断末魔の残り香 〜ハロウィン編

焼魚圭

ハロウィン

 その叫びは突然に、襲い掛かるように訪れた。


「トリックオアトリート! お菓子くれなきゃイタズラするぞコノヤロー」


 声の主はいつものニヤけを貼り付けて、インターホン越しにお菓子を欲していた。耳を塞ぎながら春斗はドアを開けて首を横に振っていた。

 お菓子なんか持ってません、その言葉は吐きだすまでもなく伝わっていたようで、不快なニヤけを絶やさない愉快な男、秋男は肩にかけている白い袋に手を突っ込んで何かを探っていた。

――行事間違えてないか?

 春斗の思考など読まれることもなく、中から取り出したクッキーをそのまま差し出した。


「とりあえずこれくれてやるよ、俺のお手製を。これでお前からのイタズラはナシだな」

「はぁ」


 気の抜けた返事をこぼしつつも上辺という言葉が似合う感情の見えない礼を口にしながらクッキーを口にした。口に入れた途端広がる甘さは優しくもしっかりと伝わってくるもので、秋男と名付けられた人物の歩んできた人生によって培われてきた強烈な人品からは想像も付かないもので、そこから得られる幸せを春斗は思い切り噛み締めた。

 その瞬間、化けの皮が砕けるように剝がれ落ちる。

 噛み締めた生地の中から現れた刺激に思わず言葉にならない声を散らしていた。舌を刺す感覚は責めながら纏わりつき続け、甘さと混ざり合いながらその存在感を見る見るうちに強めて行った。


「あ、が……かっ」


 強烈な辛味の絡みに悶絶する春斗の姿を目にして秋男は腹を抱えて笑っていた。まさに人の不幸は蜜の味。


「トリート! 俺のイタズラだぜ」


 トリックオアトリートと言いながら詰め寄った子どもたちにこれを配ってしまっては絶望の惨劇、絶叫の悲劇が訪れること間違いなしであろう。絶対子どもには配るなよと釘を刺した瞬間、春斗専用だからなどと返って来て大いにうなだれていた。

 そんな春斗の頭を見つめて秋男はあるものを被せた。カチューシャのようにも見えるそれにはふたつの黒い耳が付いていた。


「俺吸血鬼、お前眷属のコウモリな」


 そう告げられて引っ張り出されて向かった先は見覚えのある景色、いつもの道を歩いて電車に乗って、着いた場所は秋男の家だった。


「にゃんにゃん娘々の姉妹がお待ちだぞ」


 告げられドアは開かれて、言われるがままに入れられて、目に入ったのは妹の小春と春斗が中退した大学の同級生だった冬子のふたり。冬子は相変わらず生気を感じさせない青白い顔に不機嫌を思わせる目つきとその下に刻み込まれたような濃いくまをたたえていた。肩まで伸びたさらさらとした絹のような艶のある黒髪も相まって亡霊のようであった。


「久しぶり、冬子」

「……久しぶり」


 チャイナドレスを身に纏ってネコの耳を着けた背の低い冬子は表情ひとつ変えず愛想も示すことない冷たい声で応えていた。冷たくて味のない空気に固まる春斗を見て、冬子は微かに表情を崩し、不器用な微笑みで雰囲気を融かしていた。秋男はさぞかし愉快な様子で笑いを堪えながらも冬子に言葉を向ける。


「なんだそれ相変わらずそっけないな。顔色と言い態度と言い、キョンシーのがよかったんじゃね?」

「悪かったな無愛想で」


 不機嫌を実現させる秋男に呆れながらも冬子を慰めて。慰めに対して礼を口にする冬子が浮かべた不器用な笑みは確実に春斗の心の靄を消していた。


「春斗は優しいな、どこかの誰かと違って」


 一方で小春の方は乾いた笑いで場を微妙な塩梅で彩っていた。小春と秋男は互いに付き合っていて、結婚はもうすぐそこまで来ているのだという。

 春斗は謎の焦りを膨らませて押しつぶされそうになっていた。頭をかき混ぜる不安に胸をかき乱され止まらない。いつの日にか訪れるであろう恋愛経験ゼロという結果を待つことに対して恐怖を振り払うことが出来ないでいた。


「早く着替えろ、出かけるぞ」


 言われるがままに着替えを済ませてコウモリを思わせる黒いマントを纏いつつも気取ることないその姿はまさに春斗のような目立つことなく陰にいることが似合う人物のようだった。

 それを目にして満足を感じさせる爽やかな笑顔を咲かせて秋男はみんなを導いた。シワひとつないタキシードは立派で貴族を思わせる。目立つ格好での外出は普段ならば奇異の目を向けられて心の底まで冷やされてしまうものだが今日だけは許されたものだった。仮装をしてこの日のイベントに参加するのだろうと一瞬で理解させる格好だった。


「冬子のやつ酷いものだったぜ? トリックオアトリートって言ったら即座に豆まきやがったからな、豆菓子つってもなぁ」


 更に小春は愛を込めてチョコを渡してきたのだと付け加えられて、行事のズレを感じていた。

――纏まりがないな、ハロウィン

 行事違いは春斗の周辺特有のもので間違いないだろう。すでに何件も連なっている中で未だに秋男は新しいものを重ねようとしていた。春斗に何かを手渡していた。目を向けるとそれは菊の形をしたカラフルなお菓子たちだったが、明らかにこの時に相応しくないものだと一瞬で悟った。


「落雁かよ」

「菓子くれ乞食マンにはそいつをくれてやれ。お供え物だぞ死者さんってな」


 黒々とした言葉と共に捧げるお菓子はイタズラを与えているようにしか思えない。そうした話を交わしている内に目的の駅へとたどり着いた。

 電車を降りて改札を通って目にした光景、それは西洋的な魑魅魍魎によってなされた喧騒の塊。一同目を見開き立ち止まり、慣れた頃には喧騒の一部となること確実だった。


「これが西洋の百鬼夜行か」


 からかいの態度を隠しもしない大人げない大人の言葉を無視して列へと入り込み流れ込む。


 その時だった。


 小さな目つきの悪い中華化けネコが俯き辺りを見渡していた。春斗もまた、中華化け猫に扮した冬子同様に『例の存在』を辺りに見ていた。


「断末魔の残り香が……視える」


 流れる人々の中に混ざり歩く希薄な気配。聞こえるように漂って、香りのように届いて、見えるように触れる、何もかもがあやふやな死後の存在。

 誰がそうなのか、どこに幽霊がいるのか、喧騒の中薄暗くなっている景色の中、判別も付かない。大人の手を引っ張って無邪気に笑いながらお菓子を求める子ども、騒がしさの中、ただ黙って歩くだけの陰の目立つ人物、やけに古めかしくて質素な和服を着た子ども、全てが疑わしくもあって紛らわしさは最高潮の間際をとうに通り越していた。

 コスプレと祭りの浮かれ、そこに混ざる幽霊。陽と陰の区別すらつかせない魔力のようなもので溢れかえっていた。


「少し、席を外そうか」


 気分のすぐれない冬子の背を支えるように押さえて、春斗は列の流れから抜け出して行った。秋男が嬉しそうに喚いていたものの、声は人々の明るみに揉み消されてここまで届くこともない。

 端へ、暗い路地へと避けて、ふたり息をつく。


「大丈夫?」


 春斗の声はどのように響いてどのように届いただろう。陰に隠れて闇に飲まれた顔から貌を窺い知ることなど人の目では許されないのか。俯く姿、近くにいるにも関わらず見て取ることも出来ない。


 こんなに一緒にいても、分からないのか


 春斗の想いは昏い想いの水に溺れかけていた。

 冬子は顔も上げないまま、ぼそぼそとなにかを口にしていた。春斗が耳を近づけても聞き取れないほどに細かな声、聞き取らせるつもりもないのだろうかと思えるようなその声は、次第にハッキリと呻いている声だと分かるくらいになっていく。


「と……あ……」


 不吉な呻き、繰り返されて続けられて呻きの内容までをもつかみ始めた。


「……りっ……く…………りー……」

「冬子?」


 春斗に呼ばれるも気づいているのか理解できないのか。顔を春斗の方へと向け、感情すらはめ込まれていない虚ろな瞳で、苦しそうに言ってのけた。


「トリック……オア、トリー……ト」


 それは異常、明らかに意識は浮上していなかった。震えつつも肩を掴む手に力を入れて、瞳を半分閉じて、視えない何かを匂って聞いて感じ取る。

 そのまま顔を前へと向けたその時、冬子はまたしても壊れたように同じ言葉を繰り返した。


「トリックオアトリート」

「トリックオアトリート」


 目の前からも響き飛んで耳の中へと忍び込んでくる。恐怖が心に墨のような暗い単純な感情を塗り付けて、しかし春斗の気持ちなどには構わず腕に納まる小さな女と目の前の何者かが同じ言葉を発していた。


「トリックオアトリート」


 春斗の息が荒くなる。肩は激しく動き、冷や汗と危機感の動悸を打ち付ける。


 ああ、早く、速く逃げなければ


 そう思った束の間のこと、冬子の手を掴み、早々に逃げ出した。

 駆けて逃げて走って、後ろも振り返ることなく考えもなく――

 しかしいつまでも路地裏から逃げ出すことが出来ない。路地の裏の道は短く出口はすぐそこであるにも関わらず。どれだけ足を動かし闇から遠ざかろうとも、光へと距離を詰めることが出来ない。

 焦りは大きく濃く強く刻まれ心を揺らされて、動いているのか止まっているのか、それすらもう既に分からなくなってしまっていた。自身の感覚すら曖昧で、息遣いの痛みは本物か偽物か、全てが無意識の渦に溶かされていた。

 闇しか見えないその中で、春斗の目の前に現れた目の血走った女。感情の宿らない瞳は怨念や未練を持っているのかどうかそれすら悟らせることのない虚無のもの。


「トリックオアトリート」


 女が長い髪を揺らしながら苦しそうな声ではっきりと言った。春斗は震える声で歯を鳴らしながら、言葉を鳴らす。


「こっ、これやるから……消えてくれ」


 女が目を移したそれは砂糖を固めた菊の姿を持つあのお菓子。血の抜けたような青白い手を伸ばし、春斗が持っている落雁へと手を伸ばし。


 春斗の手首をつかみ引っ張った。


 心臓が内から外へと叩き鳴らす音は春斗の全身を駆け巡って、生気のない冷たさに嫌悪を感じて激しく鳴り続ける。引っ張られる先など想像がついてしまっていた。

 あの世、彼岸へと持って行かれてしまう。

 肌で感覚で見知った途端のおぞましさ、それに抗って掴まれて自由を奪われかけている手首をどうにか曲げて落雁を投げつけた。


「消えてくれ、もういやだ」


 投げられた菊の姿の砂糖を見つめ、それを手にして女は消え去った。

 冬子を抱き寄せて、未だに震える手でどうにか抱き締め続けていた。


「どうしたんだ」


 冬子に訊ねられるものの、安堵の大きさに口を動かす余裕すらなかった。



 それから数分の後、路地裏から列へと戻り、進んでどうにか秋男の元へとたどり着いた。春斗たちの身の毛もよだつ体験を知らない彼は、夜闇にも負けない明るい笑いと声で楽しかったと言っていた。

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