第6話 雌狐たちの巣

 招かれたその家は、館といってもよい大きさだった。


 屋根のむね瓦から夜空へ向けて、交差した竹槍のようなものが十組ほど突き出ている。同じものは玄関前の軒先にも取り付けられてあり、竹組のまわりを鬱金うこん色の蝶がひらひら舞っていた。


(蝶って夜に飛ぶものだったっけ? 珍しい色)


 パパといっしょに玄関前に立った山内くんがそれを見上げていると、眼前の扉が音もなく開いた。


「ご覧になっているその竹はからすおどしという飾りですわ。呪詛に対する魔除けです……かつてはあなたがたへの備えでした」


「あ。ああ」


 見ていたものの説明を受け、パパが虚をつかれた様子でうなずく。

 出てきたのは着物姿の、二十代後半に見える婦人だった。藤色の色無地に芥子からし色の帯をしめ、長い髪をうしろに結いあげて白い首筋をさらし、艶がしっとりと匂いたつ女ざかりの風情である。

 色香だのなんだのはまだよくわからない山内くんだが、(うわ。ものすごく綺麗なひと)という率直な感想を抱いた。


「ですが時代も変われば変わるもの。ほんの二十年前まではこの十妙院家と対立していたあなたがたが、当家を頼ってくださる運びになろうとは」女性は優雅にお辞儀した。「改めまして、ようこそおいでくださいました。主人の葬儀以来でございますね……このたびは夜分遅くにお呼び立てしてしまい、申し訳ございません」


「こんばんは、十妙院さん。依頼しておいて遅れたのはこちらの事情です、こちらこそ申し訳ない」


 パパがいつになく改まった口ぶりとなる。女性がくすりとして、急にくだけた口調になった。


「いやだ、山内先輩。そんなにかしこまらなくてもいいのですよ」


「……ああ、じゃお言葉に甘えて」パパはいつもの言葉づかいに戻った。「かえでちゃん、ひさしぶりだな。そっちこそ家だのそういう話はやめてくれ、こっちはもうそんなもん背負ってねえよ。俺は邪鬼丸のことについて相談しに来ただけなんだ」


「失礼いたしました。では先輩、さっそく話を進めてしまいましょう。邪鬼丸くんはこの子ですね」


 美しい瞳が、柔和な光をたたえて山内くんを見た。

 山内くんははじめましてと挨拶してから、


「すみません、お宅訪問が遅れたのは僕が原因なんです」


(黒焦げの死体なんて見つけちゃったもの。状況を警察のひとに話さないわけにはいかなかったから……)


 山内くんは昨夜、夢遊病となってさまよったあげく、家から二百メートル離れた道路脇の林に入りこんだ。そこで黒焦げの死体のすぐ近くに立ち尽くしていたところを、青少年補導ボランティアの人たちに見つかったのである。というわけでせっかくの夏休みでありながら本日は、朝から警察の事情聴取で何度も話を聞かれる羽目になった。


 ようやく解放されたときにはすでに夕刻となっていて、『お祓いの予定はひとまず延期するしかねえな』パパはそう苦りながら「十妙院」の家にその旨を連絡していた。だが、『遅くなっても構いません。ぜひとも本日中にお越しください』とせっつかれ、けっきょく足を運んだのである。


「ええ。聞きました。大変だったわね」


 楓と呼ばれた女性は気づかう声で言った。


「ごめんなさいね。うんざりすることを強いてしまうけれど、君の見たものをわたくしにもあとで話してもらわなくてはならないの」


 力づけるように手をとられ、たおやかな手のひらで握られて山内くんはどきりとする。


(あ……この人、もしかして?)


 楓さんの気品のある面立ちに、山内くんの目は吸い寄せられた。そこにあの少女の面影を認めたのである。

 が、それ以上注視することはできなかった。


 蝶たちが舞い降りてきて、ぶわっと山内くんの視界を覆ったのである。まるで目鼻や口をふさごうとしているかのようだった。首をふっても執拗にたかってくる。


「……どうしたかしら?」


 けげんそうに楓さんが聞いてきた。


「あの、蝶が集まってくるのが気になって!」


「あら。大変」


 楓さんは息を呑んだ表情になる。すぐになにごとか小声で唱えながら、ぱっぱっと袖で山内くんの周りを払った。横ではパパがけげんそうに目を丸くしている。

 蝶が飛び去ったのち、楓さんはまじまじ山内くんを見てため息をついた。


「古い式神をあなたは普通に見ているのね。それに、こんな年齢でうちの式神たちに警戒されるなんて、やっぱり血が濃く出てしまったのねえ……これはやっぱり早めになんとかしないと」


 あの蝶も常人には見えないものだったのだと、山内くんは気づいた。




「先輩、結論から述べてしまいますが、しばらくは邪鬼丸くんを当家に預けていただくことになりそうです。夜間だけでかまいませんが」


 かえでさん――十妙院楓という女性は、ふたりの先に立って廊下を歩きながらそう言った。パパが動揺で目をしばたたく。


「……なんでその結論になったのか聞かせてもらえるか? これまでも世話になったし、楓ちゃんを信用してねえわけじゃねえんだが」


「もちろんですわ、ゆっくり説明させていただきます。

 そのまえに、お呼び立てしておいでなんですが、こちらから謝罪せねばならないこともございまして……お見苦しい部屋ですが、どうかご容赦くださいませ」


 立ち止まった楓さんはそう言ってふすまを開けた。

 山内くん親子は声を呑んだ。

 その部屋の天井には、さっぱり読めない字を書きつけたお札――というものだと山内くんはのちに説明される――が貼り付けられていた。木の板目が見えないほど、べたべたと大量に。天井だけではない。障子戸しょうじどに、砂色の漆喰しっくいの壁に、部屋の付書院に……そこかしこに貼られて妖しい空気を醸しだしていた。


 そして部屋の中央に、眠っているのか目をつむって座る少女がいた。

 ――火を吹く子。


 楓さんが紹介した。


「娘のこんです」


(やっぱり、楓さんがこの子の親だったんだ)


 紺は振袖姿だった。薄グリーンのの生地には草花や鳥の刺繍があしらわれ、市松模様の帯をしめ、清華な雰囲気のよそおいである。ショートの髪には一点赤い珊瑚さんごのかんざしが挿されていた。

 長いまつ毛を伏せて端座する紺は、そうしていると少年のようにはかけらも見えなかった。山内くんはなんとなく落ち着かない気分で座布団に座った。


 その気配を感じたらしく紺は眠そうに目をこすり、ぱちっと開けた。山内くんをぼんやりと見た彼女の瞳が、突如剣呑な怒りを宿す。


「おまえっ!」


「こ……こんばんはです」


 麗しい人形がたちまち毛を逆立てる山猫に変じたので、山内くんはとっさに挨拶した。先手をとられた紺が、怒りの声を一瞬むぐっと口内でつっかえさせる。


「ぬけぬけとっ……なにがこんばんはだっ、ゆうべはよくも――ひたいっ!」


 それでも紺は喧嘩腰を止めようとしなかったが、すぐ罵声に代わって悲鳴を上げることになった。楓さんの指が横から伸び、娘の片頬をきつくつねったのである。


「なにすんらよ楓!」


「親を呼び捨てにするその態度もこの機に改めてもらいたいわねというのはさておき、ぬけぬけというのはあんたのことよ。よそさまに多大なご迷惑をかけておいて、反省もせずその態度はなに? まず誠意をこめてお詫びしろと言わなかったかしら?」


「や、やら! 謝んなひ!」


「あ・や・ま・れ」


「痛ひ! いたい!」


 紺の頬がひっぱられ、むにににと白餅のごとく柔軟に伸びていく。

(うわあ)と山内くんは肝を冷やした。いましがたまで優しげな美女であった楓さんが、般若はんにゃよろしく憤怒の相に変じている。あっけにとられた声でパパが制止しようとした。


「落ち着きな楓ちゃん、なんか知らんが……」


「いいえ。だいたいのことを聞き出しましたが、この馬鹿娘がやらかしたのは、こんなぬるい折檻じゃまったく足りないレベルの粗相そそうですわ」


 そうは言いつつも楓さんはひとまず手を離す。

 頬を押さえた紺が、涙と恨みをふくんだ目を山内くんに向けた。


「オレ、ぜったい謝らない!」


「あんたという子はほんとに強情にもほどが……」楓さんの声が嘆かわしげに高まるが、


「だってこいつオレの胸をおもいっきりつかみやがったもん!」


「わざとじゃないよ!? つかんでないし手が当たっただけだよ!」


 紺に指さされ、うろたえた山内くんは反射的に弁明した。対立する子供二人に、大人二人の視線が注がれる。


「……何があったのか、両方の話をもういっぺんくわしく聞いてからにするか」

 パパが渋い表情でため息をついた。




 祭りの夜の詳細から、そのあと山内くんが見た夢にいたるまで――一件を洗いざらい聞き出したのち、パパと楓さんはふかぶかと頭を下げあった。


「すまねえ。愚息がお嬢ちゃんに失礼なふるまいをしちまった」


「いいえ、うちの娘が元凶ですから……こちらこそ躾が行き届かず、ほんとうにお恥ずかしい限りですわ」


 パパといっしょに頭を垂れる山内くんはそっと吐息する。


(こうなると思ってた。パパはこういうことには厳しいもの)


 山内くんはパパに、「見苦しいふるまいはするんじゃねえ。筋は通すもんだ」と言いきかせられて育ってきた。パパのいう見苦しさには、弱いものいじめや姑息なふるまいが含まれる。女の子の胸を触ったあとで謝らずに逃げてきたというのは、どんな事情があれ、パパにとっては「見苦しいこと」だろうと山内くんにはわかっていた。

 あっちは僕より悔しそうだ、と山内くんは上目で見て感想を抱く。楓さんに頭をつかまれて強引に下げさせられている紺は、目尻に涙をためて口をへの字に引き結んでいた。


「ごめん」


 かれが声をかけると紺は目を丸くする。彼女はフンとそっぽを向き、直後にうしろめたげに床に視線を落とし、かと思えば顔をあげてきっとかれをねめつけ、ころころと表情を変えた。結局、彼女は仏頂面でつぶやいた。


「一度だけ忘れてやる。たしかにこっちも強引だったし……いひゃい!?」


 少女の頬が先刻よりひねりをくわえて吊り上げられた。


「なんでこの期に及んで上から目線ができるのかしら? 現在進行形で尾を引いてるのよ、あんたのやらかしたことは。わたくしやおばあ様の知らぬところで、秘火あけだまひを吹き込んで常人を見鬼に変えていただなんて。よくもこんな恐ろしい真似をしてくれたものね」


 ふたたび般若と化した楓さんに、パパが咳払いした。


「楓ちゃん、それでいったいうちの邪鬼丸になにが起きたんだ」


 頬つねりをやめてパパに向き直った楓さんは、山内くんを視線で示した。


「邪鬼丸くんは見鬼の力を備えてしまいました。

 見鬼は『怪異を見る術・能力』のことであり、またその力を持つ者のことです。狗眼くがんもしくは浄眼じょうがんとも。その子は並みの修行者よりよほど見えてしまうようですね。

 いましがたの話では、紺の秘火そのものについては以前から見ることができたようです。素質があったのでしょう。そして体内に吹きこまれた秘火が、さらなる力を引き出す呼び水になってしまった……そう推測できます」


 楓さんは沈痛な口ぶりで語った。


「適切に封じねば、この子は一生見鬼のままでいることになるでしょう。先輩には邪鬼丸くんのことを頼まれておきながら、解決どころか問題を増やしてしまい、まことに申し開きのしようもございません」


 つまり僕は霊感に目覚めたってことなんだろうか、と山内くんは聞きながらくらくらする思いである。眠っていた力が起きて、妖しいものが見えるようになった。わあ格好いい、などとのんきに喜んでいたかもしれない。大の怖がりでさえなければ。


「楓ちゃん。俺は先祖と違いこっち方面は素人だが、見鬼くらいは知ってるぜ。なんせその素質がまるでねえってのが、死んだ親父に跡継ぎ失格として見放された理由だからな」


 パパはふうと息をつき、


「謝る必要はねえよ。俺ら親子はこの家の人たちにはさんざん助けられてんだ。こちらが礼をなんべん言っても足りやしねえ。

 ただな……こういう力はこいつにはいらねえはずだ。なるべく早く封じてもらえねえかな」


 こくこくと山内くんはうなずく。お化けが見える一生などごめんであった。

 ところが楓さんが口を開く前に、余計な口出しをする者がいた。


「えええ! 待てよ、もったいねーって!」


 紺は真剣な顔になり、身を乗り出すようにして力説する。


「オレより『見える』かもしれない見鬼なんてそういない才能だろ。見えるなら見えるでいいじゃない、おじさん! ちょうど弟子って取ってみたかったし、なんならコイツにはオレから術を手ほどきしてやっても」


 ごちん。


 ついに楓さんのげんこつが紺の脳天で炸裂した。

 頭をかかえて呻吟する少女に、楓さんは冷たいまなざしを向ける。


「未熟者の分際で余計な口出しはつつしみなさい。そういえばまだ追求が終わってなかったわ。なんであんたはこんな真似をしたのかしら、紺? 術を使って堅気の子をいじめてやろうとでも思ったのかしら?」


 涙目になっていた紺が、あわてて首をぶんぶん振る。


「ちがう! ちげーって! むしろ逆、コイツのためだよっ」


「へえ、墓地を飛び交う御霊みたまを見せて怖がらせることが?」


「だって最初にびびらせとけば、オレのいうこと素直に聞くようになるんだもん!」


 紺は口をとがらせた。


「世の中に多すぎるんだもん、わからずやが。

 こっちがどれだけ『あの淵は荒々しい水神がいるから遊ぶな』『あの辻は悪いものの溜まりになってていつ事故起きてもおかしくない』と忠告してもさ、笑ったり反発したりでまじめに聞こうとしないんだ。

 でもちょっとのあいだ怖がらせてやれば、そのあとはたいてい聞き分けるようになる。これっていちいち説得するよりこーりつ効率的なやり方じゃん?」


「こ、この小賢しい馬鹿娘……」


 恐怖を植え付けての支配をとくとく正当化する餓鬼大将。そんな始末におえない存在となりはてた娘に、楓さんはあきれを通り越してげっそり疲れた様子になった。

「……単なるいたずらで見鬼の力を与えたのではない、それはわかったわ」


「だろ!」


「もっと悪いわよ。なにも考えていないより悪いわ、浅はかな理屈をふりかざして力を濫用するのは。

 あんたの口から出てる秘火は霊力のかたまりで、それ自体が強力な術のようなものだから扱いに注意しろと前言ったわよね? しかも火を注がれた人間の反応には個人差が大きい……現にこうして、“ちょっとのあいだ見える”では収まらない例が出てきちゃったでしょうが」


「だ、だってこんなことになると思わなかったし……」


「なら、危険な行いだとこれで学べたわね? 禁厭まじないの術は便利なおもちゃではない。『するしかないこと』以外はすべて『してはならないこと』なのよ。今後おなじことをやれば、けっして容赦しませんからね」


 紺はむくれて押し黙った。楓さんはパパに真摯なまなざしを向けた。


「もちろん、責任をもってこちらで邪鬼丸くんの見鬼を封じさせていただきます。夜にもかかわらずお呼び立てしてしまったのは、邪鬼丸くんの状況を一刻たりとも放置しておけないと判断したからです。

 お代の心配は無用ですわ。雌狐どもは金に汚いと世人にはそしられてきましたが、身内の過失を棚上げにして施術料を要求するほど、十妙院の呪禁師じゅごんしは厚かましくはございません」


「いや楓ちゃん、そうは言うが俺はこれ以上そちらに借りは作りたくねえ。きちんと依頼するから……」


「いいえ先輩。いますこしお聞きください。こちらが責任をもつ代わり、この見鬼を封じるのは、しばらく待ってほしいのです。先ほど言ったように、かれを当家に預けてください」


 風向きがいきなり変わり、山内くんはぎょっとした。

 楓さんの頼みにパパがぴくりと片眉を上げる。


「……んん? それはどういうこった?」


「先輩がわたくしどもに委ねてくれた最初の依頼が関係します。『この子がだれかに呪詛されているのではないか、もしそうならわたくしどもに祓ってもらえないか』との話ですが……その件を解決するまでは、見鬼の能を封じないでおきましょう。

 見ることは、迫る危険を察知する最良の手段です。かれは牙笛をなくしてしまったということですが、見鬼の力はそれを補って余りあります」


 山内くんは心拍数がみるまに増えていくのを感じる。

 単なる不運ではなく、呪詛されている可能性があるとはっきり言われたのだ。


「牙笛をなくした経緯……その子が見た夢のことも気にかかります」楓さんはそっと言った。「暗いやしろ……先輩、心当たりがあるはずです。あなたとわたくしには」


「楓ちゃん」


 パパの声は、有無をいわさぬ制止の重みを帯びていた。


「悪いが子供の前じゃよしてくれ。あとでふたりで話そう」


「失礼しました」と楓さんは引きさがる。


 そばで聞いている山内くんはふたりの顔を見比べてとまどう。


(僕の見た夢のことをパパは知ってるの? なにを隠してるんだろう? 僕には聞かせられない話というのはどういう……)


「邪鬼丸くん」


 目がぐるぐるしそうなほど混乱したところで、山内くんは楓さんに声をかけられた。


「なるべくはやく決着をつけるつもりよ。それまでは見鬼のままでいてちょうだい。しばらくは危険を避けるため、あなたにはうちに寝泊まりしてもらうつもりです。

 もう遅いから今日はひとまず休んでらっしゃい、わたくしはお父様とお話がありますから」


 紺の首根っこを、楓さんは手を伸ばしてつかんだ。


「うちの娘をそばにつけるから、なにかおかしなことが起きたら任せてしまえばいいわ。こんな手に負えない子ですが、寄ってくるものを追い払うくらいの役には立ちます」


 一瞬わけがわからず戸惑った山内くんの前で、紺がうんざりした声を出した。


「えー……オレ番犬役?」

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