Ⅷ お別れ

 2人に霊はしばらくの間固く抱きしめあっていたが意を決したのかあかりさんが抱擁を解いて立ち上がった。〝ごめんね琴音ちゃん。〟そう言ったあかりさんの頬を涙が伝った。そんなあかりさんに向けて琴音ちゃんはとびきりの笑顔で〝ううん、琴音はね、あかりちゃんの事が大好き!〟と返した。あかりさんをおもんばかる幼い琴音ちゃんの気持ちが僕の胸を打った。あかりさんは涙を拭うと満面の笑顔を作って〝うん、ありがとう。〟と精一杯の明るさを絞り出して応えた。そして静かに視線を僕に移すと頷いた。それが合図だと僕は受け取り琴音ちゃんの手にそっと手を添えて〝さあ、お母さんに会いに行こうか。〟と言った。琴音ちゃんは〝バイバイ〟とあかりさんに手を振った。するとあかりさんも笑顔で〝バイバイ〟と手を振り返した、しかしその笑顔は何かを必死にこらえる笑顔で僕はこんな悲しい笑顔は見た記憶が無かった。ただ琴音ちゃんは元気よく〝プイッ〟あかりさんに背を向けるとズンズン歩き出した。僕は琴音ちゃんの後を追って歩き始めた。しかし10歩も進まないうちに琴音ちゃんは顔をクシャクシャにして泣き出してしまった。しかし琴音ちゃんは振り返らず、歩みを止めることはなかった。


 琴音ちゃんの後について30分も歩いただろうか、気がつくと僕は川沿いの道を歩いていた。琴音ちゃんはある場所まで来ると河原に足を踏み入れ、迷う事なく川のきわまで進んで行った。そして一度僕の方に振り向いて〝ニコッ〟と笑ってバイバイと手を振ると、川上に向けて鬱蒼うっそうと広がるあしの中へ消えていった。僕は慌ててあしを掻き分けながら琴音ちゃんの後を追った。前がほとんど見えない状況のまま必死であしを掻き分け一分ぐらい進んだ時、目の前に突然空間が現れた。足元をみるとそこに顔は見えないが泥だらけの女の子が横たわっていた。服装から琴音ちゃんだとすぐわかり、追いかけていた琴音ちゃんがそこでころんだかのかと無意識に助け起こそうと近づいた。しかしそこに死がかもし出す絶対的な〝無〟が纏わりついている事に気付き、僕は伸ばしかけた手を止めた。そしてゆっくりと姿勢を正すと合掌して〝琴音ちゃん、寂しかったよね、こんなところに一人で。ありがとうね、教えてくれて。〟と話しかけた。

 しばらくの間、琴音ちゃんとの別れを惜しんだ後、僕は携帯を取り出して現在位置を確かめた。報道で琴音ちゃんが行方不明になった川上の場所から、かなり下流に位置する場所だった。そして携帯を取り出して警察に電話をしようとしたが、ふと〝警察に連絡したら第一発見者として疑われるのではないか〟という考えが頭をもたげた。そこで僕は最後琴音ちゃんに合掌して〝ごめんね、もう少しだけ待ってて。〟と告げると近くの駅に向かっては速足で歩きだした。

 駅前に着くと今はすっかり少なくなった公衆電話ボックスが幸運にも設置されていた。僕は110番にかけるのは硬貨がいらない事を確かめてダイヤルを回した。オペレーターの男性に〝遺体を偶然見つけた。場所は〇〇川の左岸。〇〇橋から300mぐらい上流の葦の茂みの中です。〟と一方的に伝えると受話器を置いて電話を切った。公衆電話を出ると帰宅のラッシュ時からなる人波に紛れて僕は駅に向かった。途中、二人の警察官をすれ違った。先程の公衆電話に向かっているのではないかと思われた。僕は歩みを更に速めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る