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「わ…………」


 イケメンだ。


 こんな時に馬鹿みたいな感想だが、声の主は憎らしいほどの美青年であったことを、ここに認めなくてはならない。国籍も性別も、声さえ聞いていなければ判断しかねていただろう。


 艶めいた長い黒髪と、人形のように整った顔立ち。

 その異様でアンダーグラウンドな雰囲気に、俺は一瞬ホストクラブの店員だろうかと考えたくらいだ。もしくはアイドル? 芸能人? 

 ただ、それにしては服装が妙である。今は爽やかな初夏のさかりだというのに、この男ときたら黒いタートルネックの上に厚手のコートまで羽織っていた。


 しかし世間はおしなべて美女とイケメンに弱い。季節外れの格好など、顔が良ければすべて良しである。一切気にならないどころか、むしろ彼には真冬ファッションがよくお似合いだった。


 ところでこの見目麗しい男の登場は予想外だったのか、この場にいる他の二人も、しばらく息を呑んで驚いていたらしかった。


「き、きみは? この店は、関係者以外立ち入り禁止になっていたはずだけど……?」


 最初にこの沈黙を破ったのは、警官の男である。さすがはプロ。戸惑いながらも咎めるような目つきで、美青年のことを睨みつけていた。


 対する美青年は、そんな警官の視線をものともせず、まったく知らないふりをして、もう警察なんて見飽きましたと言わんばかりの表情で、俺と警官のあいだに躍り出てくる。


「それは失礼しました。わたしは門倉朱雀と申します。彼と同じ、京央の生徒ですよ。こちらのお店でお手洗いをお借りしていたのですがね。……ほら、用を済ませたときにはこんな状況でしたので、今まで出るに出られず」


「ああ、そう。それなら出て行ってくれるかな。悪いけど取り込み中なんでね」

 冷ややかな警官の言葉に、門倉という男はなぜかこちらを一瞥する。まるで何かを確認するように。「いいのか?」とでも言いたげに。

 いいのか? なにが? このままで。


 そういえば──外見のインパクトで飛びかけていたが、この男は先程、俺のことを「万引きなんてやっていない」と言わなかったか……? 言った、確かに言ったはずだ。都合のいい幻聴が聞こえるほど俺の気はまだ狂っていない、と思う。


 そのとき、俺は子どもの頃に見た『名探偵コナン』をふと思い出す。

 門倉は赤い蝶ネクタイも眼鏡も掛けていなかったが、この男こそ、俺を窮地から救い出してくれる名探偵なのかもしれない。それは絶望の闇に差した、一筋の光明! 


 門倉、頼む、助けてくれ、と心のなかで何度も唱えてみせた。冤罪で退学処分──おまけに前科付き──になるなんて、死んでも御免だ。俺は大学でゆるいフットサルサークルなんかに入って、彼女でも作って、ゆるく遊んでいたい。こんなところで社会的に終わってたまるか。


 俺の必死の哀願が通じたのかは不明だが、門倉は

「やれやれ。可哀想になりますよ」

 と肩をすくめて言った。こんな気障ったらしい仕草すら様になっているのだから、やはり美形というのはかなりのアドヴァンテージである。


「あのねえ、きみ。『可哀想』なんて理由で、容疑者を解放できるとでも?」


「わたしが可哀想だと言っているのは、そこで震えている彼ではなく、あなたの洞察力の無さですよ。まったく嘆かわしい限りです」

「何だって?」


「ふん、明日の朝刊の見出しは『K市の大学生を冤罪逮捕、警察の責任問われる』で決まりだな……。こんなの、わたしがあれこれ理論を組み立てるまでもない。素人が見たってわかる退屈な事件だというのにね」

「な……」

 蔑んだらしい冷笑をもらしながら、門倉は言った。この男のとんでもない物言いに、俺のほうが度肝を抜かれてしまう。


 門倉よ。俺のことを庇ってくれるのは嬉しいが、そういう言い方はかなりまずいんじゃないだろうか。「二人まとめて仲良く退学」という言葉が脳裏をちらつく。というか、おそらく現在進行形でその未来が確約されつつある。


 おそるおそる見上げた警官の顔が、怒れるあまり真っ青になっていたため俺はいよいよ叫びそうになった。


「……」

「…………」

 凍ったような睨み合い。恐ろしい沈黙。視界の片隅でちぢこまっている女性アルバイト店員。容疑者の俺。何だこれ。


 一触即発の事態を前に、耐え切れず口を挟んでしまったのは俺だった。

「あ、あのさあ……」

 何か話さないと、と思うと、不思議といつもより声が高くなる。なにか一つでも選択肢を間違えたら、たちまちミサイルが飛び出しそうな緊張感がここにあった。


 般若の表情を崩さない警官と、門倉の視線がゆっくり俺に集まる。


「あー、えっと、門倉……くん?」

「門倉でいい」

「じゃあ、門倉」


 正直言って、確証はない。ほとんど直感のようなものだ。門倉ならきっと、恐らく、という根拠のない自信、希望的観測。あるいは祈り。


 鬼が出るか蛇が出るか──これは賭けだった。俺は門倉に、人生をベットする。


「門倉、


「は?」

「同じ大学のよしみで俺のことを庇ってくれてるんなら、もういい。ごめんな、色々! 俺が万引きなんてやってないっていうのは本当なんだけどさ。でもやっぱり俺、ちゃんとプロの人に指紋鑑定とかしてもらって、無実だって証明してもらうから!」


「プロの人」


「あー、鑑識官っていうのか? ドラマでしか見たことないけど。とにかく、そういう人たちに任せることにするよ! 門倉は優しいんだな。良い奴だよ、ホント。素人なのに、俺が可哀想で助けてくれようとしたんだろ?」


「素人……」


「引き留めて悪かった。警察でも何でもない、偶然、たまたま居合わせただけの、一般人でしかない門倉が、俺の冤罪を晴らせるわけないもんなあ」


……?」


 門倉の声色が、表情が、不機嫌に歪んでいく。俺の言葉を繰り返すたび、門倉の中で憎悪の青い炎がごうごうと音を立てるのがわかった。

 浮世離れしたその外見にはそぐわない、とても素晴らしい食いつきようである。口は底抜けに悪いが、性格のほうは素直なようで大変よろしい。


「神尾葵くん、とか言ったね……」

「ああ」

 いかにも、俺が神尾葵だ。わざとらしく殊勝に頷いてみせる。


「君は今、誰に、何を言ってしまったのか、よくわかっていないらしいな」

「通りすがりの門倉に、『もういい』って言ったんだ。もう日が暮れるし、引き留めるのも悪いと思って……」


「はっ、言ってくれるね。ずいぶん余裕じゃないか? そこまで言うのなら、わたしが君の罪など跡形もなく晴らしてあげるよ。神尾くんはせいぜい、そこで震えていればいい」

 門倉は声高に宣言する。後悔しても遅いからね、という見事な決め台詞付きだった。


 警官もアルバイトの彼女も、目の前で一体何が起こっているのかわかっていないらしく、足に根が生えたようにその場に立ち尽くしてしまっている。


 それでいい。頼むから、誰も正気に戻るな。


 古本屋「ぼんぼん堂」に、水のような西日がひたひたと差し込んできていた。

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