そのあといくつか門倉のあれこれを褒めてみたが、奴の態度は一向に軟化しない。それどころか俺に向けられる視線の温度が下がってきている気配がしたので、ご機嫌取りのほうは諦めて、仕方なく正攻法で行くことにする。


「あのな。別に、全国目指して本気でやってるとこに入ろうっていうんじゃないぞ」

「当たり前だろ。そういう話じゃないんだよ」

「自由参加のさ、土日にちょろっと集まって、ちょろっといい汗かこうぜ、みたいなところで良いんだけどな?」

「いい汗をかくために土日が潰れるのは御免被ごめんこうむりたいね」

「お前がいるなら、俺は文化部系でも」


「ああ、わかった神尾くん、ストップ」


 俺の言葉をさえぎるように、門倉が口を挟む。そこには俺の抗弁をよしとしない、断固たる響きがあった。意を決したような目つきで、大きな双眸が俺をとらえていた。


 たちまち神経質な不調和がベンチの上を支配する。


「……何だよ」

「君は、冤罪で捕まりかけた次の日のことを覚えてるかい」


 出し抜けに、門倉は言った。急になんだ? 何の話? 唐突に投げかけられた質問の意図が分からず、俺は困惑する。


「え? ああ……そりゃまあ。俺が文学部棟まで、お前に会いに行ったやつだよな?」


 無言で頷く門倉。こういう勿体ぶった仕草はいかにも探偵然としていた。この場合、さながら断崖絶壁に追い詰められた犯人役が俺だろうか?


「知り合いの多い君のことだ。わたしが文学部の人間だということは、親切な誰かに教えてもらったんだろうね」

「はあ、まあ、そうだけど……」


 この探偵の言うとおり、俺は人づてに門倉の所属学部を知ったのだ。


「で、それがどうしたんだよ。まさかとは思うけど、今さらプライバシー侵害とか言うんじゃないだろうな」


「そんなことを責め立てるつもりはない。自慢じゃないが、わたしは有名人なんでね」


 そのとき門倉の頬に、人を見透かしたような嫌な笑みが浮かんだのが分かった。皮肉にも、この手の表情がぞっとするような美形にはよく似合っている。


「ところで君の学部は工学部だったかな?」

「いや、経済学部だけど」

「そうそう、経済学部。それで君は、同じく経済学部のお友達にわたしの所在を聞いて回ったというわけだ」

「聞いて回ったというほどじゃねえけど、まあそうだな」

「何人に聞いた? 五人くらいかな」

「三人……だけど、何なんだよさっきから……」


「『門倉朱雀』の学部を教えてくれた三人は、わたしについて、他にどんなことを言っていた? 学部以外には?」


「いやそれは、『あいつはラグビー部の先輩を殴った』だとか、『外部講師を階段から突き落……」

 ここまで言ってから、はっと口をつぐむ。


 やってしまった。

 どう考えても、こんなことは門倉本人の前で言うべきことじゃなかった。だってそうだろう、「お前、悪口言われてるぞ」なんて言われて喜ぶ奴なんかいない!


 俺は咄嗟につけ加える。

「言っとくけど、俺は信じてないからな。あんな噂」

「わたしの手前、君はそう言うだろうね」

「お前の手前じゃなくても言う」


 本当に、俺はあんな根も葉もない噂なんか信じちゃいないのだ。どうせどこかの誰かの作り話に決まっている。門倉の性格に難があるのは重々認めるが、だからと言って暴力に訴えかけるような奴じゃない。


 みんなは知らないのだ。この男の善性を。誰からも信じてもらえずにいた俺を、窮地から救い出してくれた名探偵のことを。


「お前は人を殴ったりしないだろ」


「火のないところに煙は立たないよ。ひょっとすると、噂のほうが本当だったりしてね。わたしは人を殴って蹴落として、そういう人間かもしれない。きっと神尾くんの前では良い子ぶっているんだよ。とんだ下衆野郎で参るな」

「おい、お前までそんなこと言うなって……」


「君のほうこそ、簡単に人を信じない方がいい」

 そんな露悪的な言葉でまとめると、門倉はさっさと荷物をまとめて立ちあがる。


「待てよ、まだ話は終わってないだろ」


「終わったよ。さっきも言った通り、サークルの件ならお断りだ。いっそ断言してもいい──真偽がどうであれ、そういう噂が存在している以上は『門倉朱雀』を歓迎してくれるサークルなんか存在しない。わたしは曰く付きの腫れ物さ」


「門倉……」


「神尾くんが考えている以上に、わたしは大学の有名人なんだ。……まあ、それでも君には同情するよ。残念だったね」

 独りぼっちで、可哀想なわたしを救えなくて。


 直接そう言われたわけじゃなかったが、門倉の冷笑が言外にそんな台詞を物語っていた。目は口ほどに物を言う、ということわざの用例に、そのまま採用されそうな笑顔の痛々しさたるや!


「お前はどうしてそういう言い方するんだよ!」

「君があまりに食い下がるから、はっきり言わないと分からないと思って」

「俺の気も知らないで!」

「君だって、わたしがどういう気持ちでいるか知らないだろう」

「門倉!」

「サークル活動なら君一人でどうぞ。有限の青春をせいぜい楽しんで。少なくともわたしのような日陰者にかまけるよりは、よっぽど健全で有意義な学生生活になること請け負いさ」

「このっ、お前、マジでさあ……!」


 頭の奥がかっと熱くなる。


 もう少しで、あやうく俺のほうが門倉を殴りそうになっていた。というか、あいつが逃げるように立ち去らなければ、俺は門倉の綺麗な顔を張り飛ばしていたことだろう。多分。そんなことにならなくてよかったとも思うし、一発殴ってやればよかったとも思う。


 だって普通に腹が立つ! 門倉を孤独から救いたかったのは事実だし、お節介だと言われたらそうかもしれないが、でも! いくらなんでも、ああいう言い方はないだろ! あのクソバカ偏屈野郎!


「クソっ」


 二度と文学部棟なんかに来るか、という思いで俺もきびすを返す。別に誰かに見られているわけではなかったが、ちょっとした復讐のつもりで、俺は後ろも振り返ってやらなかった。

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