第4話 狗眼見鬼

 夕刻。

 山寺の境内は、祭りの露店に埋め尽くされていた。夜気にむっとこもった熱が満ち、夏山の草葉や花火の煙のにおいが混じっている。屋台電球の明かりのもと、金魚すくいやラムネ売りの客呼びの声が響いていた。


(どこだろ、あの子)


 露草つゆくさ色の子供浴衣を着、牙笛を首から紐でさげて、山内くんはちょうちんや屋台電球に照らされた祭りの場をうろうろしていた。少々心細い――人が多くにぎやかとはいえ、なにしろ見知らぬ土地の夜だ。


(パパとの約束があるし、長居はできないや)


 あの子に会えなくても、八時になる前には帰ろうと思ったときだった。


「なあ。姫路からきたやつっておまえだろ」


 目の前にたちふさがられて山内くんはぎょっとする。狐の面をつけた少年ふたりと少女ひとりが、三人で山内くんを囲んでいた。


「そうだけど、な、なに」


「連れてくるよう言われてるんだ。こっち」


 三人はすたすた歩き出した。戸惑いながらも、山内くんはその後をおとなしくついていく。

 少年たちの歩みは、境内のはずれ、人気のない方へと向かった。頭上の木々の太枝には縄がはりわたされ、和紙製のちょうちんが無数に連なって、古電球の淡い光を内側からにじませていた。立ちならぶ御影石みかげいし卒塔婆そとば……山内くんは、すぐにその場所がどこだか気づいて身をすくませた。


(お墓じゃないか)


 と、複数の懐中電灯の光線が彼らに当てられ、彼をさらにたじろがせた。墓石の陰から狐の面がふたつみっつ、ひょいひょいとのぞいてくる。背丈からして、山内くんや彼を連れてきた少年たちよりももっと幼い子たちである。

 墓地の真ん中に樹齢数世紀はありそうな大クスノキがそびえていた。その太い幹にひときわ大きなちょうちんがゆわえつけられ、煌々とあたりを照らしている。

 大ちょうちんの下にはどこから運んできたのかでんと木製の酒樽が置かれている。

 そしてあの子が、樽に腰かけてにんまりと笑っていた。


「ははっ、来た来た」


(あ……)


 既視感に山内くんは襲われた。その子の格好は、初めて出会った日のそれによく似ていた。死者の着る経帷子きょうかたびらのような珍しい白無地の浴衣。ぶらぶらさせる足には赤い鼻緒の雪駄せった


「あの……なにこれ」


 年代ばらばらな狐面の子供達に取り巻かれて緊張しながら、山内くんはたずねた。唯一顔を見知った相手である火を吹く子に。


「んー、歓迎会? あるいは仲間入りの儀式みたいな?」


「な、仲間入り?」


「おまえしばらく、こっちにいるんだろ? 滞在中は、オレたちと行動してもらうからな。毎日、その日はみんなどこで遊ぶか連絡回すから、参加したきゃ気軽に来な。参加したくなきゃ、勝手に誰かを家に呼ぶのも、誰かの家に行くのも止めないぜ。ただし外じゃ、日没後は勝手にうろつくな」


 一方的に言いわたされ、山内くんはあっけにとられる。


「え……あの」


「山や川や廃墟……誰もいないところには一人で遊びに出るな。行くならまず、どこへ行くのかオレに言え。オレが行っちゃダメと言ったとこには絶対行くな。やっちゃダメと言ったことは絶対やるな。たとえ誰がなにをそそのかしても」


「ま、待ってよ」


 山内くんは、遊び仲間に入れてもらうことが嫌なわけではない。むしろこの子とはずっと、友達になってみたいと思っていた。

 だが、こうまで頭ごなしに行動を束縛されるとは思ってもみなかった。


「うっとうしいなと思ってんだろ」火を吹く子は見透かしてきた。「いつどこで遊ぶかなんて自由にさせてほしい、って」


「うっとうしいってほどじゃないけど……理由がわからないし」


 山内くんがためらいがちに言うと、相手はいまいましげに口の両端を下げた。


「普通ならオレだってこんな面倒なことしない。けど、いまこの町の状況は普通じゃねーから」


「……普通じゃないってどういうことさ」


「ここ何年か、町そのものが霊的に活性化してる。それに時期が時期だ。今夜から釜蓋かまぶた朔日ついたちで、さらになにか起きやすくなってる。だからこの町にいるつもりなら、明日から盆まで半月はオレにしたがえ」


「かまぶた? さっぱり言ってることがわかんないんだけど」


「盆が近いからあの世の門が開きっぱなしになる。その最初の夜だよ」


 さらりと電波チックなことを言われ、山内くんはやや困惑した。おかまいなしにその子は続ける。


「この土地はもともとおかしなものを呼び込みやすいんだ。おまえの体質と同じさ。そんで、おまえみたいなのはいまの時期だと特に影響受けちまう。ここに集まってるみんなは、おまえと同じ『影響受けやすいやつら』だからオレが面倒みてんの」


 その説明で、山内くんはおぼろげに相手の言わんとすることを理解した。


「……なにか危険があるかもしれないから、まとまって行動しろってこと?」


 だがそれにしても、そんなあやふやな理由で団体行動強要は大げさではあるまいかと思う。迷いが顔に出ていたのだろう、火の子が瞳を細めた。


「オレの渡した笛使ってるだろ。いまさら無関係とは言わせないぞ、山内」


 姓を呼ばれ、山内くんの心臓がはねた。


「え、僕の姓を知ってるの……まさか下の名前も!?」


「なに動揺してんだよ。下までは知らねーよ」


 よかった、と山内くんはかろうじて胸をなでおろした。


(名前を知られてなければいいや……)


 安堵したのもつかの間、


「じゃそういうことで、あらためてよろしくな。下の名前なに?」


 火を吹く子はさっさと話を進めてしまった。山内くんにとって最悪の方向に。


「う……上の名前がわかってるならそれでじゅうぶんじゃないか。僕だって君らの名前知らないし」


「それじゃ自己紹介からやろ。オレ、コン太ね。こいつらは右回りにマイタケ、穂乃果、アッコ、直文なおふみ泰斗たいと……」


 “コン太”は手をのべて、かれを囲む子供たちをひとりひとり紹介していく。山内くんは進退きわまって内心うめいた。どうでもコンプレックスの元である名前を打ち明けねばならないようである。数人からいちどきにじっと見つめられて、山内くんはついに腹をくくった。


「……じゃきまるです」


「……なんだって? もう一回言ってみ。いや書いてみ」


 携帯サイズのホワイトボードと水性ペン。それらをコン太は樽の後ろから持ち上げた。そんなものまで準備してきたのかと山内くんは顔をひきつらせたが、結局いやいや名前を記した。かれは律儀な子であった。


  山内 邪鬼丸じゃきまる


 まぎれもなく山内くんの本名である。

 浴衣を着た子供たちは黙った。なんとも微妙な沈黙のあと、ぷ、とコン太が噴きだした。それをきっかけに子供たちの笑いが――ひとりひとり程度の差はあったが――夜の墓場にさざめいた。子供たちはいずれも小学生であり、低学年の子は名前の漢字や意味を理解できてはいなかっただろうが、高学年の子の笑いに引きずられてかれらもくすくす楽しげに笑った。


 樽に座ったコン太が腹を抱えて足をばたつかせ、遠慮のかけらもなく笑声をほとばしらせる。


「邪鬼丸って、くっ、あは、あははははなにそのひっでえ変な名前!」


 わなわなと震えて山内くんは拳を握りしめる。かれはこれまでコン太のことを「牙笛のことで恩のある相手」と認識してきた。謎めいた相手であるが、何年もどちらかといえば好ましい印象を抱いていたのである。だが数十秒の盛大な笑いは、それをあらかた吹き飛ばしてしまった。


(この子とはやっぱり友達になりたくないかも)


 パパに対しても心中罵りを投げつける。山内くんはパパが好きであるが、「僕にこんな名前をつけたことだけは一生許すものか」と心に決めている。その決意は今夜新たになった。

 さんざん笑い転げてから、目尻の涙をふき、コン太は笑顔で言い放った。


「おまえのあだ名ジャッキーでいい?」


「……好きに呼んだら?」投げやりな気分になり、山内くんは冷たい声でそう返す。


「前の学校でも一回そう付けられたし」


 ところが、そう聞いたとたんコン太は口を尖らせた。


「なんだ、二番煎じになるならヤだな。やーめた。考えてみりゃ本名のほうがインパクトあるし」


 その傍若無人な言い草に、山内くんはまたもあぜんとした。


(こんなに意地が悪くて気まぐれな子だったなんて……あー、いや、牙笛と引き換えとはいえ双眼鏡とられたわけだし、最初からこういう子だったっけ?)


 ふいに真顔になったコン太が、「んー……? でもその名、どっかで聞いたなあ……?」と首をかしげ、ややあってぽんと手を叩いた。


「ああ思い出した。それ、祝部はふりべのどれかの家の魔除け幼名だ」


 ハフリベ? マヨケヨウミョウ? 山内くんは聞きなれない言葉に困惑する。彼のその様子に、「ふうん、やっぱりなんにも知らねーで育ったんだな」コン太は草履をつっかけた足をぷらぷらさせながら淡々と言った。あざけりの響きはすっかり声から消えており、それがかえって山内くんを困惑させた。


(僕がなにを知らないっていうんだ)


「ま、いいや」とコン太は手を打って、まだ笑っていた一部の子供たちにとがめるような目を向けた。「そこ、いつまで笑ってんだ。名付けは親の責任じゃん? あんま笑ってやるなよ、しばらくこいつも仲間なんだから」


 さすがに山内くんは憤然と口をはさまずにはいられなかった。


「さっ……さっきのいまで君がそれを言う!? 真っ先に笑ったのも、いちばん笑ってたのも君じゃん!」


「そんなちっせーこと気にすんなよ」


 コン太は腰かけていた樽から立ち、浴衣の尻についたほこりを払った。嬲るような笑みが秀麗な面に戻っている。「そろそろ始めよっか? みんな、そいつ動かねーようにおさえて」


 山内くんの周囲で動く気配がした。「少しじっとしてな」同年代の少年のひとりがそう言うやいなや、かれの肩を後ろからがっしり押さえこんだ。同時に真横の二人に、左右それぞれの手首をぎゅっとつかまれる。


 この瞬間、山内くんがどれだけ肝を冷やしたか、かれらには想像もつかなかったであろう。「拘束される――動けなくなる――逃げられない」。それは二度の誘拐を経験し、ふりかかる災厄や悪意から逃げまわって生き延びてきたかれにとっては、致命的な状況なのだった。


 恐怖心が、山内くんを突き動かした。


 つかまれた両手首をひるがえして拘束から抜く。背後から肩を押さえてくる腕の片方をつかみ返し、一本背負いでぶん投げようとする。「うわあああ!」背負われた少年の恐怖の叫びで、山内くんはわれに返った。あわてて投げるのを中断して身を離す。転がるような勢いで石畳の上をとびすさった。


「とつぜんなにするんだよ……!」


 山内くんは動揺もあらわに非難する。

 三人に捕まった状態から一瞬で自由を回復したかれに、驚きの目が集中した。


「へええ意外、すっトロいかと思ってたら。いまの身ごなし、なにか武道やってんの?」コン太が興味深げに目をぱちくりさせ、「しかたねーな、とりおさえるのはオレがやるよ。人に直接術かけるのはあんまよくないけど……黙ってろよ?」左右に念を押した。


 不吉なものを感じ、山内くんはたちまち逃げ腰になった。

 はじめて誘拐された幼い日の一件以来、かれは護身術を身に付けるため道場に通ってきた。だが何回も事故や事件に巻きこまれたかれはよく知っている。たいていの場合、ふみとどまって戦うのではなく後も見ず逃げるほうが、子供のかれが身を守るためには有効なのだと。


 というわけで山内くんには、なにか厄介事が起きそうであれば反射的に逃げようとする癖がついている。このときも怪しい雰囲気に直面してかれが考えたのは、ひとまず退散することだった。


(もしかしたらこの子、近づかないほうがいい相手かもしれない)


 後じさってじりじり距離をあけながら、山内くんは聞いた。


「始めるってなにをさ」


「通過儀礼っていうか、しつけ?」ひとさし指を一本立て、唇の前へとコン太は持っていった。“静かに”とたしなめるようなしぐさ。「ふふふ、だっておまえ、素直にオレの言うこと聞きそうにないしなぁ……ここじゃ誰の言葉がルールなのか、はじめにしっかり叩きこんでおかなきゃな」


 蛇の舌さながらに唇からちろちろする青い炎が、ひとさし指の先に宿り、ボウと燃え……火が灯った指が山内くんに突きつけられる。そしてコン太はいちだん低めた声を発した。


「困々々――」


 ――至道神勅 急々 如塞 道塞 結塞縛 不通不起 縛々々律令


 唱えるとともに、火が灯った指先がくるくると大小の円や線を描く。躍る光が尾をひいて複雑な軌跡を虚空に刻む。奇術めいた光景に、山内くんは逃げることを忘れて立ち尽くす。


 それが失敗だった。


 手足がぴくとも動かせなくなっていることに気づき、彼は顔色を変えた。


「あ、あれ!? え!?」


「身動きできねーだろ? 無理するなよ、そういう術なんだから」


「さ、催眠術?」


霊縛れいばく術だよ。つってもわかんねーか」


「冗談じゃない、解いてよ! これじゃ無理やり縛られたのと変わんないじゃないかっ」


「うるせーなぁ。こっからが本番、すぐ終わるから騒ぐなよ」


 落ち着きはらってコン太は歩を進め、山内くんの眼前に立った。ひんやりした手のひらが、山内くんの両頬をつつむ。


「いまからおまえに見せてやるよ。あっち側の世界を。かくり世を」


「ちょっ……」


 さらに身を寄せられて、山内くんはあわてた。火のをちろちろ吹くコン太の唇が間近で妖しくささやく。


「ほんのちょっとのあいだだけ、狗眼見鬼くがんけんきにしてやるよ」


 双の親指が山内くんの口の両端にすべり入り、こじあける。互いの唇がかすりそうな紙一重の距離にまでコン太の笑みが迫り……


 ――ふ。


(え……)


 山内くんは限界まで目を開いて呆然とする。


(火、を、入れられてる……)


 口腔へと、コン太の息とともに火が吹きこまれてきていた。

 吹きこまれた炎が体内で渦を巻くのが感じられる。腹に落ちた火球が反転してかけあがり、じわんと頭蓋に浸透する。その青火は通常の炎とは違い、肉を焼き爛れさせるようなことは起こらなかった。


 だが……


「……よし。さあ見ろ」


 数秒後、そう言い残して、不敵な笑みを宿したコン太の顔が遠ざかった。


「え……ぇ?」


 墓地の光景を目に映し、山内くんは呆然とした。

 光の乱舞がそこにあった。

 こぶし大の無数の火球が墓地に繚乱りょうらんしている。おびただしい火の玉は青くあるいは赤く、尾を引いて宙を飛んでいた。その動きはかつて水族館で見たかわうその水遊びを思い出させた――もぐったり浮上したり、くるくる輪舞するかのように泳ぐ姿を。


「な、なんだよ……これ……」


 山内くんは頭上を見上げて頬をひくつかせる。かれの前でコン太は、ほたるの群れでも自慢するかのように手を広げた。


「どーだ、にぎやかでイイ眺めだろ! 盆にそなえて、精霊ショウリョウが渡り鳥みてーに集まりだしてるんだぜ」


「ショウリョウ……こ……これって……」


人魂ヒトダマって言ったほうがわかりやすいか? おまえの目にも見えるようにしてやったんだよ、オレが」


(冗談じゃないよ)山内くんは目を回しかけた。


 いま見ているこれは、つまりお化けのたぐいではないか。

 骨の髄までおののいたとき、二段目の変化が起きた。


(痛ッ!?)


 今度は、鋭い痛みが頭の芯を刺した。

 きいんと耳鳴りが始まる。ちょうつがいの外れるような音、ぱきぱきとひびの入るような音がそこに混じり、頭蓋のうちにこだましてゆく。


(大きな鐘が……目の裏で鳴ってる……)


 氾濫する異質の音響に耐えかねて、山内くんは頭を抱え、うずくまった。


「…………あれ? もう動けるのおまえ?」


 コン太があっけにとられたような声を出した。(そういえば手足が動く)とおぼろげに認識したが、すぐには立ち上がれなかった。


(なんだこれ――また見えるものが変わった)


 ずくん。ずくん。脳の血管が脈打ち、視界が明滅する。かれは呼吸を速め、冷たい汗で背を濡らしながら周囲をうかがった。

 闇はさきほどより濃く、それでいて澄みわたっていた。そのなかを飛ぶ火の玉のひとつひとつもくっきりと見えるようになっていた。


(人魂に、顔が……)


 最初はおぼろげだった輪郭がはっきりし、細部までが見てとれた――鼻、目……顔面のパーツを持ち合わせ、なかには完全な顔を形作っている火球もあった。死者たちの顔には感情らしきものがまったく無い。マネキン人形めいた無機質な表情がじいっとかれを見つめていた。


 数十数百の物言わぬ顔に囲まれて「ひいっ」と山内くんはうめいた。かれの異変に気づいて、周りの子供たちがざわめく。「おいっ、どうした、しっかりしろ!」コン太の声が遠くからのように響いていたが、それどころではなかった。


 すう、とひとつの火球が眼前に舞い降りてきた。それはまるでくらげが傘を広げるかのように、視界をさえぎるやぶわりと広がった。くらげの真ん中に老いた男の顔があり、白目のない真っ黒い眼孔でかれを凝視していた。


 尻もちをついて、山内くんは絶叫する。


 パニック状態でかれは身を守ろうとする。顔を押しのけるべく無我夢中で、手を前方に突き出した。

 ……絶妙な間の悪さだった。


「山内っ、落ち着けっての、こいつらは無害のはず――」


 ちょうどそのとき、死霊を自分の体で散らして、コン太がふたたび飛びこんできていたのだ。山内くんの掌底は、かれを引き起こそうと身をかがめたコン太の胸を、正面から突いた形となった。

「あっ」子供たちのだれかが思わずといった感じのつぶやきを漏らした。

 コン太は自分の胸に置かれた手を見下ろして、純粋にびっくりした表情で硬直している。


「……へ?」山内くんは新たな困惑状態に陥った。ぐにゅ、とみずみずしい弾力に富んだ感触が手のひらに伝わってきたのである。まるで、布でぎっちり巻いてなるべく平坦にとおさえつけてある丸みのような――


「姫路のおにいちゃんが、こんちゃんのおっぱいさわってる」


 なぜか感心したような声で、低学年くらいの幼児が言った。ほかのだれもがぽかんとしていた。触り触られている当人たちを含めて。


「え……あれ?」


(女の、子?)


 驚愕して、山内くんはぱっと手を離す。まだ止んでいない耳鳴りのことも、周囲を飛び交う人魂のことも、このときだけは頭から吹き飛んでいた。

 切れ長の双眸をまんまるになるまで見開いて固まっていたコン太――紺と呼ばれた「少女」が、ぱっと浴衣の襟をかきあわせた。かばうように胸元を押さえたまま、彼女はあとじさる。体をぷるぷる震わせ、羞恥で混乱した表情になっており……大ちょうちんの明かりの下で、その頬が急速にだっていくのが見てとれた。


「………………」


 別人のような小声を彼女はかろうじてしぼりだし、真っ赤になった顔を伏せてその場にしゃがみこんだ。

 どうしたらいいかわからず、山内くんはためらいがちに声をかけようとした……が、かれの浴衣の袖をなにかがとらえ、ずしりと重みを伝えてきた。


(え)


 見下ろすと死霊の顔が袖をくわえている。すでに火とはいえないほどはっきり具現化したそれは、ぶらさがりつつのど奥から声をきしらせた。


〈きぃぃぃぃ……〉



 気がつくと山内くんはいちもくさんに家へと道を駆けもどっていた。

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