第10話 こっくりさん〈3 極楽縄〉


 興奮した表情の絵美と目を見交わし、アッコはおそるおそる聞いた。


「よ……ようこそおこしくださいました。くちなわ様、あなたの名前はなんですか」


 十円玉は、文字のうえへと動いた。



  マ カ レ



 変な名前、とアッコは思った。

 おかしみを感じていたわけではない。自分で呼んでおきながら、信じられないという戸惑いのほうが強かった。


「ね、この縄すごいよね」


 絵美がはしゃいだ声を出す。あいまいにうなずいて、アッコは確認する。


「“まかれ”さん……ですか?」


 十円玉は今度もまた、“マカレ”と繰り返した。


「様って言わなきゃだめだよ、アッコ。相手は神様かもしれないんだから」


 絵美が注意してきて、ついで質問した。


「くちなわ様、おしえてください。ここにいる敦子ちゃんのお姉ちゃん……依子さんは、いまどこにいるんでしょうか」


 がりっ。

 歯で十円玉を噛んだような音がして、びくりと二人は肩をはねさせた。

 じじっ、じじっと這いずるように十円玉は移動した。



  ク ラ イ ト コ ロ



 不吉な文面だった。アッコはわれしらず身を乗り出してたずねていた。


「あ、あの……おねえちゃんは、死んでるんですか」



  〔ハイ〕



 アッコはきつく目をつぶって唇を噛んだ。

 覚悟していたはずだったのに、まったくそうではなかったことを思い知らされた。頭がしびれたようになっている。頭の片隅で(これは自己暗示かもしれない。霊なんか降りてきていなくて、わたし自身か絵美ちゃんが十円玉を動かしたのかもしれない)と逃避しつづけていた。


「お姉ちゃん……」


 座りこみたかったが脚に力を入れ、アッコは「おねがい。もっと具体的にお姉ちゃんがどこにいるか教えてください」と懇願した。


「お姉ちゃんの体は、いまどこにあるんですか?」


 十円玉は、ぶれるように小刻みに動いた。

 それからぐるぐると、五十音のどこに行くでもなく小さな円を描きはじめる。

 アッコはうなじの毛がちりちりするのを感じた。突如として、理由のまったく不明な焦燥感がこみあげた。


「体は、どこにあるんでしょうか?」


 らちがあかず、もう一度くりかえす。

 とたん、十円玉はじぐざぐに速く動きはじめた。



  マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ ロ マ カ ロ マ カ レ マ カ ロ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ ロ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ レ マ カ ロ マ カ ロ マ カ ロ マ カ ロ



「ずっとマカレかマカロって繰り返してる……なにこれ」


 絵美が怯えた顔でつぶやく。声は震え、さっきまでの興奮の響きはあとかたもなく消えていた。


(なにかおかしい)


 アッコは、十円玉に指を乗せていることがひどく気持ち悪くなっていた。



  ミ ナ マ カ ロ マ カ ロ



 恐怖がひたひたと胸のうちで水位を増していく。


「絵美ちゃん……一回、このひと帰そうよ。なんかおかしいよ」


「わ、わかった……くちなわ様、くちなわ様、お帰りください」



  〔イイエ〕



 そこで十円玉は、紙に貼り付いたように動かなくなった。ぴくりともしない。

 強烈なパニックがアッコの心臓をわしづかんだ。のどから悲鳴が漏れる。


「絵美ちゃんっ、これ、神様なんかに思えないよ! どうしようっ」


 盤を見つめて叫んだとき、絵美に手首をつかまれた。


「絵美ちゃん……霊がまだ帰ってないのに十円玉から手を離して、いいの……?」


 ゆっくりとアッコは顔を上げた。

 絵美が笑っていた。眼球が互いちがいの方向を見ていた。唇から男の声が漏れてきた。


〈まかろまかろまかろまかろまかろ〉


「いやあっ!」


 絶叫して手を振り払ったが、おさげ髪をつかまれてひきずり倒された。

 げらげらげらと男の声で笑いながら絵美はアッコをひきずって暗い土間の隅に歩き始めた。そちらの壁には農具、錆びた鎌やなたがかけてある。アッコは暴れたが、おさげをつかむ絵美の手はまったくゆるまなかった。同年代の少女ではありえないほどの力だった。


「いやだ、はなして、はなしてっ」


まかろ〉


「いやだ――!」


 破砕音がした。

 木戸が外から内へと倒れこんでいた。

 恐怖と頭皮の激痛で涙ぐみながら、アッコは呆然と戸口を見た。あの男の子――こっくりさんをしたらだめと彼女に言ったおとなしそうな男の子――が、戸を蹴破った足を引いたところだった。

 そして、開いた戸から紺が飛びこんできた。


   ●   ●   ●   ●   ●


 数分前。


「あっち行ったみたい」


 熱気で景色が揺らめく田んぼ道。十字路の一方を山内くんは指差した。

 公民館の二階で見た、絵美にくっついていた黒い小蛇のようなものが、道のところどころにのたくっているのである。それをたどってかれと紺は、絵美とアッコのあとを追いかけてきたのだった。

 紺が頬の汗を袖でぐいとぬぐい、きびきびと進んで黒い小蛇を見下ろす。蛇といっても頭はない。動く縄か黒く大きなハリガネムシのようにも見えた。


「たしかにこっちみたいだな……おまえ役立つじゃん」紺は山内くんに真剣な目を向けた。


 さっさと縁を切りたい見鬼の力を褒められて、山内くんは複雑な気分である。


「紺にも見えてるんじゃないの? この蛇みたいな、くねくねしてる気持ち悪いの」


「オレには輪郭があやふやな、細長い黒いもやみたいなのが見えてる。それも、近くに行ったらわかる程度だな。オレの見鬼がひどいんじゃないぞ、こんな微弱な残り香みたいな邪気が『イメージとしてはっきり見える』やつはそうそういない。やっぱりおまえ、ちゃんと修行する気ない?」


「遠慮させて」


「……ふん。つまんねーやつ」


 尻込みした山内くんに興味をなくしたように、紺は足早に進む。あわてて山内くんはそのあとを追いかけ――紺がぴたりと動きを止めたため追突しかけた。

 紺は道端のあばら家のまえに立ち止まっていた。苔むした瓦、破れた木の壁、ひと目で廃屋とわかるその家を凝視する彼女に、山内くんは声をかける。


「どうしたの」


「いま声がした……ここだ! やばっ……あいつら、中からかんぬきかけてやがる!」


 木戸にとりついて開けようとした紺が、切迫した声を出した。

 そのとき、アッコの悲鳴が廃屋のなかから響いた。


「いやだ、はなして、はなしてっ」


 反射的に、山内くんはくるりと木戸に向き直った。

 声は木戸の向こうから聞こえた。助けが必要なことは明らかだった。ためらっている暇はたぶんない。山内くんは木戸を見る。


(朽ちてぼろぼろだ。破れるかも……あるいは戸板に穴を開ければ、手をつっこんでなかのかんぬきを開けられるかもしれない)


「山内、窓割ってでも屋内に入るぞ。横手に回ろう!」


「待って。……ちょっとのいて!」


 焦る紺をどかせ、山内くんは少し離れてから、

 走って踏み込み、

 腰を回転させ、

 全体重と突進の勢いをのせて、木戸に横蹴りをぶちかました。


 穴は開かなかった。金具の部分から朽ちていたらしい戸は吹っ飛んだのである。

 廃屋の内部では、泣き顔をひきつらせたアッコのおさげを絵美が引きずっているところだった。息を呑んでいた紺がわれにかえって、開いた戸から飛び込む。

 紺が、二本そろえた右手の指をみずからの口元へ添える。


が心の臓はあけだまなり、軻遇突命カグツチノミコト護りましますなり!」


 速いことばとともに吐かれた火が、青い帯のごとく指どころか腕まで巻きついていく。


奇火あやほは神の身ゆ出でぬ、横津枉よこつまがれるあだなえを、悉斬失ふつかたえう火剣ひのつるぎさかりてきてにけり!」


 彼女は火のまつわりからむ指を絵美へと向けて振るった。



  天、地、玄、妙、行、神、変、通、力、



 火炎が九本。宙で格子状に筋を引き、



  勝――



 最後の一閃は、作り上げた炎の格子を縦に斬り裂いた。

 炎が一息に弾けて消滅し、大気が揺れたのが山内くんには見えた。

 絵美は戸から入ってきたふたりに目を向けもせず、壁の鉈を取ろうと手をのばしていたが、とつぜんそのひざががくりと折れ、前のめりに転倒する。

 うずくまってすすり泣くアッコの腕を紺がとった。


「立てよ。絵美に入ったヤツは追っ払ったから」


 かけた声には、気づかいの響きがなくもなかった。




「まかるってのは『死ぬ』という意味もある古語だ。この地方ではなぜかその意味でよく使われてて方言化した。罵るときは『まかれやい』と言ったりもしたらしい……死ねやってことだな」


 首をすくめているアッコと、叩き起こされてむっつり黙っている絵美を前に、紺が説明している。


「まったく……降霊をへたに試したら、危険なことになると言っただろ」


「お説教はたくさん」


 ふくれて目をそらす絵美を、紺は霜が下りるようなまなざしで見た。


「おい、絵美。おまえが用意したっていうこの縄の由来、なんなのかわかってるのか」


 土間の床に落ちていた朽ち縄の切れはしを指さされて、絵美はぐっと詰まった。


「じ……神社の注連縄使ったのが罰当たりだって言いたいんでしょ」


「神社の縄なんかであるもんか。これたぶん極楽縄だぞ」


 叩き返すように紺に言われ、絵美はけげんそうにした。


「ごくらくなわ……なによ、それ」


「死人を縛った縄だよ」


 氷が張ったかのような沈黙が降りた。紺がため息をつく。


「昔の葬儀じゃ、座棺ざかんっつー丸いかんおけ……木の風呂桶に似たもんに死人をおさめて土葬するところが多かった。死人は座った形で桶に入れられ、地域によっては姿勢が崩れないように縄で縛られた。その縄のことを極楽縄といったんだ、それがこれだ。

 しかもこの縄の嫌な雰囲気、おそらくわけありの……刑くらって死んだ罪人などの、強い負の念にまみれた死人をくくったものだぞ。

 こんなものをなかだちに使って降霊術やったら、悪いものしか降りてこないのは当然だ」


「うそ……」


 絵美は食い入るように縄を見つめ、


「だって……青丹センパイは、神社の縄だってはっきり言ったよ……」


「そうか。このたちの悪い品のでどころはあの野郎か」


 紺は歯を剥いた獣のように、うなりをあげた。


「絵美、おまえアオオニの近所に住んでたんだったな? いいか、どんなふうに丸め込まれたか知らないが、もうアオオニには近づくな。あいつは掛け値なしのクソ野郎だ」


「青丹センパイのこと、悪く言わないでよ」


 絵美は小さく言い返したが、瞳から力は失せ、はた目にもわかるほどしょげきっていた。

 紺は絵美から顔をそらし、アッコの前に立った。


「言いつけを破ってごめんなさい」


 蚊の鳴くような声で言ったアッコは、紺が手をかざしたのでびくりと目を閉じた。

 紺はアッコの頬を両手ではさんだ。


「たしかに、依頼をまっとうできなかったオレの家にも責任はある」彼女は言った。

「だから、依子さん……おまえの姉ちゃんは近いうちにオレが探しだしてやる」


「え……」


「オレだって友達引っ越させたいわけじゃねーよ。オレが代わりに動くから、二度とおかしなものに頼るな」


 開けた目を丸くしていたアッコが、じわりと涙ぐんだ。




 アッコと絵美を家に送ったのち、十妙院家に一度戻ってからマイタケの家に遊びに行く。道中、紺は頭のうしろで手を組みながら言った。


「これでプールの監視員から探偵になったな。なー山内、オレたちがんばって探さなきゃな」


 山内くんは怯えて意見する。


「あのね紺、責任感強いのはいいことだと思う。友達のためになにかするってのも。でも僕をナチュラルに勘定に入れるのはやめてほしいんだけど……

 あと、だいたいその、さっきの子のお姉さん。どこで見つけられるかなんて心当たりあるの?」


「あ。そういやおまえにまだ話してなかったな」


「な……なにをさ」


「おまえが見つけた黒こげ死体、たぶんここらで起きてる神かくしと関係あるぞ」

「え」

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