主張するシャノに憤るでもなく無表情のまま頷き、サーイルカークは吹っ切れたようにマントを翻した。そこから現れたのは簡単に命を左右する綺麗な紙切れ。


「はい、勅書」


 ──最高権力ぅ!


 その時トビが感じた鉛の如き重みよ。誰か分かってやって欲しい。お嬢、トビは無罪ですし絶対庇いませんからねと秒で見切りを付けた心境を。

 このような事態になったのも魔界の世情が原因だ。それを語る前に、シャノとサーイルカークが出会うまで少しばかり時を戻し、振り返るとしよう。




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お目通し下さりありがとうございます。

作中の漢字、平仮名表記の書き分けは意図しているものです。

変換忘れなどではありませんのでそのまま読み下して頂いて大丈夫です。

 

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