3

「さて、それでは推理を始めようか。諸君」


 ──はい、悪いけどカットで。


 実際には、ここから驚くほど長い門倉の蘊蓄うんちくマシンガントークが差し挟まるのだが、さして重要ではないので──というか、俺が覚えてないので──結論から先に言おう。


 門倉の推理は、まさに完璧だった。


 俺が拾った本に挟んであった一枚のしおりから、この本は「ぼんぼん堂」の商品ではなく未使用未読の新品であること、そもそも神尾葵はこの古本屋に足を踏み入れてすらいないということ、他にもありとあらゆる事実を、門倉は信じられない速さでいっぺんに証明してくれたのだ。まさに神業!


 最後に、門倉が尋ねる。

「なにか、反論のある者は?」

「…………」

 いるはずがない。明快にして華麗な名推理に、反論など挟めるはずがなかった。


「誰もいないようなら結構だよ。……ふん、やはり単純な事件だったな」


 商店街の道端に落ちていた一冊の本。それを俺が拾い上げたことで始まった、この万引き冤罪事件。ならびに、俺の大学生活モラトリアム終幕の危機。誰もが俺を疑っていたあの状況を、門倉は見事に変えてみせてくれたのだ。


 捨てる神あれば拾う神あり。人生はそんなに捨てたもんじゃない。いま俺の胸は、門倉への純粋な感謝と尊敬でいっぱいになっていた。


「門倉、俺……」

「言っただろう、跡形もなく晴らしてやるとね」

「ああ。お前、すごい奴なんだな」

 会心の笑顔を見せる名探偵。


 これにて一件落着、万事解決。奇縁で生まれた友情を匂わせて、次回に続く。すべてがハッピーエンドのはずだった。


 が。

「いやあ。反論ってほどじゃないんだけど、疑問は残るよね?」

 ここでおずおずと呟いたのは、すこし前まで門倉と睨み合っていた警察官である。


「おや、何です?」

「なぜ、新品の本がそんなところに落ちていたんだろう。本の置き忘れはあっても、本の落とし物なんて聞いたことがない。この店の商品でもない本が、なぜ商店街の道端なんかに……?」

 警官の言葉に、門倉の表情がすこし曇る。テストの点数を親に聞かれてしまった子供みたいだ。


「そのことですがね……」

 ──はい、カット。理由は以下略。


 *


 俺の拾った本のタイトルは、『ハムレット』とかいう名作? だそうで、英語で書くと〝Hamlet〟。(ホテルの朝食みたいで美味しそうな名前だと言うと、門倉に睨まれた。)


 そのアナグラムが〝Amleth〟、つまり「アムレート」になるらしい。


 そして何の因果か「アムレート」と言うと、我らが京央大学生の溜まり場になっている喫茶店の名前もまた「アムレート」なのだった。不思議な偶然である。

 喫茶アムレートはちょうどこの商店街を抜けた先にあって、コーヒーが二百円で飲めることで有名だ。スタバに行く金は無いが、ちょっとだけ背伸びをしたいという大学生には大変人気のスポットとなっている。


「でも、それが何なんだ? 門倉」

「諸君らは、最近お茶の間を賑わせている連続強盗犯をご存じかな?」


 ふいに、門倉が尋ねた。

 連続強盗犯。なんとも物騒なワードだが、警官とアルバイトの女性は素直に頷いている。どうやらその強盗犯とやらは、本当に茶の間を賑わせているらしい。


「いや……俺は知らないぞ。入学に合わせて、先月この辺に引っ越してきたばかりだから」


「無知は罪だな……いいかい、神尾くん。その強盗犯というのは、ある時は一般家庭に、またある時はスーパーに、そしてまたある時は銀行に。神出鬼没にして大胆不敵な犯行で、ありったけの金品を奪っていく厄介な連中だよ。抵抗した人間はもれなく殺されているようだしね。

 ところが、これだけの被害が出ているというのにも関わらず、手がかりはゼロ。依然として、彼らの正体は謎のヴェールに包まれているというわけだ」


「……怖すぎるだろ、それ」

「そして今日、神尾くんが拾った『ハムレット』だが、十中八九、その強盗犯からの予告状と思われる」


 門倉がこう発言した際、いよいよ「ぼんぼん堂」内は異様な雰囲気に包まれた。


 神出鬼没の強盗殺人犯。予告状。『ハムレット』とアムレート。そして、目の前にいる謎の美青年……。現実は小説よりも奇なり。


「前回、その強盗犯が犯行に及んだのは二か月前になる。ベンチャー企業の若社長、小金井こがねい多子ますこの自宅から、現金に換算しておよそ五百万円相当の腕時計が盗まれた。また同時に、小金井家の家政婦が殺された事件でもある。

 そしてそのとき、現場付近の電柱に貼り付けてあったのが『子猫がいます』の張り紙だ。子猫の写真付きだったので、わたしも最初は里親探しのポスターだと思っていたんだが……本当は違った」

「違った?」


「アナグラムなんだ、それも。『子猫がいます』を並び替えると、小金井多子になるだろう」

 こがねいますこ、こねこがいます──確かにそうだ。そうだが……。


「でもさ、偶然ってこともあるだろ、普通に。たまたま小金井さんの家の近くで、子猫の里親募集をしていた人がいただけかもしれない」


 回りくどいアナグラムで予告状を出す強盗犯なんかより、事件現場の近所でたまたま子猫が生まれたというほうが、まだあり得る話の範疇はんちゅうである。


 そんな俺の言葉に、警官とアルバイト女性もうんうんと頷いていた。さっきまで俺を疑っていた二人と仲間になったみたいで、これはこれで複雑な感じだ。


「その可能性はもちろん考えた。

 だが、わたしが事件現場の周囲を探してみても、小金井家のまわりで見つかったポスターはその一枚だけ。里親募集にしては募集する気が無さすぎる。しかも貼り付けられた子猫の写真も、フリー素材用の写真サイトで簡単に見つかった」


 門倉の声は、淡々と事実を読み上げるニュースキャスターのように第三者的だった。


「それじゃあそのポスターは、マジの犯行予告状だったっていうのか?」

「わたしの見立てでは、そうなる」

 何だよそれ。それじゃあ本当に。


「……『ハムレット』が次の予告状だって言いたいのか?」

「その分厚い本を、誰かがついうっかり落としていったんじゃなければね」

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