第3話 十妙院

「笛、万一なくしたり壊れたりしたらすぐこの町に来な」


 濡れるような蝉しぐれのなか、火を吹く子はそう言いおいて石段を下りていこうとする。その足が止まったのは、山内くんがおずおず報告したからだった。


「あのさ……僕、しばらくこの町にいるんだ」


 ふりかえった相手は目を丸くした。


「この町に? なんで?」


 アパートが全焼したことをひととおり話しながら、山内くんは火を吹く子をまじまじと見つめる。最初の出会いからもう五年にもなる相手――それなのに名前すら知らない相手。

 思いきって切り出した。


「あの、この機会に教えてくれたらうれしいんだけど……君、名前なんていうの? どこの家の男の子?」


 ちゃんと話してみたい、相手がどこのだれなのか知りたいと、山内くんはずっと前から思っていたのだ。それに、まがりなりにも命の借りがある相手だ。


(あらたまったお礼をするのが筋だよね)


 だがその子は、山内くんに「どこの男の子」と問われると、きょとんとして目をしばたたいた。それから「……ふーん」にいっと片頬をつりあげ、結局名前は言わずに「こっちにいるんなら、おまえも祭りに誘わなきゃな」


 いきなり身をひるがえし、その子は石段を駆け下りはじめた。あっと息を呑んで山内くんは手を伸ばした。


「待って!」


 追いかけたが、火を吹く子は相変わらず足が早かった。たちまち下に着いて、神社の向かいの家の陰に飛びこんでしまう。


「待ってってば!」


 あきらめずに山内くんがなおも追いすがろうとしたときだ。


「おーい、こっち」


 声をかけられた――背後から。

 ふりむくと火を吹く子が、いましがた下りてきたはずの石段上にいた。山内くんにむけて手を振っている。

 足が速いんだな、で片付けられる距離ではない。山内くんはたちすくんだ。


(消えて……現れた?)


 呆然としたかれの様子を見て、火を吹く子は嬉しげである。両手で口元に拡声器をつくり、叫んできた。


「今日の夕方七時! ここの境内で夏越なごしの祭りあるから来いよ! それと」


 ふと真剣な顔になって、立てたひとさし指を唇に当てた。


「夜になったら、口に出してものを数えちゃだめだからな。この町にいるあいだは」


 じゃーな、と手をひとつ振ってその子は背を向け、駆けていった。


「……数えるな? なにそれ」


 意味わかんないよ。そうぼやきながらも、山内くんは背筋にうそ寒いものを感じた。





 山内くんのパパの実家というその家は、屋根が瓦葺かわらぶきの和風建築である。


 敷地面積はそこそこあるが、「こぢんまりとした」印象の家だった。

 どういうことかというと、造りが全体的に昔の人のサイズなのだ。天井や鴨居が低い。プロレスラー並みの体格であるパパは、座敷から座敷へ移動するだけでもいちいち身をかがめて戸口をくぐらねばならない。「ちっ、これだから実家はイヤなんだ」と、何度目かに鴨居に頭をぶつけたあと、顔をしかめてパパは毒づいたものだ。


 いま、パパはせまくるしい台所で、巨体を折り曲げるようにしてガスコンロの前にかがみこんでいる。

 サングラスをかけてお昼ごはんのチキンオムライスを作りながら、パパは毛のない眉――ぐれていた十代のときに永久脱毛済み――を片方上げた。


「この町にまだあんのか、そのわけわからんしきたり」


 夜間にものを数えること禁止、という話を聞いての反応である。


「声に出して数えちゃだめ……って、やっぱり迷信なの?」


 山内くんは茹でた青菜を包丁で切り刻みながら聞いた。パパとおそろいのエプロンをつけて手伝い中である。


「はん、迷信に決まってんだろうが」


 パパは鼻で笑ってオムライスを皿に移した。かれが二メートル近い背を伸ばすと、眉と同じく脱毛してあるスキンヘッドが、台所のすすけた板天井にこすれそうになる。


「ここらは山と川しかねえ、クソがつくど田舎だからな。そういうのが大量に残ってんだ」


 そううそぶきながらも、パパはその後でぽつりとつぶやいた。


「……でもおまえは守っとけ」


「う、うん」


「で、だれからそんな言い伝えのこと聞いた」


 おずおずと山内くんは打ち明けた。


「例の笛をくれた男の子に。また会ったんだ」


 パパはゆっくりと山内くんに顔を向けた。軽い雰囲気は完全に消えていた。


「なるほどな。それなら絶対に守ったほうがいいな」


「うん……あのさ、パパ。もしかして、あの子がどこのだれだか知ってるの?」


「まあな」


 そっけないといえるほど淡々とパパはうなずき、なにか考えこむ様子になってそれきり口を開かない。

 すぐ教えてくれたっていいのに、と山内くんはちょっとむっとした。


(こんなパパはじめてだ。いつもうざったいくらいあけっぴろげなのに、この町にかかわることじゃ秘密主義になってる)


 パパが教えてくれないために、この町のことはなにもかも謎ばかりだった。

 たとえばこの古い家――山内くんが会ったこともない「おじいちゃん」が昔住んでいたらしいのだが、かれが死んで以来住人はいないとの話だったのに……


(明らかについ先日までずっとだれかが管理してたよね、ここ。荒れ果てたあばら家とはほど遠いもの。ガスも水道も通ってるし……)


 だがパパは事情を明かしてくれるそぶりはまったく見せない。


「……ねえ、パパ。その子に夕方のお祭りに来いと誘われてるんだけど」


「ん? おお、そうか。着るならじいさんがしまっていた浴衣を出しとくぞ。俺もこっちの祭りはひさびさだ。そういやこの土地も嫌な思い出ばかりでもねえな」


 パパは気をとりなおした様子でちょっと浮かれだした。山内くんは申し訳なく感じながらもその喜びに水を差す。


「あの……それだけど、ひとりで行ってみていいかな」


「なにい? 危ないだろうが。夜道だぞ」


 パパはいい顔をしなかった。


「僕はもう来年は中学生だってば! なにかあったらためらわず逃げるし大丈夫だよ。いいでしょ」


 山内くんは力説する。友達になってみたい相手と会うとき、父親にそばについていてもらうのは恥ずかしい――自分がファザコン気味の自覚があるだけに、余計そう意識してしまったのである。

 けんめいな説得ののち、とうとう、面白くなさそうではあるがパパは許可してくれた。


「ふん……十妙院の子がついているなら大丈夫か。だが遅くならずさっさと帰れよ」


「じゅうみょういん……」


 それがあの子の姓なのだろうか。山内くんは記憶に刻みつけるようにつぶやく。

「ああ。今回、おまえのお祓いをやってもらうところもそこだ」


 重大なことを告げて山内くんを瞠目させたあとで、パパはふと首をかしげた。


「いや、待てよ……んん? あそこに男の子が生まれたなんて話聞いてねえな。じゃあおまえの友達とやらは別人か?」


「なんだよそれ。あやふやだな、どっちなのさ」


「ううん……夕方会うならついでに聞いてきたらどうだ。どっちみち明日には十妙院の家へ行くがな」そのときはっきりわかるとパパは言って、「それはそれとして、おからす様に今日の供え物もってけ。こればかりは、この屋根の下にいるかぎり欠かしちゃならねえ」


 卵をパパに手渡される。


 山内くんはいったん庭に出ると、縁の下を覗きこんだ。


「おからす様。お供えです」


 呼びかけて、卵をそっと闇の奥へと転がし、手を合わせる。

 卵や、丸いおにぎりや、丸い果物を一日一度縁の下に置く――ここに来る前に言い聞かされてはいたが、この儀式のことはよくわからない。縁の下になにがいるのかもよくわからない。


 闇の奥でなにか動いた気がしたが、いたちかなにかかもしれなかった。

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